2-3
ベテランの女優との共演。有能な監督による撮影。
中々にいい仕事だったと山下マキは思う。
有能なマネージャーの松原浩二が収集した情報の中に、監督の子役嫌いというものがある。
一計を案じて、彼が求めるままの子どもになってやればチョロかった。
(まだまだ若いな)
才気あふれる監督であっても、山下太郎の経験と山下マキの才能の前には形無しだ。
撮影が終われば、小山内千枝は忙しなく控室へと去っていく。
このCMとは別件で、映画の撮影もこの後あるらしい。さすがは大女優だ。スケジュールはぎっしり詰まっているのだろう。
大倉竜也監督は監督で「来たーーーーー!!」と叫びながら、どこかに走っていった。
(変人だ)
叫び声を聞きながら、ぽりぽりと頬をかいた。
この業界には奇人変人の類が多い。竜也もまたその一人なのだろう。
「お疲れ、マキちゃん。凄い良かったよ」
「はい、ありがとうございます!」
髭をもじゃもじゃとはやした男がマキに声をかける。
カメラマンの彼はCMの撮影を開始する前、マキと同じぐらいの年の孫がいる、と自慢げに語っていた。
それをニコニコと聞いていた結果、気に入られたらしい。
「わぁ、こんな風になるんですね」
「マキちゃんが可愛いから、良く撮れてるよ」
「えへへ、ヤマさんのお陰ですよ」
撮影された映像をモニターで見せてもらう。マキがおだてれば、男はいかつい顔を崩してデレデレとする。
怒鳴り散らしている姿ばかり見ている部下は、変わり果てた男の姿に唖然としているようだ。
マキはヤマさんを筆頭に、スタッフたちに愛想を売りまくった。裏方の人間には、どれだけ媚をうっても損はしない。
彼らに気に入られれば、それだけ仕事は有利になる。
狭い業界だ。違う機会に、別の仕事を一緒にやる可能性は十分にある。だから撮影が終わった後であっても気を抜いてはならないのだ。
◆
マネージャーが先に待っている駐車場へ向かおうと一人で廊下を歩いていると、マキは小山内千枝と再び遭遇した。
一人で廊下に立っている。誰かを待っているのだろうか。
前世でも、何度か彼女と共演したことがある。
凄い女優だと思う。
黙って立っているだけでも絵になるのだ。こうして廊下に立っているのも、まるで何かの撮影のようにすら思えてくる。
もちろん、見た目だけではない。実力に裏打ちされた演技が、彼女の華をこれでもかと際立てている。
「今日はとっても楽しかったです!」
「それは良かったわ」
千枝の言葉は肯定的なものだった。しかし、その聞き取りやすい声の奥に、なぜか敵意を感じた。
疑問に思っていると、「ところで」と切り出し始める。
「あなたは……誰なのかしら?」
「私は私ですよ?」
哲学問答だろうか。
ベテランの役者は癖が強くて厄介だ。
「初めは気が付かなかったわ。凄い自然だったから。まさか、あなたがずっと『無邪気な子ども』を演じていたなんて」
その眼差しは確信しているものだった。
「気づく人がいるとは思わなかったです」
まだまだ精進が必要だと自省する。
前世の知識と経験を活かしてスタートダッシュ。転生という奇跡を経験したこと。そして、少女の身体に元来備わっていたのであろう天性の役者としての才能。
あらゆる点が役者としての魅力を後押ししていた。故にマキにも少し奢りがあったのかもしれない。
――今の自分に役者として勝てる者はいないのだ、と。
「私は役者の世界を生き抜いてきたの。その先に待っているなにかを追い求めて必死で足掻いてきた。その境地にはまだたどり着いていないけれど、誰よりもそこに近づいていたと思うわ。だから、気づくことができた」
怖いおばさんだ。
迫力が尋常でない。普通の子どもなら絶対に泣く。
幸いというべきか、マキは普通の子どもではない。
「いつかまた、あなたと共演したいわ」
「光栄です」
「きっとあなたとなら、私は、まだたどり着けない『その先』にたどり着ける気がするの。だからそのときはよろしくね」
小山内千枝は手を差し出した。
マキと千枝の2人は笑顔で握手をかわす。
