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日本を代表する女優、小山内千枝。彼女は今回のCM撮影に乗り気ではなかった。
メグレという会社が嫌いな訳ではない。むしろ返しきれない恩がある。
監督にも不満はない。以前彼の作品に出た際には、若いのに素晴らしい監督であると感じた。
再び出演させてもらうことを望みこそすれ、否定の材料にはならない。
「今度のCMはどうなるのかしら……」
思わず呟く。CMの出来に不安があった。
大倉監督が作るのだから、間違いなく良いCMになるだろう。
それでも、千枝の求めるレベルにはならないはずだ。
(どうしてもこだわってしまう……)
かつて千枝はメグレのCMに出演した。
まだ右も左も分からないままの撮影だったが、出来上がったCMは一世を風靡し、初代メグレーヌは大ヒット商品となった。
千枝もそれを切っ掛けとして大人気の子役となる。
日本一の原石と評され、映画やドラマ・バラエティに引っ張りだこになり、当時の日本で最も忙しい子どもだっただろう。
芸能生活の原点とも言えるCMだ。
だから半端な出来になることを許せない。
スポンサーからの潤沢な資金。若き優秀な監督。そして大女優、小山内千枝。
業界の人間からも注目されているCMだが一つ不安があった。共演する子どもだ。
様々な作品に出てきた千枝は、子役との共演経験も豊富である。
最近の子役事情なども知っていた。
(どうしても、我が弱いのよねぇ)
千枝が子どもだった頃と比べると、演技力は遥かに上だ。
だが、小さく纏まっているように感じてしまう。
皆悪い子ではないのだ。遊びざかりにもかかわらず、真面目に役者という仕事に打ち込んでいる。
(彼らでは足りない)
千枝と対等に成り得るような輝きを持った子が必要だ。
せめてかつての千枝と同じ程度には巨大な原石が欲しい。
高望みであることは理解している。
子ども時代の己の凄さを、その魅力を、千枝は誰よりも分かっていた。
大人になってから、何度も押しつぶされそうになったほど、小さな頃の輝きは特別だった。
そんなスペシャルな子どもは簡単に現れるはずがない。
不安を抑えきれずにいると、マネージャーから電話を渡される。
相手は大倉監督であった。
どうしても話したいことがあるとのことだ。一体何の用だろうか。
彼は興奮した様子で言った。
「メグレーヌのCMのオーディションをしていたんですけど、面白い子が見つかりました!」
「どんな子かしら」
「失礼を承知で言わせてもらいます。日本一の原石と呼ばれていた、当時の小山内さんをも超える原石です。きっと凄いCMが撮れますよ!」
早口でまくし立てる彼の言葉を聞いている内に、千枝が抱く不安は期待へと変わっていく。
「早く会ってみたいわね」
◆
「ただいま、おばあちゃん」
「よく帰ってきたねぇ」
孫娘が久しぶりに祖母の実家へと戻る。
「今日はとっておきのお菓子があるの」
祖母が木製の食器棚に近づいた。
下部の引き戸を開けて、中に入っていた大皿を取り出す。その皿の上にはクッキーがのっていた。
二人は仲良く一緒にクッキーを食べる。
「美味しい」
「ウマイ!」
祖母は懐かしそうに、孫娘は初めて食べたお菓子に感動して、それぞれが心の底から美味しいと言う。
同時に喋った二人は互いに見つめ合い、そして笑った。
様々な経験を重ねてきた老婆と、まだ何も知らぬ少女だ。二人の笑う意味は異なるだろう。
それでも不思議と二人の笑顔は似ていて、家族の絆を見る側に感じさせた。
――彼女たちが、出会ったばかりの役者同士に過ぎないことを一体誰が信じるだろうか。
「……は、はい、カット!」
誰も彼もが二人の演技に見入ってしまっていた。
いち早く我に返った大倉竜也がカットの声を出すことで、ようやくスタッフたちも動き始める。
「凄いのできるんじゃないですか、監督」
「あぁ、これは来た……来たよこれ!」
未来の巨匠と評される彼は、興奮すると「来た」とか「来てる」という言葉を連発する。
要するに、大絶賛ということだ。
