おっさん、転生して天才役者になる

ほえ太郎

1-1

 山下太郎、47歳。バツイチ。しがない役者だ。

 どんよりとした雲の下、とある住宅街の坂道。ドラマ『空の向こう』のワンシーンが撮影されていた。

 車が一台通れる程度の広さの道に十数名の人間がいる。

 役者は私と、主役の女優の2名。残りは裏方だ。

 照明・音響・小道具・撮影、様々なスタッフたちが、ほんの短いシーンを撮るために集まっていた。


「はい、カット」


 私が演じるのは派出所勤務の警官だ。

 うだつのあがらない警官は、主人公の女子高生の前に偶然現れてはどうでもいい話をする。その会話が、時に問題解決の糸口となったり、余計に混乱する原因となったりする。

 要するに話を進めるための舞台装置だ。この警官が存在しなかったとしても物語の本筋に影響はでない。

 完全な脇役である。だが脇役であったとしても妥協した演技は許されない。

 必死に台本を読み込み、監督の過去の作品を何度もチェックし、役作りには自信があった。

 私の渾身の演技はしかし、監督の心には響かなかったらしい。

 監督はアウトドア用の折りたたみ椅子に座り、撮影された映像をモニターで確認している。

 そして、ため息をついた。


「なーんか違うんだよねぇ。もっとこう、ウベーって感じが良いんだよ」


 何日もお風呂に入っていないのか、ボサボサとかさついた髪をかきながら言う。

 良く分からない指示だ。

 監督という立場の人間は分かりやすい指示を心がけねばならないと思う。だが現実は意味の分からない指示も多い。

 感覚派だとか、芸術肌だとか、そういうタイプの監督の指示は特に厄介である。

 監督の描くイメージを上手く読み取れるかどうかも俳優としてのスキルなのだろう。


「うーん、もっと自然な感じで頼むよ」


 色々と演じ方を変えてみるが、何度トライしてもOKが出ない。

 完全にどツボにはまったパターンだ。一度はまってしまえば抜け出すことは難しい。

 そのあたりの機微は監督も良く理解していて、いったん休憩を挟むこととなった。

 最悪である。

 スタッフたちに「すいません、すいません」と会釈した。

 彼らも気をつかってくれて、気にしないで良いよと手を振ってくれている。冷や汗が止まらない。

 主役の少女、立川佐奈は小道具担当のスタッフから手渡されたペットボトルの水を口に含んでいた。

 

(綺麗な子だなぁ)

 

 一般的な女子高生の制服姿で水を飲んでいるだけなのに、思わず目を奪われてしまう。

 彼女には華がある。

 例えば、私が街中を歩いたとして、私の存在を気にするものはいない。

 だが彼女の場合は、彼女が女優であることを知らない者であっても、きっと見惚れてしまうだろう。

 若手女優の注目株である彼女は既に何本も主役を担っている。

 演技は凄い上手という訳でもない。だが彼女には華がある。

 女性が憧れ、そして男性が惚れてしまう、生まれもっての美貌だ。どれだけ望んでも私には手に入らないものだ。


「ごめんね、佐奈ちゃん」

「いえ、全然大丈夫です! わたしもこの前、何度も監督にリテイクされましたし、お互い様ですよ」


 佐奈ちゃんは微笑んだ。私のせいで何度も同じ演技をさせられているというのにむしろ余裕すら感じられる。

 なんと劣等感が刺激されることか。

 自分の失敗談を語り、こちらを気遣ってくれている。


「そう言ってもらえると助かるよ、あはは」


 私にできることといえば愛想笑いをして誤魔化すだけだ。

 まさに、哀れなおっさんだ。


「それだよ、それ!」


 監督が立ち上がり、台本の冊子を丸めてこちらに向けていた。

 突如大きな声を上げた監督に、皆が驚いて作業を止めた。そして監督が指し示す方角、つまりは私に意識が集まる。


「凄く良いよ」

「えっ?」

「今の佐奈ちゃんと話してる感じがイメージ通り!」


 監督の言葉を理解するのに時間がかかった。

 私は一切演技をしていなかったからだ。

 撮影シーンが終わっても役を引きずる俳優もいる。その役になり切ることができるタイプだ。私は彼らのようにはなれない。培ってきた技術で、役を表現するタイプだ。だから休憩時間である今は、何も演技していなかった。

 どういうことだろうか?


「ようやくうだつのあがらない警官役が掴めたみたいだね、すっごく自然だ!」

「は、はぁ……」


 要するに、演技をしていないありのままの私は、監督が想像する『うだつのあがらない男』通りだったということだ。

 失礼極まりない。

 悔しさと怒りがふつふつとわいてくるが否定の言葉はでてこない。

 真実だからだ。

 家庭を捨てて演技の世界に全てを捧げつつ、それで得た立場は脇役に便利な俳優。どれだけ努力しても、主役にはなれなかった。皆、役者としての実力を評価してくれる。でも、その後についてくる言葉がある。それは華がない、というものだ。単純な美醜もそうであるし、演技に関しても『上手いだけ』なのだ。憧れ、夢見た人のようにはなれなかった。ドラマの視聴者は誰も私の名前など知らないだろう。


