幕間ー3


 大学三回生の幸太郎は緊張していた。

 同じサークルの後輩、亜矢と付き合って初めての家デートである。

 部屋の掃除は既に行ったが、なにか見落としがないか不安になる。

 出しっぱなしの服や本は整理整頓し、地面に落ちていたゴミはまとめて捨てた。

 滅多に使わないコードレス掃除機でフローリングを綺麗にした。フローリングに落ちていた髪の毛や埃は吸い取ったはずだ。

 

 初じめての家デート。要するに、初エッチの日だ。

 幸太郎の独りよがりな考えではない。亜矢も今日はそういう行為をすると分かった上で幸太郎の部屋に来るだろう。

 初々しい関係の男女が「ヤリたいから家に来て」と誘うことはない。「一緒に映画を観よう」という名目になっている。だがまぁその後の展開は、暗黙の了解というやつだ。

 二人が観ようとしている映画は、最近DVDが発売されて話題となっているホラー映画『見える少女』である。

 ホラー映画で一緒にドキドキしちゃおうぜ、という浅知恵である。その浅い考えが木っ端みじんになってしまうとは、幸太郎も亜矢もまだ知らなかった。

 

「お、おじゃましま~す」

「散らかっててごめんね」

「すごい広くて綺麗!」

 

 亜矢が部屋を見渡して感心している。

 幸太郎は大学から一人暮らしをしているが、家賃は全て親もちだ。

 間取りは1Kではあるが、部屋の中は10帖ほどの広さがある。都内の一人暮らしにしてはかなりリッチな部屋だ。

 幸太郎は10帖の部屋をダイニングスペースと就寝用のスペースに分けて使っており、亜矢をダイニングスペースのソファーに案内した。

 

「ありがと」

 

 事前に用意してあったポテトチップスとジンジャーエールをガラステーブルに置いた。

 幸太郎は亜矢の隣に座った。二人用のソファーだ。一緒に座れば太ももや肩が密着する。

 

「テ、テレビ大きいね!」

「だろ? 買うときは迷ったけど正解だった」

「大画面で観れば迫力も凄そうだね。早速観ようよ」

 

 亜矢の緊張が伝わってきて、幸太郎も緊張してしまう。

 多少イチャついてから映画を観ようと思っていたが、先に映画を観て緊張を解そうと考えなおした。

 レンタルしたDVDを取り出す。

 その表面には子役・山下マキの顔がアップで写っていた。

 詳しくは分からないが、きっと幽霊を見たときの表情なのだろう。その顔を見ているだけで幸太郎にも恐怖が伝わってくる。

 

「これ、もう怖くね?」

「うわぁ……大丈夫かな?」

「俺が傍についてるから」

「うん、ありがと、幸太郎」

 

 ムードを高めつつ、映画が始まった。

 

(あ、これダメなやつだ)

 

 映画を観ている内に、幸太郎は映画のチョイスを間違ったことに気づく。

 海外のホラーものによくある大音量で驚かすタイプではなく、人間の心理的な恐怖を刺激するタイプだ。

 マジで怖い。

 だが今さら止めようと言い出すこともできない。

 

 亜矢も心の底から怯えているのだろう。

 握った手に込められた力は本気のものでかなり痛い。。

 途中で肩を抱いて抱き寄せようとしていた幸太郎だったが、そんな余裕すらなかった。。

 用意したお菓子や飲み物は一度も手をつけることもなく、ただただ恐怖の映像に魅入られていた。

 全身に鳥肌がたつ。室温が10度ぐらいさがったように感じる。

 

「お、終わったな……」

「うん……」

 

 二人はなんとか最後まで視聴し終えて、ポツポツと感想を言い合う。声はカラカラで、元気がない。

 とんでもない作品だったと幸太郎は思う。一人で観ていたら確実に途中で挫折していただろう。

 BGM、演出、幽霊の特殊メイク、全てが高クオリティであり、何よりも素晴らしかったのが山下マキの演技だ。

 

「山下マキ……まじすげぇわ。なんかもう怪演って感じ」

「ほんとに幽霊がいるみたいだった……いないよね?」

「あ、当たり前だろ!」

 

 亜矢が部屋の周囲をきょろきょろと見回している。

 幸太郎は亜矢の言葉を心から否定することができない。彼自身、近くに幽霊がいるような気にさせられていたからだ。

 

(しばらくちゃんと寝られるか心配だ……)

 

 最後まで再生されたDVDはメニュー画面へと戻った。

 そこに、メイキング映像が付録されていることに気づく。

 

「メイキング映像があるってさ。観てみようぜ」

「そうだね。ちゃんと作り物だって安心したい」

 

 二人はDVDが発売されて、『見える少女』が再び話題となった理由をよく知らなかった。

 知っていればメイキング映像を観てしまうこともなかっただろう。

 この付録は本編よりも恐ろしいと言われている。

 DVDのレビューに『心臓が弱い人はメイキング映像を観ない方が良い』と書かれていることも知らなかった。

 

