4-2
自分から首を突っ込んだとはいえ、余計な道草をしてしまった。
折角3日ぶりに始業時間から出席できそうなのだ。仕事が入っていないのに遅刻することは避けたい。
全力で走り、校門前に到着する。
校舎についている大時計が示すのは始業5分前だ。
ギリギリで間に合った、とホッと一息をつく。
「うわ、山下が遅刻してねぇ! 今日は雨降るぞ!」
クソガキ感溢れる男の子が傍を走って通りすぎていく姿を見ながら、マキはため息をついた。
出演する作品のほとんどが大ヒットとなり、順風満帆に見えるが、私生活は順風満帆とは言えない。
母の朱里の心配通り、マキはクラス内でちょっとしたイジメを受けているような状態だった。
その原因というか、切っ掛けの一つが彼・水島颯太にある。
「絶対雨だぜ!」
嬉しそうに走っていく彼は、そんなことには気が付いていないのだろうが。
◆
小学生というのはまだまだ未熟な子どもだ。
だが高学年にもなってくると多感になっていき、扱いは難しくなる。
小学校の子どもたちにとって、山下マキという存在は異物だ。
今までは問題はなかった。5年生になるまでは少し距離感はあったかもしれないが、排斥するにはいたらなかった。
「今日は途中で帰らないのか?」
「うん、最後まで授業を受けられて嬉しいな」
「そ、そうか」
休憩時間に水島颯太が話しかけてくる。
小学生は子どもだ。だが5年生にもなれば、人それぞれではあるものの、性を意識しはじめる年頃だ。
そしてマキは颯太から好意を寄せられている。
「なにニヤニヤしてんだよ」
「う、うっせーな、そんなんじゃねえよ」
近くにいた男子が颯太をからかう。
クラスメイトの男子から山下マキはモテる。
他の女子と比べて男子を馬鹿にしたり、邪険にしたりせず、男子の事情を考慮しながらしっかりと向き合ってくれるのだ。
年上のお姉さんを好きになるような感覚だろうか。
余談だが、マキの同級生の男子は将来、年上と結婚する比率が妙に高かったという。
ところで、小さいころは女性の方が成長が早いとはよく聞く話だろう。
これはマキのクラスにも当てはまる。
男子たちよりも、女子たちの方がより、性に対する関心が高かった。
そんな状況で男子からの人気をかっさらうマキの存在は邪魔ものでしかない。
「俺は山下がサボらないか気になっただけだ」
水島颯太は顔を真っ赤にしながら、ぶつくさと呟いている。好意があることが丸わかりだ。
クソガキな水島颯太だが、彼はイケメンサッカー少年でもある。
本人は全く気がついていないが女子からの人気が高い。
そして、厄介なことにクラスの女子の中でリーダー格の上大内麗子(かみおおち・れいこ)も、彼に好意を抱いている。
◆
「はい、二人組つくってー」
小学校の体育の授業はまだ男女別々にはなっていない。
とはいえ両者に照れがあるのか、先生に二人組を作るように言われたところ、自然と男女別々になった。
男子の総数は偶数、女子の総数は奇数だ。二人組を作った場合、女子が一人余る。
そうなると、あぶれてしまうのは絶賛女子から嫌われ中のマキだ。
「山下さんは先生と組もっか」
「はい、お願いします」
先生たちが深く考えずに言ってしまう二人組作成は、子どもにとっては厄介な問題だ。
親しい者がいない子どもは、自分には友だちがいないと認識させられてしまう。三人グループの子どもがいれば、一人が除け者になって気まずい思いをすることもある。
「山下一人じゃん。だっせー!」
「うん、一人になっちゃった。それとも水島くんが私と組んでくれる?」
「ば、ばかじゃねーの! 誰がお前なんかと……」
普通の子どもにとって、学校とは良くも悪くも大きな存在だ。少しの人間関係の悪化で、時には自殺を考えたり不登校になってしまったりするほどに、子どもの心に大きな傷をつける。
だがマキは転生者だ。普通とはほど遠い。
自分が余りものになっても特に気に病むことはなかった。
体育の授業も無事終わり、着替えるために更衣室へと戻る。
(ん?)