「さすがですね、山下さん!」


 佐奈ちゃんの目がキラキラと輝いている。尊敬してます、といった風だ。

 いかにもわざとらしい。やはり、彼女はあまり演技が上手ではない。

 マネージャーから、先輩(脇役しかできない俳優であっても)を敬うようにキツく指導されているのだろう。

 分かりきったお世辞であっても嬉しく感じてしまうのは、佐奈ちゃんに華があるからだ。あざとくても、それが魅力となる。羨ましいことだ。


「よし、休憩終了だ。みんな準備して」


 監督の一声とともに、休憩していたスタッフたちが準備を始める。

 それぞれに談笑していた彼らはすぐに気を引き締めた。

 ドラマの撮影とは、俳優だけが頑張るものではない。全員が一丸となって生み出していくものなのだ。


「佐奈ちゃんももうひと頑張り頼むね」

「はい!」

「元気でいいねぇ。降りてきてるよ、佐奈ちゃん」

「ありがとうございます!」


 降りる、という言葉はこの監督の口癖だ。

 関係者曰く、監督の最高の褒め言葉であるらしい。いつも最高とは程遠い私はいまだその言葉を貰ったことがない。

 私と佐奈ちゃんも持ち場につき、助監督の一人がカチンコをならしてテイク10、つまり10回目の撮影が始まった。

 何の役を作ることもなく、素の自分で撮ったシーンはなんと一発でOKが出た。

 今までの苦労はなんだったのだろうか、と呆けていると監督に声をかけられる。


「降りてたよ、山下くん。僕のイメージ通り、いや、イメージ以上の演技だった」

「私は何も演じなかったんです。ありのままの自分が、うだつのあがらない男だっただけです」

「君はありのままの自分をさらけ出した。それは役者にとって大事なことだよ」

「そう、でしょうか」

「そうだとも! 役者として一皮剥けたんじゃないかな」

「はぁ……」


 かつて体験したことがないような評価だ。なんだか実感がわかない。

 監督が嬉しそうに去っていき、その後ろ姿をしばらくぼーっと眺めていた。

 そして今日の撮影が終わり、誰もいない家に帰る途中、笑いがこみあげてきた。


「ふ、ふふ」


 パンツを脱ぐつもりで演技なさい。昔、ワークショップの講師が言っていたことを思い出す。演じることに必死でそんな単純なことも忘れていたのかもしれない。

 きっと私は今日、初めて人前でパンツを脱いだのだ。

 心が晴れ晴れとしている。不思議と足取りも軽やかだ。

 ふと、夜道に輝くコンビニの看板が目に入って立ち寄る。

 

「ありがとうございましたー」


 ビールを一缶購入した。

 普段は打ち上げや宴会、あるいは知人や友人との飲み以外でお酒を飲むことはない。

 だが今日は特別だ。自宅で一人祝勝会だ。

 駅から自宅へ向かう途中、いつものように公園の中を通って近道をする。

 夜中の公園はひっそりとしていて、浮浪者がゴミ箱をあさったり、やんちゃな子どもたちがたむろしている姿が見えるぐらいだ。

 彼らの存在によく苛立ちを覚えていたが、今は大らかな気持ちでいることができる。

 

「きゃぁぁ!」

 

 女性の悲鳴が聞こえた。

 なんだろう?

 気分が浮ついていたせいか、野次馬根性を発揮して声がした方向へと足を運ぶ。

 

「なんのつもりよ!」

「ずっと一緒だって、君は言ったじゃないか」

「そんなのただの言葉の綾じゃない。あんた、気持ち悪いのよ」

「俺の元からいなくなるぐらいなら、いっそここで君を殺して俺も死ぬ」

「ほ、本気で言ってるの?」

「俺は君に嘘を一度もついたことがないだろう?」

「ひっ」

 

 公園の入り口で男女が揉めていた。

 痴情のもつれなのだろう。別れ話に激昂した男が、女に包丁を突きつけているようだ。

 男は狂ったように笑っている。本気で刺しかねないと感じた。

 

「落ち着きなさい」

 

 女を庇うようにして、男女の間に割って入った。

 

「なんだお前は」

「助けて!」

 

 男は困惑している。

 女は突然現れた助けの手に驚いていたようだったが、すぐに私の背後に隠れる。

 

「お前か……お前が彼女を奪ったのか!」

「えっ……いや、違います。落ち着いてください」

「死ねぇぇ!」

 

 トスッ。

 身体に衝撃があった。

 すぐには事態を把握できず、状況を理解するよりも先に痛みが襲った。

 

「ぐっ」

 

 我に返った男が包丁を抜き取り、少し唖然としていたかと思えば、包丁を捨て去って逃げだした。

 女も「ご、ごめんなさい」と謝罪しながら、どこかへ走り去っていく。

 せめて救急車ぐらい呼んでほしい。

 まともに息をすることもできず、激痛に悶絶しながら膝をついてうずくまる。

 腹部を見ると血が流れるように溢れ出ていた。両手で傷口を抑えてみるが効果はない。命の源が零れていく。

 徐々に意識が薄れていく中、私が考えていたのは演技のことだ。

 刺される、とはこんな感覚なのか。次の芝居に活かせそうだ。

 ふと、我に返って自嘲する。

 こんな命の瀬戸際に芝居のことを考えるなんて、

 

「まるで、本物の役者みたいだ……」

 

 そして、私は意識を失った。

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