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 山下マキの初主演映画、『子ぎつねとわたしの30日』の舞台は北海道だ。

 クランクインの前日にマネージャー・松原浩二とマキは北海道へと赴く。

 彼女は北海道を満喫していた。余りの満喫ぶりに浩二は心配になってしまう。

 

「お前、明日の撮影は大丈夫なのか?」

「大丈夫ですよ。これから忙しくなりますし、今日ぐらいは良いじゃないですか」

 

 撮影は網走市で行われるため、撮影が始まれば網走にあるホテルを拠点とすることとなる。観光する余裕もないだろうから、彼女が言う通り、今日ぐらいはいいかもしれないとは思う。


(だが……面倒だ)


 北海道は広く、全てを一日で回りきることはできないため、網走市内を観光して回るのだが、その際の運転手は浩二だ。面倒くさがりの浩二は、遠出は面倒だとぼやく。


「私の家、貧乏だから、こんな機会でもないと北海道には来れないから……」


 しゅんと俯いている。

 思わず絆されてしまいそうになるが、これは彼女の演技だ。何度も一緒に仕事をしてきたら、彼女のやりそうなことはなんとなく分かってくる。


「お前、俺より金貰ってるからな」


 山下マキは天才子役としてひっぱりだこだ。その出演料はかなりのものだ。もちろん、一過性のブームで終わってしまい、年間で換算すると平凡な可能性もある。それは今後の努力次第だ。でも、今でも既に北海道旅行には行っても家計に影響を与えない程度のお金はあるだろう。


(まぁ、金はあっても時間はないかもしれないが……)


 小学生と役者の二足の草鞋生活な彼女はかなりの多忙だ。

 マネージャーとして浩二もできる限り支援はしているけれど、それでも限界はある。きっとしばらくは、プライベートでの旅行は難しいだろう。


(面倒くさいが息抜きに協力してやるか)


 網走市の地元にある個人経営の焼き肉屋でジンギスカンを食したあと、二人は網走湖のほとりへ訪れていた。

 

「ここが網走湖ですか」

 

 湖面は綺麗な空色に輝き、小さな雲が浮かんでいた。

 心地よい空気を吸いながら、マキが網走湖を眺めている。

 

(相変わらず大人びているな)

 

 感慨深いなにかを見ている、そんな表情を浮かべていた。

 普通の子どもは湖を見ても「大きいなー」と思う程度だろう。

 だが横から見える彼女の目は網走湖の雄大な歴史を映しているように思う。

 湖が生み出す強い風が吹き、肩までかかる髪が揺れた。

 その光景はまるで一枚の絵画のようだ。

 

(どんなことを考えているのだろうか)

 

 浩二は色々な役者を見てきたが、その上で得た自論がある。それは、一流と呼ばれる役者は観察力が常人とは異なっているということだ。

 マキもまた一流の、いや、超一流の役者だ。

 見えている世界は、浩二の視界とは似ても似つかないのだろう。

 ふと、浩二は不安がよぎる。

 自分はマネージャーとして彼女についていくことができるだろうか。

 

 

 

    ◆

 

 

 

 旅館にチェックインをして、夕食を食べる前に温泉に入ろうと、男湯と女湯に分かれて入った。

 なんだかんだで疲れがあったのか、浩二は長時間温泉に浸かってしまっていた。

 待たせてしまっただろうか、と焦りながら部屋へと戻れば、いまだにマキの姿は見えない。

 

(腹減った……)

 

 彼女は中々戻ってこない。

 マキをスカウトして、2年弱ほど経っただろうか。

 専属マネージャーとなった今でも謎の多い少女だ。

 だが分かることもある。その一つは、どうやら温泉が好きらしいということだ。

 いくつかの候補の中から今回の旅館を選んだのはマキであり、この旅館のウリは温泉であった。

 ホテル泊まりになる前にどうしても入りたいという主張に、浩二が折れた形だ。

 ちなみに一緒に温泉に入ったことがある女性のスタッフによると「妙に気持ちよさそうで、なんかエロい」とのこと。意味不明である。一度見てみたいと思わなくもないけれど、即牢屋行きなので諦めるしかない。

 更に30分ほど待てば、ようやくマキが戻ってきた。

 

「遅い……ぞ……」

 

 子どもサイズの浴衣をまとい、顔がほのかに火照っている。

 小学一年生の女子の湯上り姿だ。本来ならば色気もなにもあったものではないはずだ。

 しかし、彼女の大人びた佇まいが原因なのだろうか。浩二は思わず見惚れてしまう。

 

「私に欲情するなんて……ロリコンですか?」

「ぐっ」

 

 相変わらず鋭い少女だ。人の機微を見抜くのが上手い。浩二がマキに見惚れてしまったことなど手に取るように分かるのだろう。

 そんな観察力にすぐれた彼女だが、他の役者や撮影スタッフたちには愛嬌を振りまく一方で、浩二に対しては結構な毒舌だ。

 浩二を信頼して素の彼女自身をさらけ出してくれているのだと思うと、ぐうの音も出ない毒舌も可愛く思えてきてしまう。

 

「どうですか?」

 

 浴衣の裾を持ち上げながらしなだれる。

 子どもが大人の真似をしてセクシーなポーズをとる姿は実に滑稽なものだ。良く言えば可愛らしいといったところだ。

 一部の小児性愛者を除けば、そこに性的なものを感じることはないだろう。

 だが、彼女は実に扇情的であった。子どもの姿でありながら、動きにエロスがある。

 

「お、大人を馬鹿にするんじゃない」

 

 目に見えて狼狽する浩二の姿を見て、マキがくすくすと笑っている。

 大人のお姉さんにからかわれているような感覚に陥った。顔が熱くなっている。

 この子には一生かなわないかも、と浩二は思った。

 

 

 

    ◆

 

 

 

「来たーーーー!」

「お前、大倉監督に影響されてないか?」

 

 夕食のズワイガニを前にした変わりように苦笑してしまう。

 5月の半ば、ズワイガニが旬となる季節だ。随分と楽しみにしていたようである。

 カニすき鍋を前にはしゃいでいる彼女が、業界でも注目の実力派の役者であることは誰も気がつかないだろう。

 周りにいる宿泊客たちも、微笑ましそうにマキの姿を見ている。

 

(まるで子どもみたいだ……)

 

 しっかりした言動と驚くべき演技の才能に、彼女が子どもであることを忘れてしまうことがある。

 だが、今回のような時折見せる子どもの一面に、浩二はホッとしていた。

 

「今からカニを食べます」

「ん? それがどうした?」

「私語禁止です」

「は?」

「カニは黙って食べるものなので」

 

 カニの身の部分をほじくり出すのに一生懸命になり、いくら呼びかけても返事をしなくなった。

 その表情はいつになく真剣である。

 カニを食べている間、人は無口になるというが、彼女の場合、そもそも最初から会話を禁止にしているようだ。

 

「めんどくせぇ……」

 

 どこで培ったのか。

 子どもながらにして既に、浩二の上司や先輩のおっさん達を彷彿とさせるような変なこだわりがある。

 呆れながら机に肘をついて手で顔を支え、一心不乱にカニを食す姿を眺めていた。

 脅威のスピードで鍋の中で食べごろになったカニの足をどんどん取り込んでいく。

 

「おい、俺の分まで取るなよ」

 

 まるで聴こえていないかのように、カニを食べる手は止まっていない。

 カニを全部食べられては困る。浩二も彼女と同じく無言でカニを食べ始めた。

 一通りカニを食べ終えて、雑炊の準備が始まるまで、彼らは一言も言葉を発することはなかった。

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