しかし、互いにその目は笑っていない。お前を全力で叩き潰すと言わんばかりに視線をぶつけあい、小山内千枝は颯爽と去っていく。
さすがは役者の世界で生き抜いてきた女優だ。
「遅かったじゃないか。何かあったのか?」
車の中で待っていたマネージャー・松原浩二が尋ねた。
彼は優秀な男で仕事はきっちりこなすものの、面倒くさがりでもある。
マキが売れれば売れるほど余計な仕事が増えそうだとぼやくような男だが、一応心配してくれているようだ。
「小山内千枝さんと話してました」
「失礼なことしてないだろうな。いや、お前なら心配ないか」
「人でも殺せそうな眼力で睨まれました」
「マジかよ」
「小山内千枝さんって凄い人ですね」
「そりゃー、超大御所だしなぁ」
「まだまだ学ぶこともたくさんあるんだな、と改めて感じました」
「お前でも、そうなのか」
「はい。まだまだですよ。ほんと」
◆
「映画のオーディション、受かってよかったね」
朱里は軟式の野球ボールを投げる。
ぼてぼてと転がったボールを、娘のマキは左手につけたグローブでキャッチした。
「余裕だったね」
マキはえっへんと胸をはり、ボールを下投げでゆっくりと投げる。
遅い山なりのボールであるが、朱里はあわあわと慌てていた。ボールの到着地点ではなく、現時点でボールが見える場所にグローブを掲げ、ボールの動きに合わせてグローブを動かしている。
素人丸出しの動きで、案の定捕球に失敗して後ろに逸らしてしまう。
「あ、あぁ!」
朱里が転がったボールを追いかける姿を見ながら、ため息をつく。
2人で公園でキャッチボールをし始めた理由は、朱里の提案だ。
誰かに何かを言われたのか、突然キャッチボールをすることになった。
たまたま隣人のおばあちゃんが、息子たちが使っていたグローブと野球ボールを持っていたので借りて使っている。
「ちょっと失敗しちゃった。次はちゃんとやるからね!」
ふんす! と気合を入れながら、朱里がボールを投げる。
今度は明後日の方向に飛んでいく。大暴投だ。
「あ、あれ?」
山下マキという少女は運動神経も抜群だ。
暴投されるやいなや、走り出して飛びつき、暴投ボールをキャッチした。
「凄いね!」
「折角お母さんが投げてくれたんだから捕らないとね」
「マキ! お父さんでしょ!」
「えぇ……」
「今日はお父さんをやるよ!」という謎の宣言とともにキャッチボールが始まった。
彼女は自信たっぷりに今の私はお父さんだと宣言している。その設定にあわせて完ぺきな演技をすることもできなくはないけれど、きっとそれは正しい反応ではないのだろう。
「マキの家族は私だけだけど、私がお母さんもお父さんもやるからね!」
「ありがとうお母さん……それとお父さん」
「よくできました!」
「でも、急にどうしたの?」
「なんだか急に、マキが遠くに行っちゃった気がしたの」
マキは、メグレーヌのCMに出て一躍有名人となった。
CMは放送と共に大きな話題を呼び、それが功を奏したのかメグレーヌも大ヒット商品になる。
立役者の一人であるマキは他にも様々なドラマや映画の脇役として出演するようになり、視聴者にインパクトを与えている。
名前を知らなくとも、テレビで見たことがある、と大半が思う程度の知名度は既にあった。
そして今回ついに、映画で主役デビューが決まったのだ!
「最近よく聞かれるんだ。娘さんをどうやって育てたんですかって。でもいつも私は答えられない。だってマキは最初から凄かったから。なんだかちょっと怖くなっちゃって……。私って酷い親だよね、えへへ」
その怖さは、本来なら味わう必要がなかったものだ。
転生者という異物が混ざらなければ、そんな恐怖は存在しなかっただろう。
でも転生してしまったという事実は覆せない。であるならば、マキには母の朱里を安心させる義務がある。
「何があっても、私は、山下マキはお母さんの娘だよ」
マキは朱里に抱き着いた。
運動したせいか少し汗ばんだ匂いがする。でも、その匂いはまったく不快には感じなかった。
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