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 赤ん坊の演技は簡単なものではない。大人の要望に応えるだけではダメだ。

 時に夜泣きをしたり、抱っこされても泣き続けたり、ある種の理不尽な行動を求められる。

 だが、かつて山下太郎であった少女・山下マキは、見事に演じきった自信があった。

 母の朱里(あかり)も、まさかマキが転生者であるなどとは微塵も疑っていないだろう。

 マキは彼女の子を演じると決めた。しかし、平均的な子を演じる必要もない。

 何の因果か意識を持ったまま転生したのだ。誰よりも早いスタートダッシュを切っていると言える。この利点を活かさない理由がない。

 

 幼稚園児となったマキは、聡明な子どもを演じていた。

 子どもに手間暇をかけることが親の役目であり、親に手間暇をかけさせることが子どもの役目である。


(とはいえ、女手一つで育てるのは大変だろう)


 マキには父がいない。

 もちろん、生物的な意味での父親はどこかにいるのだろう。しかし、戸籍として父はいない。幼いマキに語ろうとはしないが、悪い男に引っかかって子どもができたら捨てられてシングルマザーになったパターンだろう。


 彼女は親に頼ろうともせず、一人でマキを育てようとしている。

 金銭的な余裕はない。2人で市営住宅に住み、遅くまでスーパーで働きづめだ。いつも疲れた顔をしている。

 

 だから日々のルーティンワークに於いては、なるべく負担を減らしてあげるべきだと考えていた。率先して家事をこなし、親の言うことは良く聞く、理想的な子どもを演じるようにした。そして、子どもらしさのために、時折あえてわがままを言って、申し訳ない程度の迷惑をかけることにした。


「ねぇ、マキ」

「なに?」

 

 某国民的RPGゲームをリビングでプレイしながら母親に応える。

 マキの指示によって動くキャラが、可愛らしい絵柄のモンスターたちを倒した。経験値とゴールドを得る。

 

「大きくなったら何になりたい?」

「ん~、大金持ち!」

 

 朱里が突然将来の夢について尋ねた。

 パート先の同僚とそういう話になったかもしれない。あるいはテレビ番組で、子どもの将来に関連する話があったのかもしれない。

 適当に子どもらしい答えを返す。

 

「どれくらい?」

「10兆円!」

「10兆円かぁ。ママにも少し分けてね」

「ダメ」

「え、なんで?」

「金持ちはケチだって、おばあちゃんが言ってた」

 

 朱里は頭に手を当てて呆れている。マキの言うおばあちゃんとは、2人が住む部屋の隣に、一人で住んでいる高齢の女性だ。息子たちとはほぼ関わりがなくなってしまい、一人で市営住宅に住んでいる。彼女は朱里とマキのことを娘や孫のようにかわいがってくれて、朱里が仕事で不在の際にはなにかとマキの面倒を見てくれている。

 朱里の立場からすると、とてもありがたい存在なのだが、口が悪いところは悩みの種だろう。

 10兆円という数字はテレビ番組で放送していた、世界の億万長者ランキングを参考にして言っている。

 マキにはまだ、具体的な夢や目標はなかった。

 転生したメリットを活かして、金持ちになりたいと思っているぐらいだ。


(私は役者になりたいのだろうか)


 山下太郎として役者としての人生を送った。

 演技をすることは今でも好きだ。だからこそ、『山下マキ』という少女を演じ続けている。

 常に演じているからこそ、更に別のことを演じる必要はないのではないかとも思う。


 平凡な(あるいは平凡よりも下かもしれないがあり触れた)家庭で生まれた彼女だが、山下太郎という異物の魂が混ざったせいなのか、あるいは元々の素質であるのか、彼女は才能溢れる人間であった。容姿も優れていて、運動神経も良いし、頭の回転も速い。かなりのハイスペックだ。そして、前世の知識という特典があった。

 だから、どうせなら金持ちを目指してみるのもありかもしれないと思っていた。

 

「ママは、マキがやりたいって思ったことをやってほしいって思う」

「分かんない……あっ、やった! レベルアップだ!」

「ふふ、まだマキには早かったかもね」

「ママは?」

「えっ?」

「ママは何になりたいの?」

 

 朱里が言葉につまる。

 それも仕方のないことだろう。

 家庭を持ち、子供が生まれた成人は、もはや人生のレールが敷かれている。

 思いがけない要因によって脱線してしまう者もいるだろうが、基本的には終着駅に向かって運行するだけだ。

 しかも朱里はシングルマザーだ。自分ひとりのために自由にできる時間はほとんどない。

 ある意味、安定している――停滞してしまった大人に対して将来の目標を聞く者などいない。

 だが、子どもは別である。無邪気な子どもは時に突拍子もない質問をするものだ。

 

「私は何になりたいんだろう」

 

 子どもの質問など、「おばあちゃんになりたい」などと言って適当に流せば良いものを朱里は真面目に考えこんでしまう。

 朱里は手を抜くべきところで手を抜かない。生真面目なタイプである。そして、要領が悪くてどんくさい。だからそこそこ美人であるにもかかわらず、悪い男に引っかかってしまったのだろう。押せば簡単にヤレそうで男にとって都合のいい女といったところか。

 

「うーん……」

 

 具体的な夢がある人間など、そうはいない。

 何か情熱を持てることが見つかれば、叶うにせよ、叶わないにせよ、それはきっと素晴らしいことなのだ。

 何の因果か転生を果たし、そして今は強い情熱を持たない転生者・山下マキ。

 様々なポテンシャルを秘めた少女が成り得た可能性は様々なものがあっただろう。

 だが彼女は再び役者の道を進み始める。

 そして、役者の世界を一気に駆け上るのだ。

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