5-1
その日、山下マキに関する記事が、ゴシップ雑誌の週刊レゲツに掲載された。
正確には彼女の記事ではない。
マキの母・朱里と、その元カレ・徹の記事だ。
国民的女優となり、娘にしたいタレントナンバーワンの座を保持し続ける彼女だが、しかし天狗になることもなく、関係者からの評判もとても良い。そのため、今まで大したゴシップが扱われることはなかった。
今回、初めてマキにかかわる大きなゴシップが記事となったのだ。
◆
「ただいま」
仕事を終えたマキは、マネージャーに送られて自宅に戻った。
この家にもずいぶんと慣れ親しんだものだ。市営住宅暮らしから、リッチなマンションに引っ越したときは、その差に戸惑ったものの、今となってはすっかり慣れ親しんだ我が家である。
「おかえり……」
母の朱里の声に元気がなかった。
落ち込んでいる原因はすぐに分かる。今日発売された週刊誌だ。机の上に無造作に置かれている。
「マキもきっともう知ってるよね?」
黙ってうなずく。
むしろ朱里本人よりも知るのは早かったろう。芸能事務所はゴシップに常にアンテナを張っている。マキもマネージャー経由で事務所から教えてもらった。
朱里は芸能界とは関わりがない。もしかしたらまだ知らないのではないかと思っていたが、どうやら何らかの形で知ったようだ。
「職場の人がこの記事のこと教えてくれたの」
「ひどいこと言われた?」
記事の内容がどこまで事実に基づくものなのか、マキには分からない。週刊誌の記事なんてそんなものだ。全くの嘘という訳ではないにしても、脚色しすぎて事実とはほど遠くなっていることも多い。
芸能界に携わっていると週刊誌の悪質な部分が分かってくる。彼らは1の真実を平気で10に誇張できる。人々はその誇張された10を与えられて信じてしまう。その10全てを信じる者は少ないだろう。でも火の無い所に煙は立たぬという言葉がある通り、その記事にもある程度の真実があるのだと勘違いしてしまう。
1の事実は10に誇張され、人々は5を真実だと思い込むのだ。
「みんな良い人たちだから。なるべく触れないでいてくれたよ」
「そっか」
「だから私の仕事は大丈夫。でもマキの仕事が……」
「私は大丈夫だよ! 確かに全く影響がないと言ったらウソになるかもしれない。でも、それで私の仕事がなくなったりはしないよ。私、そんなにやわじゃないから」
「マキ……」
「実際のところ、これは私のスキャンダルじゃないんだよ。冷たい言い方になるけど、私には関係ないことだから。私と記事の人との接点は全くない。血は繋がってるのかもしれないけど、それだけ。私の親は生まれたときからお母さんだけだもの」
多少騒がしくなることはあるかもしれない。それでも、山下マキという役者にとってダメージはほとんどない。
例えば両親が夫婦であり、疎遠になっているだけだとしたらマキも無関係ではいられない。だが男はマキを認知せず、朱里の元から去った。
マキにとって男は何一つとして関わりのない存在なのだ。
「私は記事の人を親として認めないし、これからもずっと赤の他人だよ。裁判するなんて喚いてるけど無駄だから安心して。こっちには事務所の凄腕弁護士がついてるしね」
芸能事務所お抱えの弁護士は、こういうことに慣れている。事務所が高い報酬を支払っているだけあり非情に優秀な人たちだ。
男は恐らく和解金をせびろうとしている。そんな男が手配できる弁護士程度に負けはしない。
「こんなスキャンダル程度じゃ、天才役者の道を遮れないから」
冗談めかして笑う。
山下マキは既に役者としての地位を実力で確保している。多少のスキャンダルでは揺らがない。しかも今回は彼女本人に何の瑕疵もないスキャンダルだ。事務所の中では、むしろ話題になって次回作の宣伝にちょうどいいという意見すらあった。
「これからも色々と言われるかもしれない。こういうのは尾ひれがついて広まっていくものだから。でも、辛いのは私じゃなくて、お母さんだから。私のことは気にしなくて大丈夫だよ」
母の朱里は芸能界とは縁がない。
子役の親はマネージャーがわりに仕事場に顔を出すことが多い。実質的に関係者になっているケースはよくあることだ。
しかしマキの場合は基本的に彼女自身と、マネージャーの松原浩二でやり取りしているため、朱里はマキの仕事にはかかわっていない。
だから、本当の一般人である彼女にとって、ゴシップ雑誌にあることないこと書かれてしまうのは相当つらいことのはずだ。
「私もできるかぎり協力する。事務所も全力で味方になってくれるから安心して」
「うん」
「もしも相手が話したいって言ってきても一人で応じちゃだめだよ。絶対に弁護士を通すようにしてね。明日弁護士を紹介するから」
「凄いね」
朱里がボソっとつぶやいた。
「私はダメなお母さんなのに、マキは凄いね」
「そんなことないよ。芸能界に慣れただけだから」
マキには芸能界で培った数々のコネがある。芸能事務所が全力でバックアップしてくれることも知っている。だからこそ余裕をもった対応ができる。
しかし一般人の朱里には無縁のものだ。憔悴するのも当然だろう。
「マキは気にならないの?」
「何が?」
「お母さんと……あの人のこと」
気にならないと言えば嘘になるだろう。ただ、あくまで他人事として気になるだけだ。
「別にどうでもいいかな。だから気にしないで」
「ねぇマキ……私を責めていいんだよ」
私は心配ないと笑顔で伝える。日本中を、そして世界中の人々を魅了してきた笑顔だ。
見る人を包み込み受け入れてしまう笑みはしかし、朱里の顔を曇らせていく。
「どうしてマキはそんなにいい子なの?」
悲しそうにこぼれた問いに対して、マキは答えにつまってしまう。
彼女が普通の子どもを演じているなら泣きわめいただろう。責め立てただろう。あるいは根掘り葉掘り事情を聞こうとしたかもしれない。
だが、山下マキはただの無邪気な子どもではない。天才役者として芸能界で大活躍している子どもなのだ。であるならば、自分の母を責め立てることは自然ではない。むしろ、芸能界とは縁がない母のことをフォローしようとするのが自然なことだ。
それがベストな選択ではなかったとしても、彼女はあくまで山下マキとして行動したのだった。
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