竜也のイメージ通り、どころではない。イメージ以上だ。
大女優・小山内千枝と、原石・山下マキ。この二人が予想以上に息が合っていた。
役者はどんな相手であっても、合わせなければならない。しかし、その中でも相性というものは存在する。この相手とならば、より良い演技ができる、という組み合わせはある。それは互いの演技スタイルであったり、演技観であったり、あるいは単純に好き嫌いであったりする。
彼女たち2人にどういうシンパシーが働いたのかは分からないが、これ以上なくカッチリとハマっている。
竜也から見ても、2人は本当の家族のようにしか見えなかったし、互いに互いが、家族として愛し合っているのだと分かる。
きっと素晴らしいCMになる。竜也はそう確信した。
◆
編集作業も順調に進み、CMは無事完成した。
役者が最高を超える演技を見せたにもかかわらず、悪い作品になったとすれば、それは全て監督の責任だろう。
竜也は相当なプレッシャーを感じながらも、若き俊英と評される才能を遺憾なく発揮した。
「大ヒット間違いなしですよ!」
スポンサーであるメグレの社員が感極まって竜也に抱きつく。
竜也はCMの監督という仕事には2種類の客がいると考えている。
一つが視聴者であり、そしてもう一つはスポンサーだ。
今回の作品は両方を満足させることができる、と自信をもって言える出来栄えだった。
小山内千枝が多忙な仕事の合間をぬってCMの出来を確認しにきた。
わずか30秒にすぎない短い映像を見た後、彼女は呆気にとられたように笑う。
「本当に恐ろしい子ね」
「そうですね。あの子はいずれ凄い女優になるに違いありません」
「あなたは何も分かっていないわ」
「どういうことですか?」
「いつか遠い未来に成長して大女優になるんじゃないの。あの子は既にとんでもない役者よ」
竜也は山下マキに演技力を求めてはいなかった。
溢れんばかりの個性をそのままに撮影すれば良かった。
彼女の演技の実力はまだまだ素人レベルである。
そのはず、なのだ。
だが小山内千枝には、竜也が見えていない何かが見えているらしい。
竜也は首をひねる。一体何を見落としてしまったのだろうか。
「魅力がある子ですけど、役者としてはまだまだでしょう」
「演じていたのよ」
彼女は演技などしていなかった。
ただありのままに輝いていたはずだ。竜也は監督としてその輝きに魅入られ、極上の素材を活かしきったはずだ。
「どういうこと、ですか?」
「あの子に初めて会ったのはオーディションのときよね?」
「はい、そうです。一目見たときから、彼女の放つオーラに惹きつけられました」
「そのときには既に、演技をしていたの」
小山内千枝は、この世のものではない恐ろしいなにかに遭遇したかのように震えた声で語る。
「あなたが求めるイメージを寸分違わず読み取って、純真爛漫な少女を、日本一の原石を、あの子は見事演じきった。そしてあなたは、いえ、私を含め、誰もが彼女に騙されたってわけね」
「そんなこと、可能なんですか?」
「たった5歳の少女にできることじゃないわね。私でもできるかどうか」
「仮に可能だったとして、どうしてそんな真似を? そんなに凄い演技力があるのなら、普通に演技すれば合格だったのでは?」
「あなたが子役の演技が嫌いなことを知ってたんでしょ」
「あー、いや、まぁ確かにそうですけど」
竜也は最初から、演技が上手な子どもを採る気がなかった。
彼女の言葉が本当であれば、竜也の考えを見抜いて騙しにきたのだ。なんと末恐ろしい少女だろう。
『原石の山下マキ』という演技を信じ込まされていた。
天才。いや、怪物という表現が相応しいかもしれない。
その才能は芸能界にどんな影響を与えるだろうか。
(面白いじゃねえか!)
原石だと思っていた少女は、鉱山もろとも破壊するダイナマイトのような怪物だった。
負けてられない。この日から、大倉竜也はより一層、その才能に磨きをかけていくのであった。
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