 メイキング映像が本編より面白いと言われる映画は時々存在する。

 そういう場合の本編は凡作であることが多い。

 だがこの映画は違う。本編はホラー映画史上一、二を争う出来だ。

 国内だけではない。全世界に輸出され、ジャパニーズホラーをより有名なものとした。

 山下マキの名が世界に広まる切っ掛けとなった作品だ。そんな本編よりも、付録が恐ろしいと評されている。

 

 メイキング映像の序盤は普通だった。

 幽霊の特殊メイクや、大道具など、舞台裏の紹介をしていた。

 幸太郎たちも、良くできてるなーと感心しつつ、作り物であることを実感して安心する。

 だが途中から様子がおかしくなっていく。

 突如、一人のスタッフが「見たかもしれない」と青ざめた。

 最初は笑い話だった。

 ホラー映画を撮影する際に、『いわく』はつきものだ。そういう噂を真に受けてしまった青年が、なんらかの自然現象にたいして勝手に幽霊の姿を見てしまったのだろうと誰もが笑った。

 だが、一人、また一人と証言者が現れる。

 

「本当に、でるんじゃないか?」

 

 その言葉を誰も否定できなくなり、困った監督が専門の祈祷師へと依頼した。

 これで一安心だ。

 スタッフたちも、そして映像を観ている幸太郎たちもそう思った。

 

 お祓いにきた祈祷師であるが、映像ではなぜかモザイクがかけられていた。その不自然さになにか嫌な予感を抱く。

 しかし祈祷が始まり、儀式の様子を見ていると、本当に効果がありそうな気がしてきた。

 幸太郎の抱いた恐怖も祓ってくれるかのようだ。

 

「……?」

 

 荘厳な儀式がハタと止まった。

 祈祷師は何もないはずの場所を見つめて固まっている。

 

「ひっ、ひぃぃぃぃ」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 悲鳴をあげて、祈祷師は逃げ出した。

 静止の声も聞かず、こんな場所には一瞬たりともいたくないと言わんばかりに全力で逃亡した。

 残された者たちはたまったものではない。

 

「インチキ祈祷師だったんですかね?」

「だとしたらお祓い料は受け取るはず」

「……ってことは、マジのやつですか?」

 

 動揺が広がり始める。

 やがて収集がつかなくなり、その日の撮影は中断された。

 

「幽霊探しをしましょう」

 

 子どもは無邪気だ。

 撮影が中断される事態になったにもかかわらず、山下マキはメイキング映像担当のカメラマンを連れまわす。

 幽霊への恐れが薄いのか、肝試し感覚で撮影現場の探検をしている。

 

「や、やめないか?」

「えー、ドキドキして楽しいですよ?」

 

(そうだ、止めろ……止めるんだ)

 

 幸太郎の心理はカメラマンと一致していた。

 息づかいや現場の雰囲気が、本当に幽霊がでてきそうで怖かった。

 

「あっ」

「えっ?」

 

 カメラマンがビクっとして後ろに振り向く。

 カメラの映像に不自然なものはなにもない。

 

「驚かすなよ……」

 

 再びマキの方を向き、彼女を映そうとする。

 マキの顔がアップで映った。

 その瞳の中に、なにかが見えたような気がした。

 

「えっ、でも、そこにいますよ」

 

 カメラマンが悲鳴をあげる。

 カメラが地面に落ちて映像が暗転し、メイキング映像は終わった。

 

「……」

 

 幸太郎は背後に何かがいる気がして、ソファーから立ち上がっていた。

 震えて固まっている亜矢を置き去りにした形だ。

 

「帰る」

 

 ムードもへったくれもなくなり、亜矢は怯えるように帰っていった。

 残された幸太郎は一人、立ち尽くす。

 こうして家デートは大失敗に終わったのであった。

 

 

 

    ◆

 

 

 

 ホラー映画『見える少女』の撮影が始まる前に、こんなやり取りがあった。

 

「松原さん」

「なんだ?」

「みんなに幽霊ドッキリを仕掛けませんか?」

 

 山下マキは天才である。

 動物ですら自由に操ってみせたのだ。それなりに場が整っている状況で、幽霊がいると信じ込ませることなど造作もない。

 面倒くさがりだが優秀なマネージャ―の松原浩二も、面白そうだと言って珍しくやる気を見せる。

 天才役者と昼行燈マネージャーの二人が本気で悪戯を仕掛けた。その結果がこのありさまである。

 

 気が付いたときには関係者たちが本気で怯えていた。

 一時は撮影ストップでお蔵入りになりかける。撮影拒否をした者やトラウマになった者もいた。

 その反応の大きさに、逆に二人が焦ったほどである。

 

「ドッキリだったんです、テヘペロ」

 

 などと種明かしできる空気ではなくなり、二人で知らないフリをするのだった。

 見事なシラの切り方だった、と後にマネージャーの松原浩二は語ったという。

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