1-6

「肉じゃが、美味しいよ」

「ありがとう」


 マキと朱里は晩ごはんを食べていた。

 晩ごはんを作ったのは母親の朱里――ではなく、娘のマキだ。

 幼稚園児ながらにして、一人でごはんを作っている。マキがこうして子どもらしくないことをしている理由は、朱里の助けになるためだ。


(毎日スーパーの弁当は辛いしね……)


 総菜や弁当だけですましてしまえば、どうしても食生活は偏ってしまう。幼いころからそういう生活を送ることは好ましくない。

 あまり幼いころからやりすぎるのもどうかと思ったものの、幼少期の食生活の乱れは、下手をすれば生涯ずっと影響してしまうものだけに、マキはわりと強引に台所を奪い取った。

 

 山下太郎のときは、離婚して以来ずっと自炊していた。だから料理はある程度できる。

 最初は朱里も反対していたけれど、マキの手つきがしっかりしていたし、出来上がる料理の質も高かったので、半ばなし崩し的にマキが料理をすることは定着した。


「いつもごめんね」

「急にどうしたの?」


 肉じゃがを口にしながら、朱里が泣き始めた。


「こんなダメなお母さんで、ごめんね」


 女手一つでやっていくのは、相当な苦労があるのだろう。

 朱里は時折、泣き出すことがある。

 大体、仕事で何かあったときが多い。なにかミスをしたり、客にひどいことを言われたり、上司に怒られたりだ。


「お仕事で何かあったの?」

「お前のかわりなんていくらでもいるって怒られちゃった」

「どうしてそんなこと言われたの?」

「実は今日、途中で2時間ほど休みをもらったの。前々からお願いしてたんだけど、社員の人が今日は機嫌が悪かったみたい」


 スーパーの社員には、パートやアルバイトに優しい人もいれば、理不尽にあたる人もいる。朱里の上司である社員は、理不尽な方だった。

 理不尽な上司がいるような職場は辞めてもいいんじゃないかと思う。でも、彼女に養ってもらっているマキからは口に出すことはできなかった。

 次にもっとマシな仕事が見つかる保証もないから、彼女は心も身体も酷使して、頑張って今の仕事を続けているのだ。


「もしかして観にきてたの?」

「えへへ、マキ、木の演技凄かったよ」

「教えてくれればよかったのに」

「休みをとれるかギリギリまで分からなかったから」

「あー……じゃぁもっとメインの役をやれば良かったかな」


 事前に分かっていれば、違う役にしていたのだが。

 仕事が忙しいから無理だと思っていたし、母の朱里も参加できないと謝っていた。でも彼女は糞上司に必死に頼み込んで、2時間だけ途中に休みをもらうことができたらしい。


「ううん。どんな役でもマキがやる役がお母さんにとっては主役だから!」

「木が主役かぁ」

「凄い木だった。なんていうか……『木だなぁ』って感じ。マキから木の役をやるって聞いてなかったら自然すぎて分からなかったかも」

「ありがとう」

「もしかしたら、マキは演技の才能があるのかもしれないね」


 マキは心の中で同意する。『山下マキ』には演技の才能がある。しかも圧倒的な才能が。

 前世の山下太郎だったとき、役者としての才能はなかった。彼はいわゆる憑依型の役者に憧れをもっていた。でも、彼には役柄になりきる才能はなかった。だから技術でカバーしていた。彼はいつも自嘲していた。自分は『上手いだけ』の役者なのだ、と。


(でも今の私は違う。あれほど焦がれた才能が、しかもとびっきりの才能が、この身に宿っている)


 お遊戯会でマキは木の役をやった。

 母親が見に来ないと思っていたし、他の園児たちを押しのけて演じることは大人げないと思ったからだ。

 しかし何気なく選んだ木の役は、己の才能を教えてくれた。


(私は木だった)


 木を演じていたのではない。木だった。

 自分という存在と、木という役柄の間には隔たりがある。その隔たりをこえることはできない。だから山下太郎は、木という役柄のイメージを自分という存在の周りに張り付けることで演じていた。

 

 ――だが、山下マキには、本来あるべきその隔たりがない。

 