麗子のグループたちから注目されている。
その目には悪意が宿っていた。
どういうことだろうと思いつつも、相手をせずに着替えようと着替え袋を取り出す。
「おぅ……」
着替えの制服がズタズタに切り裂かれていた。
なんと典型的な犯行だろうか。
体育の授業中は更衣室は施錠されるため、犯人は外部犯ではなく、クラス内にいる。
体育の授業が始まったときを思い返してみれば、最後にやってきたのは麗子たちだ。
「ふふっ」
あまりに杜撰な犯行に思わず笑みがこぼれる。
小学生の浅知恵だろう。犯人が丸わかりだ。
あるいは、そもそも隠す気もなかったのかもしれない。
「あら、どうしたのですか?」
「制服が汚れちゃったみたい。今日は一日体操服だね」
ニヤニヤと嘲り笑いながら近づく麗子を、素っ気なく突き放す。
一々相手にしても逆効果だ。
「ま、待ちなさい!」
思ったような効果が得られないことで、怒りを覚えているようだ。
このまま諦めてくれたら楽なのだが、随分としつこそうである。
(何か良い方法はないものか……)
解決策を思案しつつ、決定的な考えにはいたらない。
本気を出せば、イジメであっても完全に粉砕することができるだろう。
とはいえ、それもさすがに大人げないだろうなと思い、時間が解決してくれるだろうと無視を決め込んでいた。
◆
体操服姿で教室へと戻る。
教室に入れば、当然ながら他の生徒たちはみな制服に着替えている。
事情を知らない男子たちはザワつく。
主犯グループはニヤつき、見て見ぬフリをする女子はマキの方を見ないようにしている。
そして空気が読めない少年、颯太が笑顔で近づいてくる。
「なんで体操服なんだよ」
「制服が汚れちゃったから」
「汗の匂いがする」
なんというデリカシーのない少年だろうか。将来が心配だ。
他の女子であれば、「さいてー」と軽蔑するような行為であるが、マキは別に怒ったりはしない。
転生し、かつて男だった者としての余裕と理解があるのだ。
「山下の匂いだ」
「なにそれ」
颯太がマキの身体に顔を近づけて、鼻をクンクンさせている。
そのやり取りは、周りからすれば完全にイチャついているようにしか見えない。
「ぐぬぬ」
金持ちお嬢様の麗子が、ハンカチを噛んで下に引っ張り悔しさを表現していた。
◆
マキは仕事場へと向かうために学校を早退する。
送迎役の松原浩二が校門前に車を止めて待っていた。
「なんで体操服なんだ?」
「同級生に制服をズタズタにされたから」
「うげっ、イジメか……」
「子役にはよくある話だよ」
子役として活躍する子どもたち。彼らは家庭と学校の少なくともどちらかが上手くいっていないことが多い。
休みがちな子役をクラスメイトの子どもたちがイジメたり、親が子どもの稼ぎを使って浪費したり、そういう話は良く聞くものだ。
マキがイジメに遭ってしまったことも、当然の結果と言えるかもしれない。
「まぁ可愛いものだから」
「結構えぐいんじゃないか?」
「犯人も分かっているから問題ないって。むしろ変態教師に盗まれたりする方が嫌だから」
「そんな教師もいるのか?」
「うん、いるよ。そういう視線には敏感だから分かるんだ」
「世も末だな」
色々な便宜をはかってもらうために、大人には愛想をふりまくようにはしているが、邪な気持ちを抱かれることはお断りだ。
節度を守ってくれているなら構わないが、一線を踏み越えてきそうなロリコンの教師とは距離を取るように心がけている。
「松原さんが時々私をイヤらしい目で見ていることも気がついてるよ」
「えっ……いや、見てないから!」
「じゃあそういうことにしておくね」
クスクスと笑えば、浩二は困ったように、それでいて嬉しそうに顔を赤らめている。
面倒くさがりな癖して、Mっ気ありという扱いづらい男だ。
とはいえ昼行灯な彼は元来優秀であり、上手く転がしてしまえば非常に便利なマネージャーになる。
マキは結構な長い時間を浩二と共に過ごしているため、その扱い方をよく理解しているのだった。
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