1-2

 私は死んだ。

 無謀にも痴話げんか中のカップルの仲裁に入った結果、激情した男に刺されて死んだ。

 そのはずなのに、なぜ私にまだ意識があるのだろう。

 奇跡的に一命を取り留めたのだろうか。いや、そういう訳でもなさそうだ。

 今の私にはあらゆる感覚が存在せず、ただ意識だけが残っている。魂だけの存在となっていることがなんとなく分かるのだ。

 私は無神論者であり、魂など信じてはいなかった。

 人間の意識とはすなわち、電気信号の複雑な集合体であり、それが途絶えたときには、人の意識は無になるものだと思っていた。

 だが、違っていたようだ。

 

 魂は存在する。これは世紀の大発見である。

 死後の世界は生者には分からない。死者の大発見を生者に伝える手段はない。数多の死者たちが、私と同じように偉大なる発見をしてきたのだろう。

 だが、魂だけとなった私はこれから一体どうなるのだろうか。

 見ることも、聞くこともできず、身体を動かすこともできない。

 ただ意識だけがある世界はまるで牢獄のように思えた。

 終わることなき、魂の牢獄だ。

 

 

 

    ◆

 

 

 

 ――。

 

 

 

    ◆

 

 

 

 この感覚はなんだろう。

 何か安心するような、暖かくなるような、そんな感覚がする。

 はて、私は魂だけとなったのではなかったか。

 どうして感覚が存在するのだろうか。


「早く生まれてきてね」

 

 はっきりとは聞き取れないが、誰かの声がする。

 女性の声だ。しかも妙に安心感がある。愛情がこもっているのだ。まるで妊娠中の母親が、お腹の中の子どもに声をかけたような感じだ。

 その声を聞くだけで、私はここにいていいのだと心の底から感じることができる。

 そこまで考えて、ようやく気付く。私は生まれ変わったのだ。

 私は魂となり、永劫のときを過ごした。

 あるいは永遠にも等しい時間を過ごしたと感じているだけで、実際には一瞬のことだったのかもしれない。なにも存在しない無は、私から時間という感覚を奪い去っていたのだ。


 とにもかくにも、男に刺されて死んだ私は、魂だけの存在となり、そしてまた受胎したのである。そして私が誕生し、私の時間の流れは再びゼロから始まったのだ。

 いったいどういう縁か。私は転生を果たした。

 

 私は私である。

 私という連続性を保った魂は、しかし、既に山下太郎であったころとは大きくかけ離れている。

 永遠にも等しい時間を魂の牢獄ですごし、魂は変化していった。私の魂は山下太郎とは縁があるが、既に山下太郎そのものではない。

 そして、新しい両親の子どもとして本来誕生するはずの真っ新な魂でもない。

 

「待ってるよ、マキちゃん。元気な子になってね」

 

 母であろう声が響く。

 私は彼女から無償の愛を感じ取っていた。

 転生し、数奇な身となってしまったが、私は彼女の子どもになったのだ。

 演じてやろう。本物の子どもではなく、ニセモノに過ぎない私だが、彼女の子どもになろう。無垢であり、少しずつ成長していく魂を演技するのだ。

 それが、牢獄から救い出してくれた者へのお礼だ。

 幸いというべきか、私の前世は役者だ。演じることは得意なのだ。

 

「あっ、動いた」

 

 母はお腹を手でさすっている。

 とある感覚派の監督から演技の指示をされたときに、「胎児になった気分で」と言われたことがある。

 そんな気分が分かるか! と内心で反発していたが、今ならその感覚がよく分かった。

 私は母の大いなる愛に包まれているのだ。

 

 

 

    ◆

 

 

 

 とある雑誌の見習い編集者である松井沙也華は緊張で倒れそうだった。

 生きる伝説とさえ言われる女優、山下マキの単独インタビューをするように言われたからだ。はっきり言って荷が重い。

 若手の役者へのインタビューなどは既に経験があるが、彼女が任されたのは業界の超大御所の相手である。

 序盤の雑魚キャラを倒してレベルアップをしていたと思ったら、いきなり世界を支配するラスボスに遭遇したような状況だ。

 

「やっぱり、私には無理です」

「取って食われる訳じゃないから心配するなって」

「交代してくださいぃ」

「社長命令だから代われない」

「そんなぁ」

「最近自信がついてきたって言ってたじゃないか」

 