 転生という奇跡が起きた。

 山下太郎という私は死に、なにものでもない私として死後の悠久をさまよい、そして山下マキという私になった。転生によって、魂は別のものに変容した。

 魂が変容した経験があるからなのだろうか。『山下マキ』は『別のもの』になることができた。自分と、木という役の間に、当然あるはずの隔たりが存在しなかった。

 故に私は木であり、そして同時に私でもあった。

 憑依型でありながら、同時に俯瞰的な視点も併せもつことができた。


「私も、私には演技の才能があると思った」


 私は己の才能を自覚したとき、歓喜に震えた。

 前世ではたどり着けなかった頂に、今の私ならば手が届く。いや、それどころか、もっと上まで、どこまでも天高く飛び立てるかもしれない。


「マキは凄いね。どうしてこんな私の――ううん、今のなし!」

「えー、なにそれ変なの」


 何を言いたかったのかは分かる。

 でも、それは親として言うべきことではないと思ったのだろう。

 私はニセモノだ。本来彼女の子どもとして生まれるべき存在と混ざってしまったナニかだ。

 それでも、彼女は私にとって母親だ。大きな苦労を背負いながらも、それでも私を育ててくれる尊敬すべき人だ。


「私は役者になるよ」

「応援するよ! 役者の世界について詳しくないんだけど、演技の教室でレッスンとかするのかな?」


 スマホで検索した画面を見せてきた。


「ほらこれ、子役の指導してますだって!」

「レッスンの費用は? 入会金とかもあるんじゃない?」

「えっとねぇ、ひぇっ――!」


 子役の世界に飛び込んでくる者たちは、余裕がある家庭、つまりは裕福な家庭に生まれた者が多い。

 典型的なパターンは旦那が医者で、妻は専業主婦。教育ママな母親が子どもをレッスン室や撮影場所まで送迎するというパターンだ。


「……あてはあるから大丈夫だよ!」


 朱里はグッと拳を上げながら言う。必死に隠しているが、その声は震えている。一瞬だけ、タンスの上部に視線を向けたことをマキは気づいていた。


(本当に、尊敬すべき人だ)


 タンスの上部に、マキが届かないような場所に置いてあるダイヤルキーつきの小箱。

 その中に何が入っているかをマキは知っている。

 彼女が働きにいってるときに、台を用意して取り出し、3桁のダイヤルキーは総当たりで試して開けたのだ。

 通帳や印鑑などの貴重品とは別に、あるものが入っていた。

 

 それは、風俗の店長名刺だった。

 街角でスカウトされて渡されたのだろう。一度は捨てようとしたのか、名刺は破られている。しかし、結局捨てきれず、娘には見られないように金庫の中にしまっていた。


 娘の夢をかなえるために、朱里は風俗商売にその身をささげる覚悟をしたのだ。

 客観的に見れば、『ヤレそうな美人』である彼女は、きっと人気がでることだろう。

 山下太郎の時代、そういうお店には何度も行ったことがある。もしも朱里がそのときの相手として出てきたら、大喜びでリピートしたことだろう。

 風俗の仕事が悪いものだとは思わない。前世ではよく使っていたし、きっと社会を円滑にしている部分もある。

 それでも、朱里にそういった仕事はしてほしくないと思う。


「大丈夫だよ、お母さん。お金は心配ないよ」


 私はお遊戯会でもらった名刺を渡す。


「この事務所て、確か――」

「うん、業界でも大手の事務所だよ」


 役者の世界を知らない朱里でさえも知っているほどの大手の事務所だ。


「私スカウトされたんだ」

「ほ、ほんとに!?」

「しかもレッスン料とかも向こうでもってくれるって」


 それだけ山下マキに才能があり、それだけ松原浩二にスカウトとしての見る目があったということだ。


「えっ……それって、詐欺じゃないの?」

「私も疑ったけど、インターネットで事務所の電話番号調べてかけてみたら本当だって」

「お母さんよりしっかりしてるね……」

「だからお金の心配はしないで。お母さんが無理してお金を稼いでも、私は嬉しくないよ」

「マキ!」


 感極まった彼女は涙を浮かべながら抱き着いてくる。


「ほんとにマキはとっても良い子だね。私なんかには勿体ない、自慢の娘だよ」


 朱里は素晴らしい女性だと思う。

 そんな彼女の欠点をあげるとすると、それは自虐的なところだろう。今の境遇がそうさせるのか、彼女本来の気質なのか、よく自分を下げる発言をする。

 マキは母を安心させるために、娘になりきって抱きしめ返した。


「私はお母さんの子ども、山下マキだよ」

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