2-1
製菓会社メグレが新しく打ち出すお菓子のCM。その監督となったのは大倉竜也という男だ。
35歳の彼は新進気鋭の監督として、業界で評判である。
一般の人は大倉竜也の名を余り知らないだろう。だが彼が監督をしたCMを聞けば、誰もが「あぁあのCMを作った人か」と得心するはずだ。
彼が作るCMはいつも魅力的な作品となる。
視聴者というものはテレビ番組の合間に流れるCMを漠然と見る。真剣にCMを視聴する者は少ない。
にもかかわらず、お茶の間の人々が気がつけば頭から離れないような、印象に残るCMを彼は作るのだ。
様々な会社が彼にCMを作ってもらうことを望んでいる。
どの会社も大金を積んで竜也に商品の未来を託した。
メグレも同様だ。彼が作る作品に社運を賭けている。
数々の製菓を販売する大企業である。冒険は不要かもしれない。それでも彼らはより良き未来を目指す。安定はしているものの、少しずつ縮小していく状態を打破しようとしていた。
製菓会社メグレが掲げるコンセプトは「懐かしい、でも新しい」だ。
様々なお菓子を開発しては不発に終わってきた。新商品を出しては少し売れて、しかしずっとは続かない。
悩みに悩んだ結果、原点に帰ろうと誰かが言った。
原点回帰。メグレにはその言葉に相応しいものが存在する。
かつての主力商品であり、時代に合わないと判断して製造を中止したクッキー、メグレーヌだ。
竜也はコンセプトを叶えるべくイメージを膨らませていく。
彼のイメージに必要な役者は二人。
一人は既に決まっている。
数十年前に初代メグレーヌのCMに出ていた子どもである、小山内千枝だ。
彼女はメグレーヌという懐かしさの象徴だ。
そして、もう一人、新しさを象徴する役者のオーディションが現在、行われていた。
「次の方、どうぞ」
隣にいる進行役の若い男が、次の志望者を呼ぶ。
メグレーヌの広報担当の部署に所属している彼の顔には、疲労が見えている。
このようなオーディションは初めてだと言っていたし、大差ない志望者たちに飽き飽きとしているのだろう。
仕方のないことだと思う。オーディションに慣れている竜也であっても、かなり気が滅入っているのだ。
「わたしはひらのみゆ、5さいです。よろしくおねがいします!」
深々と礼をして、たどたどしく話し始める。覚えてきた言葉をそのまま話しているのだろう。
(この少女も無しだな)
どこにでもいる、可愛いだけの少女だ。親の言いなりになっているせいか、彼女自身の魅力が全く感じられない。
竜也が子役に求めていることは、ただ一つ。自分の描くイメージと合致するかどうかだ。
子役に演技力など最初から求めていない。
どうせ型にはまった演技しかできないのだ。『上手いだけ』の演技は、竜也の心には響かない。
だから、本人のあるがままの姿が、竜也のイメージと合う子どもを探している。
(まぁイメージと合う合わない以前の問題かもなぁ……)
大半の応募者に魅力がない。
良い意味でも、悪い意味でも印象に残らない。
没個性だ。個性が合う人物を探しているのに、そもそも個性がない。
竜也の業界での知名度は高い。
様々な企業が商品を売り出すために彼の手腕を欲するのと同じく、CMに出演する側のキャストたちも、彼の手腕を欲している。
人々に強烈なインパクトを与えるCMに出演できれば、その役者の知名度は一気に高まることだろう。
己の子どもを有名人にせんと企む親たちが、こぞって子どもをオーディションに参加させている。
「良かったよ、みゆちゃん。ありがとう」
子どもが泣き出すと収拾がつかない。進行役は無難に子どもを褒めて退室をうながす。
きっと親には褒められたと嬉しそうに話すのだろう。
子どもが出ていった後、メグレの社員たちは疲れを隠さずに言う。
「今の子も駄目でしたね」
「やはり、さっちゃんで決定ですかね」
さっちゃんとは、最近テレビで人気の子役のことだ。
知名度があるため、スポンサー側としては彼女のような子役を起用したいのだろう。
だが竜也の嫌いなタイプだった。
一々演技がうるさいのだ。他人の演技のマネをしているだけで、彼女自身の演技ができていない。
子どもだからこそ、型にはまった演技をしてもある程度はウケる。だが大人になれば、ただの嘘くさい演技になる。成長すれば途端に鳴かず飛ばずになるタイプだ。
「次の方、どうぞ」
さっちゃんのような子役も使いようによっては利点もあるが、竜也の目指すCMには不純だ。
こじんまりと磨き抜かれた宝石ではなく、粗削りではあっても巨大な原石が欲しい。
とはいえ、小さいガラス玉ばかりの現状にはため息をつきたくなってしまう。
そして次の応募者が来る。
――ガタッ!
その瞬間、机に両手をついて無意識の内に立ち上がっていた。
選考用に用意されたオフィスチェアが後ろへ押し出されて少し転がる。
少女は一歩一歩、大地をしっかりと踏みしめて、竜也たちの前に立つ。
「こんにちは!」
子どもの力強く元気な挨拶に、竜也は思わず「あ、こ、こんにちは」と返す。
竜也は我に返り、少し気恥ずかしくなって誤魔化すように座った。
仕切り直しだ。
「山下マキです! よろしくお願いします!」
何度も何度も聞いてきたはずの名乗りに、竜也以外の者も何かを感じたようだ。
いまにも寝そうであった者も、感心したように少女を見ている。
いくつかの指示を出して即興の演技をやらせてみれば、魅力はより増していく。
彼女の演技は自然だ。自然体であり、そして輝いている。
可愛らしい顔をしているが美少女という訳ではない。にもかかわらず目が吸い寄せられてしまう。
(なんと華がある少女だろうか)
巨大な原石が、私を磨いてください、と目の前に差し出されている。
監督として非常にそそられる。
「これを食べて、おいしいって言ってみて」
差し出すのはCMの商品、新メグレーヌだ。
新メグレーヌは完成された初代メグレーヌに更なる改良を加えた、メグレの自信作だ。
メグレの社員たちは選考を行っている内にすっかり少女に惹かれてしまったようで、少女がメグレーヌを気に入ってくれるかどうかが気になっているようだ。
その一挙一動を固唾をのんで見守っていた。
山下マキはメグレーヌを口にする。
「ウマイ!」
満面の笑みを浮かべた。
美味しいと感じていることは誰も疑う余地のない反応であった。
「ウマイじゃなくて美味しいだよ、マキちゃん」
「あ、そうでした。すっごく美味しくて、つい……」
メグレの広報課長が、まるで娘や孫でも見るかのようにデレデレとしている。
竜也にも厳しい意見を何度もぶつけてきた、いかついおっさんの姿が嘘のようだ。
「失格……ですか?」
「いや、オッケーだ」
面白い。素直に感心した。
竜也が求めている役者は、新鮮さを感じさせる子どもだ。
この現代社会で何色にも染まらずに輝くことは難しい。だが山下マキという少女はそれを体現する非常に稀な存在だった。
「決まりですかね、大倉監督」
「そうですね。メグレーヌのCMには彼女しかあり得ないと思います」
マキが退出した後、竜也は断言した。
竜也の求めるイメージそのままの、いや、イメージ以上の逸材だ。彼女をこえる応募者はいないだろう。
とはいえオーディションを途中で打ち切る訳にもいかない。
山下マキという奇跡と巡り合えた喜びもつかの間、再び、眠気との戦いが始まった。
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