5-2
「どうした?」
「何が?」
「少し落ち込んでいるように見える」
車で撮影現場へ向かっていると、運転する松原浩二がマキに突然訪ねた。
「分かる?」
「どれだけ一緒にやってきたと思っているんだ。なんとなく分かってくるさ」
面倒くさがりな男ではあるが、彼は優秀だ。
彼の人を見る目に関して、マキは絶大な信頼を置いている。そしてその目は、『マキがわずかにその佇まいに不機嫌さを混ぜたこと』を見抜いたようだ。ほとんどの人が気づかない程度にさりげなくやったことではあるが、さすがはマキのマネージャーと言ったところか。
自分の仕掛けに気がついてくれたことに、マキは幾分か気分を良くした。
「あの記事のことか?」
「というより……その記事のせいでちょっとお母さんとギクシャクしてるかな」
「へぇ、あの人ととねぇ。少し意外だな」
マネージャーの松原浩二も、よく母の朱里と顔を合わしている。いくらマキが子どもらしからぬ社会性を発揮しているからといって、彼女はまだ未成年だ。マネージャーとして、彼女の母親に仕事のことについて報告しない訳にはいかない。
「でも安心して。撮影のときにはきっちり切り替えるから」
「それについては心配してないさ。千の顔を持つ役者だしな」
「バカにしてるでしょ」
「ははは。だがお前の役者としての実力は疑っちゃいない。プライベートで何かあったところで、お前は完ぺきに仕事をこなすと信じている」
彼が信じる通り、マキには撮影を完ぺきにこなす自信があった。それは傲慢ではなく、確かな実績にもとづいた確信である。
山下マキが天才と評される理由の一つ。それは異様なまでのリテイクの少なさにある。
彼女自身が原因のリテイクも少ないし、彼女と共演したものはその演技につられて、共演者のリテイクも少なくなる。
山下マキが出演する作品はいつもスケジュールに余裕が生じると評判だ。
だがしかし――今回撮影する映画『新しい家族は嘘つきでした』で、リテイクを連発することとなる。
◆
『新しい家族は嘘つきでした』はオリジナル脚本の作品であるが、既に注目の的となっている。
その理由は小山内千枝にある。
彼女はマキのブレイクの切っ掛けとなったCMで共演した女優であり、それ以来交流が続いている。日本でもトップレベルの演技力を持ち、天才山下マキにもひけをとらないと言われる彼女は、マキの良きライバルであり、良き先達であった。
日本の役者業界を牽引する彼女は引退を宣言した。
ある日、体調が芳しくなくて医者にかかった結果、手術が必要な病気が判明する。元々体力に限界を感じ始めていたため、そろそろ潮時だと判断したのだ。
そして、彼女は有終の美を飾るべく、ある映画を最後の作品として定める。その映画のタイトルが、『新しい家族は嘘つきでした』だ。
役者生命の全てを注いで伝説となる映画を作る。
その宣言の通り、この映画で集まられた者は、役者も裏方も超一流のものばかりだ。
皆、小山内千枝から誘われて、凄い意気込みである。
山下マキもその一人だ。本人から直接頼み込まれて、彼女も参加することを決めた。マキがいなければこの映画を撮ることはできないと直談判されたのだ。
『新しい家族は嘘つきでした』は、両親を失って、ひとりぼっちになった少女の元に親戚を名乗る老婆が現れて、少女と一緒に暮らし始めるのだが、実は老婆は少女に残された遺産を狙う詐欺師だった、という話だ。老婆を慕う少女と、ニセモノであることを必死に隠そうとする老婆の二人が織りなすコメディ物語である。
主役は二人。小山内千枝と山下マキだ。
映画の出来というのは様々なものに左右されるものだ。予算やスケジュールで内容が陳腐になったりするかもしれないし、監督や脚本、演出の能力によって印象は大きく変わってくるだろう。
だが、一番大事な要素はやはり演者である。そして、中でも主役に課せられる責任はとてつもなく大きいものだ。役者生活最後の作品を伝説にしたいという小山内千枝の熱い想いがみのるか否かは、山下マキにかかっていると言っていいだろう。
◆
山下マキと小山内千枝という、屈指の演技力の持ち主二人が主役を張るのだ。撮影は周囲が驚くほど早く進んだ。
これはかなり順調に撮影が終わる、と監督が喜んでいたが、クライマックスのシーンを撮影する際に異変が起きる。
いつもの様にマキが完ぺきな演技をするが、しかし小山内千絵がNGを出した。
「ダメよ、撮り直し」
「えっ? どうしてですか?」
「あなたの演技は完ぺきだったわ。でも、それだけじゃダメよ」
監督も、他のスタッフも絶賛して、今回のシーンも終了かと思われたが、小山内千枝が待ったをかける。
そして撮影されたリテイク。マキの演技は最初の演技以上の出来であり、皆が彼女を改めて天才だと驚嘆した。
「ダメよ」
誰から見ても素晴らしい演技にNOと言う小山内千枝の様子に、周囲が困惑し始める。
千枝以外の皆が、監督も、マキ自身も渾身の出来だと判断していたが、何度やり直しても、千枝は一向に認めようとはしなかった。
「何がダメなんでしょうか?」
「あなたなら、もう一歩先に行けるはずよ」
何度やってもOKが出ず、マキは転生してから初めて、演技の世界で壁にぶち当たったのであった。
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