2-7
女子大生の木山栞は猫を飼っていた。
両親と妹の家族総出で可愛がっていた愛猫のむるは1ヶ月前にその命を失った。
栞が小学生のころに親がペットショップで購入した猫だ。十分長生きしたと言える。
だが大往生であろうとなかろうと、ペットを失ったことによる喪失感は大きい。栞の中にぽっかりと穴が開いてしまっていた。
「むるぅ……」
まだ愛猫を失った傷跡は癒えていない。
悲しみと正面から向き合うことができなかった。
ある日、四人で夕食をとっていたときに妹が切り出す。
「おかーさん、また猫飼おうよ」
「私は別に構わないけど……」
母がバツが悪そうに栞を見る。
栞は愛猫が、また自分の前にひょっこりと姿を現すのではないかと感じていた。
いまだに死んだということを受け入れていない。まだむるが生きている気がするのに、次の猫を飼うなんてあり得なかった。
黙っていると母が言う。
「栞、今度むるちゃんのお墓に行こうか」
いい加減に受け入れなさい。母は暗にそう言っているのだ。
理性では彼女の言うことが正しいと分かっている。それでも、感情が受け入れようとしない。
何か口に出せば、酷い暴言を返してしまいそうで、ごちそうさまをして部屋へと戻った。
母が栞のことを案じていることは分かっている。
だが、それでも受け入れられなかった。
◆
どうしてこうなった。
栞は同じ大学の親友、船岡佳代と映画を観ることとなった。
題目は『子ぎつねとわたしの30日』である。
天才子役・山下マキの演技が話題となっている映画だが、愛猫を亡くして傷心中の栞にはダメージが大きい。
ショッピングモールの最上階にある映画館の受付の前で、栞は駄々をこねた。
「ねぇ、ほんとに観ないとダメ?」
「当たり前だよ! 栞こそ観るべき映画だって! もうチケット買ってるし」
「いやでも動物ものとか無理だし……」
「ウダウダ言わない!」
強引に中へと引っ張られる。
男が守りたくなるような可愛い系の容姿をしている佳代だが、中身は意外と男前だ。
凛々しい美人系の容姿でありながら、内面は女々しい栞とは正反対だ。
「絶対ムリ。しんどい」
「大丈夫だって」
着席して、隣の佳代に小声で訴える。
だが佳代はグッドラックの形に親指をたてて笑った。
◆
オレノメロンの主題歌とともにエンドロールが流れる。やがて照明が点灯した。
すすり泣く声が無数にあった。
中には立ち上がれなくなるほど号泣する者もいて、友人や恋人などの同行者が呆れている。呆れた顔の同行者たちでさえも、その目からは涙がこぼれていた。
「感動したねぇ」
「……」
「大丈夫、栞?」
「……びゃぁぁぁあ」
「えっ、ちょ!?」
映画の終了と同時に栞は走り出した。
映画館の外の屋上庭園へと飛び出して、木の下にあるベンチの前で膝をつき、ベンチにしがみついた。
少し遅れて、佳代が息を切らせながら傍にくる。
「いきなりどうしたの」
「……よ"か"っ"た"よ"ぉ"!」
「わっ」
泣きわめきながら佳代に抱き着く。
映画の少女は子ぎつねの死と正面から向き合っていた。
またいつか、あの世で再会したときに恥ずかしくないように、という想いを感じた。
少女の中にあったのは絶望ではない。強く生きようという希望だった。
「むるは死んだ」
「うん」
「むるは死んじゃったんだ……」
「うん、そうだね」
目を閉じれば、愛猫むるとの想い出が蘇ってくる。
初めて家に来たとき、栞は猫の姿に驚いて泣いた。
餌をあげるときしか懐いてくれないと思ってたのに、布団に潜り込んできたときは猛烈に感動した。
辛いことがあって泣いていたときは流れる涙を舐めて慰めてくれた。
間抜けでかわいい姿の写真をたくさん撮った。
むるが机の上に置いていたスマホを落として壊れてしまい、データが復旧できなくて全部消えてしまったこともあった。
本当に色々なことがあった。
腹立たしくなったこともあるし、それ以上に楽しいことはたくさんあった。
楽しい思い出が、楽しい感情が無数に蘇ってくる。
でも、むるの死から目をそらしていたせいで、楽しかった想い出にもフタをしてしまっていた。
「うぅ、むるぅぅ……」
栞が落ち着くまで、佳代はずっと寄り添って背中をさすってくれた。
実に男前である。
◆
むるは火葬され、その遺骨はペット用の共同墓地に埋められている。
「私、頑張るから」
栞はむるが眠る墓石に向かって宣言した。
むるが死んでから1ヶ月と少し。ようやくその死と向き合うことができたのだ。
「偉いよ、栞」
「お母さん……」
栞を称えるように、母が肩に手を置いた。
しんみりしていると、空気の読めない妹が嬉しそうに言う。
「ようやく次のペットが飼えるねー」
「それとこれとは話が別」
「えぇ!?」
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