1-5
山下マキが所属する芸能事務所の社長、松原浩二。彼こそが、マキをスカウトした人物である。
マキと出会った当時、彼はまだ平社員だったが、マキに引き上げられるような形でドンドン出世していき、気付けば社長となっていた。
彼が当時のことを語るときには、必ず最初に言う言葉がある。
「俺が彼女を見つけたんじゃない。彼女の進む道に、たまたま都合良く落ちてた交通手段が俺だっただけだ」
◆
思わず出そうになるあくびを我慢する。
さすがの浩二にも、愛する子どもたちを楽しみにしている親たちの傍で、あくびをする度胸はなかった。
浩二がむらさき幼稚園の演劇をわざわざ観に来ているのは、親戚のお願いを断りきれなかったからだ。
押しがとんでもなく強い親戚の娘が、今回の劇に出演している。
浩二が芸能事務所の社員であることを知っていて、娘をスカウトさせようとしているらしい。
親戚の娘の顔は、見せられた写真で確認した。
確かに容姿は可愛らしく、ある程度整っている。恐らく幼稚園では一番の美少女だ。だから親も勘違いしてしまうのだろう。だがそのレベルでは無理だ。
恐ろしく整っているレベルでなければ芸能界で容姿を売りにすることはできない。
浩二は自分の目の良さに自信がある。芸能界で通用するかどうかを見抜くのは得意だ。
そんな彼から見て、親戚の娘は全く通用しないように感じた。
「もうすぐ娘が出るから」
「はぁ、そうですか」
親戚の娘は白雪姫の役をやるらしい。
浩二は全くやる気がなく眠そうな顔をしていたが、突如として顔つきが変わった。
「おっ」
舞台は森の中。白雪姫が狩人から逃げているシーンだ。
森であることを示す木が数本立っている。子どもたちが段ボールに色を塗って作ったのだろう。微笑ましい舞台セットだ。
その中心にある一番大きな木に惹きつけられた。
(紛れもない木だ……)
その木があるだけで、森の中にいるということが良く伝わってくる。
何十年、あるいは何百年も前からそこにあり続ける木。自然の強さと、そして畏敬の念も感じさせるような木だ。
狩人に置き去りにされた白雪姫。彼女を物言わぬ木々が見守っているようにも思える。
子どもが作ったはずの大道具には不思議な説得力があった。
どういうことだろうか。
木を凝視して、ようやくその理由に気が付いた。
(あれは人が演じている!)
段ボールで作られた木の幹部分に円形にくり抜かれた穴があり、そこから少女の顔が覗いている。
少女の顔も茶色く塗られていて幹と区別がつかないようになってはいるものの、見て分からないほどではない。
にもかかわらず、しばらく人が演じていることに気づかなかった。
「あの木を演じている子どもは誰ですか?」
「木? ただの大道具じゃない。誰も演じてないわよ」
「そうですか……」
「それよりもウチの子をちゃんと見てちょうだい!」
「はぁ」
やはり彼女が木を演じていることには、誰も気がついていない。
浩二の目をもってしても、気を抜けば彼女が森の一部となってしまいそうだった。
人としての存在感はないのに木としての存在感はある。
これを少女が意図的に演じているのだろうか。だとしたら、なんと恐ろしい子どもだろう。
付き合いで参加した、つまらないお遊戯会は、彼女のお陰で非常に興味深いものとなった。
木は白雪姫や小人、王子様、そして魔女。彼らを見守りながら、変わらずにあり続ける。
浩二が興味をもって見始めた劇はしかし、途中で中断されてしまう。
――ヂリリリ。
見入って集中していた意識は、突如響いた音によって強引に奪われてしまう。火災報知器のベルがなっているらしい。
舞台や観客席にベルの音が響く。
園児たちは驚いて演技を止める。泣きはじめる子どももいた。パニックになってかけつける親や、必死に落ち着かせようとする先生たちの姿。
隣にいた親戚もいち早く立ち上がり、娘の元へと飛んでいった。
(天才だ!)
浩二もまた、他の保護者たちと同様に立ち上がっていた。
だがその思考は保護者たちとは全く違う方向に向いていた。
火災を知らせる音は人の注意を引く音だ。そういう風に作ってある。
子どもであっても大人であっても変わらない。突然鳴り響けば注意がそれてしまう。
だがしかし、そんな状況であっても彼女だけは木のままであった。
彼女は一切の動揺なく木を演じ続けていた。普通の子どもならあり得るはずがない。大人でも無理だ。その道のプロである役者であっても難しいだろう。
(俺はとんでもないものを見たのかもしれない)
火災報知器は誤報であることが分かり、一時中断していた舞台は再開され、そして無事に終了した。
舞台が終わった後、浩二は木を演じた女の子に声をかける。
もしかしたら彼女は耳が聴こえないのかもしれない。
耳が不自由だったから、火災報知器にも気が付かなかったし、説得力のある木を演じることができたのかもしれない。
「なんでしょう」
「君は耳が聴こえるのか?」
「人並みには聴こえていると思いますが」
まだ4歳か5歳の子どもなのに、随分と大人びている少女だった。
見た目は年相応だ。それなりに可愛い女の子というところだ。だが答弁には、しっかりとした知性や教養を感じさせる。
「ベルが鳴ったとき、君は動かなかっただろう。だから耳が聴こえていなかったのかもしれないと思った」
「私は耳が聴こえますよ。でも警報が鳴ったところで、木は見守り続けるだけです」
浩二は震えた。
確かに木にはうるさいベルの音も関係がない。
だが誰がそれを体現できるだろうか。人間の反射的行動を抑え込むようなものだ。
「ほんとに火事だったら死んでたのに?」
「そのときは私だって逃げますよ。でも、あの時点では誤報の可能性が高かったですし、慌てても仕方ないでしょう?」
彼女は木になりきりながら、そして同時に俯瞰的に己を見ていた。幼いながらにして、役者としての非凡な才能を発揮している。
この子はとんでもない逸材だ。
(なんとしてもスカウトしなければならない。こんな逸材を逃してしまえば、俺は芸能事務所の人間として失格だ!)
どのような手段でアプローチをしようか考えていると、少女が絶妙なパスを出す。
「やっぱり、演技をするって楽しいですね」
「お、おぉ! なら、役者になってみないか!」
少女に名刺を渡す。
まだ漢字も習っていない年齢の少女には読めないだろう。
彼女なら読めてしまいそうな気もするが、一応自分の立場を口で説明した。
「丁度良かったです。つい先ほど、目標ができたところなので」
「それはどんな目標?」
無謀な夢ではなく、明確な目標として彼女は語った。
後に浩二は思い返す。このときからすでに、山下マキには道筋が見えていたのだ、と。
彼女は浩二の目を見据えて言った。
「世界一の役者になります」
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