 自信がついていたのは確かだ。

 仕事も、ついでにプライベートも上手くいっていて、人生満帆であった。

 だが好事魔多しというやつだろうか。とんでもない障害にぶち当たったと言える。

 

「相当怒らせない限り、会社が傾くこともないから大丈夫だ」

「えぇ……」

 

 言い換えれば、相当怒らせてしまえば会社が傾くということだ。

 もしも彼女の機嫌を損ねてしまったら……。様々な想像が脳裏をよぎり、身体がぶるりと震える。

 

「ほら、早くしないと遅れるぞ」

「は、はい」

 

 沙也華は処刑される罪人の気持ちで取材場所へと向かう。

 取材場所は、山下マキが現在撮影中のドラマの控室だ。

 沙也華の予想とは裏腹にインタビューは順調にすすむ。

 ドラマの見所はなんですか。ドラマのキャラクターとの共通点はなんですか。などと定番の質問を次々とこなしていく。

 無難な質問に対しても、山下マキが冗談を交えながら面白おかしく答えてくれる。

 沙也華の硬かった表情も徐々に柔らかくなっていった。

 

(このまま行けば、順調に終わりそう!)

 

 沙也華は油断していた。

 次の質問をするまでは……。

 

「今回のドラマの撮影をしたなかで、辛かったことはなんですか?」

「……この私が手こずることがある、と?」

「えっ」

 

 和やかに微笑んでいて、『あぁ、将来歳をとったらこんなおばあちゃんになりたいなぁ』と沙也華が思ってしまうような女性だった山下マキの笑顔。それが突然変化した。

 いや、笑顔自体は変わらず、内面にある感情が変化したという方が正しいだろうか。

 笑っているのに、笑っていないのだ。

 

「あなたは、私がこの程度のドラマの撮影で手こずることがある、と本気で思っているのですか」

「いえ、そういう訳では……」

「どうしてそのような質問をしたのですか?」

 

 深い意図はない。使い古された常套句の質問である。

 どれだけベテランの俳優であっても、撮影現場における苦労話など、一つや二つはあると思っていた。

 だが、そんな常識的な物差しで測っていい相手ではなかった。

 日本一、いや、世界一の役者である山下マキのプライドを傷つけてしまったのだ。


「答えられませんか?」

「えっと、あの……申し訳ございません」

「私は謝罪を求めているのではなく、理由を聞いています」

「申し訳ございません! 山下マキさんであっても、撮影において苦労はある。そう思い込んで質問してしまいました」

「呆れましたね。上大内さんたっての頼みだから渋々受けたというのに……今後、上大内さんとの付き合い方も考えさせてもらいます」

「っ、ぁ、お、お待ちください!」

 

 制止も空しく、山下マキは去っていった。

 部屋の中で一人取り残される。

 上司が言っていた、会社が傾く事態になりつつあった。頭の中は真っ白だ。

 

 

 

    ◆

 

 

 

 自殺したらどうしよう。

 松井沙也華の上司である久方健吾は、冷や汗が止まらなかった。

 健吾が自殺の心配をしてしまうほどに沙也華は追い込まれていた。

 取材場所である控室に入ったとき、沙也華はパニックで放心状態であり、呼びかけてもしばらく反応しなかった。

 ようやくこちらに気付いたと思えば、健吾にしがみついて泣き始めた。

 

(気持ちは痛いほどに分かる)

 

 沙也華に共感していた健吾であったが、彼女が泣き疲れたころを見計らって、社長の元へ行くことを提案する。

 道中、沙也華はずっと俯いていて一言も喋らなかった。

 そして、社長室の前にたどり着き、ようやく言葉を発した。

 

「私、クビになるんでしょうか」

「そんな無駄なことはしない」

「……ですよね」

 

 ノックをして、社長に促されて扉を開ける。

 沙也華は社長への謝罪の言葉を色々と考えていたのだろうが、しかし、社長と共にいる人物を見て固まってしまう。

 

「松井さん、あなたはなんということをしてくれたのですか」

「ぁ、あぁ……」

 

 沙也華にとっては最悪の状況であろう。

 社長に謝罪をしようと思っていたら、怒らせてしまった張本人が居合わせているのだ。

 呆然として、その場に膝をついて崩れ落ちてしまう。

 彼女の元へと社長が歩みよった。

 

「お疲れさまですわ!」

「へ?」


 場違いなほどに明るい声で、社長が沙也華を労った。

 

「ドッキリ大成功!」

 

 いつの間にか、山下マキがプラカードを掲げている。

 何度見ても、違和感のある光景だ。

 

「ドッキリ……ですか?」

「わが社に損害を与えることなく、優秀な新人に思いっきり痛い目を味わわせる機会を作っているの」

「で、では、会社は傾かないのですか?」

「はい」

 

 悪戯っぽく笑っている社長と山下マキの二人の姿を見て、沙也華が安心したようにへたり込んだ。

 良かった、と小さく呟いているのが聞こえた。

 

「あなたの上司である久方さんも昔、同じ目に遭っているのよ」

「……知ってたんですね」

 

 ジト目を向けられる。

 これは上大内社長がプロデュースした通過儀礼であり、ちょっとした悪戯(受ける側としてはたまったものではないが)なのだ。

 余り知られてはいないのだが、健吾たちの勤める会社の社長と、山下マキは親友である。

 その親友のよしみで、社長は新人教育に山下マキを利用しているのだ。不躾な頼みだが、意外とノリが良い彼女は快諾しているらしい。

 天才役者が仕掛けるドッキリなど、たちが悪いにもほどがある。

 

「松井さんは久方さんより随分マシだったと思います。久方さんなんて、その場で泣き出したものだから、逆にこっちが困ってしまいました」

「そうだったんですねぇ」

「いや、それは、まぁ、お恥ずかしい」

 

 沙也華がニヤニヤとこちらを見ている。すっかり元気になったようだ。

 社長が仕掛けた悪戯のせいで、自分の株が妙に下がってしまった気がする健吾であった。

 当事者側からすると勘弁してほしい悪戯ではあるが、それ以上のメリットもある。


 社長が悪戯を仕掛けるのは、社長が優秀だと見込んだ人物だけだ。超高難関の入社試験を潜り抜け、同期の中でもひときわ抜きん出る者。まぁ要するにエリートであり、将来の幹部候補たちだ。

 彼らは優秀であり、同時に慢心もある。その驕りを一瞬にして粉々にしてくれる。ドッキリを受けた者はみな、その後一皮むけるのだ。

 トラウマものではあるが、そんな強烈な体験を糧にできるものだけを社長が選び取っている。


そして、もう一つメリットがある。ドッキリ被害者たちに対して山下マキが何かと便宜をはかってくれるようになるのだ。上大内社長よりも常識があるのか、タチの悪いことをしているという自覚はあるらしい。だからその償いもかねて、親しくしてくれる。

 世界をまたにかける超大物との縁ができること。それはこの業界に生きる者にとって、何よりも価値がある宝だ。

 

「ねぇ、松井さん。何か聞きたいことはありますか?」

「えっ?」

「変なことをした謝罪もかねて、一つ質問にこたえることにしています。当然、質問によってはオフレコの返答にはなってしまうけれど、どんな質問であっても答えます」


 その言葉に嘘はない。

 健吾もかつて、彼女に関する噂について質問をした。

 オフレコにはなってしまったが、その真相を語ってくれたのだ。しかも、予想していたより遥かに衝撃的な真相であった。

 沙也華がしばらく悩んだあとに口にした質問は意外なものであった。

 

「最初に演技をしたのはいつですか?」

「へぇ、それがあなたの本当に知りたいこと?」

 

 健吾は呆れてしまった。

 彼女が初めて演技をしたのは幼稚園のお遊戯会である。調べればすぐに分かることだ。

 

「良い質問です。上大内さん、この子、きっと大物になりますね」

「でしょう? 松井さんには期待していますから。久方さんにはもう少し頑張ってもらいたいですが」

「えっ、いや、あはは……頑張ります」

 

 今日は厄日だ。間違いない。

 しかし、なぜ調べればすぐに分かるような質問が、山下マキの琴線に触れたのだろうか。

 

「答えは生まれたときから……いえ、山下マキが生まれる前から、です」

「生まれる前も演技をしていた……と?」

「稚拙な演技でしたけど」

 

 この場において山下マキは一切の嘘はつかない。とするならば、まさに彼女は生まれながらの、天性の役者なのだ。

 彼女が子役だったころ、当時アニメや漫画で『転生』という概念が流行していたこともあり、インターネットの世界では、山下マキは転生者ではないかと冗談半分で言われていたらしい。


(まさかそれが本当だとでもいうのか……?)

 

 久方健吾は思わず唾をのみ込んだ。

 

「あ、これオフレコですから」


 そう言って、彼女は笑った。

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