2-6

 日本の歌手グループ・オレノメロンは『子ぎつねとわたしの30日』の撮影現場を訪れる。

 ボーカル兼作詞作曲の中巻は主題歌のヒントを欲していた。

 

「悲しい歌ではなく、希望の歌を」

 

 映画の主題歌を依頼されたときに監督が求めたことだ。

 動物との別れ、というイメージが中巻の脳裏に先行しているせいか、どうしても悲しい曲になってしまう。

 楽曲の作成に難航していたところ、監督から撮影現場を見ないかと誘われた。

 ここで何かのきっかけを得られれば、と北海道まで飛んできたのだ。

 

「次は別れのシーンの撮影だよ。君に見てほしかったものだ」

 

 山下マキが素晴らしい演技をしてくれるはずだと笑っている。

 監督に自信満々に言わせる少女は一体どんな演技をするのだろうか。

 期待に胸を膨らませながら、診療所の前にある草むらへと移動した。

 

「ねぇ、覚えてる?」

 

 暖かい陽の光が差し込む草むらの上に少女は座り込んで、弱った子ぎつねを抱きかかえる。

 出会ったときからの思い出を楽しそうに語り掛けていた。

 深い悲しみをその身に宿しながらも優しく撫でている。

 

「大好きだよ」

 

 その光景を見ているだけで目から涙があふれだす。

 撮影の邪魔をしてはいけないと、音を立てずに目をこする。

 

(子ぎつねは幸せだったのだろうか)

 

 目も見えず、耳も聞こえず、鼻も利かない三重苦を背負った野生の子ぎつね。彼はきっと、愛を受けぬまま、孤独に死んでいくはずだった。

 だが一人の少女と偶然の出会いを果たして愛を知った。

 最期に抱いた感情はなんだったのだろう。中巻には分からないが、きっと寂しいという感情はなかったはずだ。

 子ぎつねが死んだことを感じ取ったのか、撫でる手が止まる。その目から一筋の涙が零れた。

 輝く太陽を見上げて少女はほほ笑んだ。

 

「またね」

 

 目の前の光景は作り物だ。頭ではそう理解していても心は勘違いをする。

 まるで本当に子ぎつねと死別したように見えて、しばらく衝撃で立ち尽くしてしまった。

 別れのシーンの撮影が終わると、山下マキは様々なスタッフに絶賛されてお礼を言っている。その姿は礼儀正しくも愛嬌のある子どもだ。先ほどまでの演技の影響はみじんも感じさせない。

 

「めっちゃ切り替え早いな。引きずったりしないんですかね」

「あれだけの演技は完全に役になりきらないとできない。普通は引きずるはずだ」

 

 傍観者の中巻ですら先ほど見た撮影シーンを引きずってしまっている。

 だが山下マキがにこやかに笑う姿には感動の熱演をした面影はない。凄い子だ、と中巻は思った。

 監督がマキを呼び寄せる。どうやら中巻を紹介してくれるらしい。

 

「あっ、オレノメロンの中巻さん!」

 

 彼女は中巻のことを知っているらしい。こんな子どもにも知られるようになったのだと思うと感慨深くなった。

 しゃがみこんで目線を合わせる。

 子どもは落ち着かない生き物だ。だから子どもは少し苦手だ。しかしマキは中巻の視線をしっかりと受け止めて見つめ返してきた。

 彼女の大きい瞳には揺らぎがなく、力強い意志が感じられる。

 

「いやー、見てて思わず泣いちゃったよ」

「そう言っていただけると嬉しいです」 

「マキちゃんは演技をするとき、どんなことを考えているのかな?」

 

 少し茶化したように尋ねた。しかし、その問いは中巻が今最も知りたいことだった。

 天才と言われる役者がどのようにして芸術的なシーンを生み出すのだろう。その答えはきっと、彼の創作の参考になるに違いない。

 

「なにも考えないです」

「えっ?」

「役になりきれば自然と身体が動きます」

 

 マキは簡単に言ってのけた。傍にいた監督が息を呑んでいる。

 中巻は役者ではないが、役になりきるということが容易ではないことぐらいは分かる。

 

「まずは本物になるんです」

 

 子どもの言うことだと一笑にふすことはできない。

 先ほど彼女が言う本物を見たばかりだからだ。

 撮影現場でのマキは、子ぎつねと死別する少女を演じていたというよりは、本当に少女が子ぎつねと死別したかのように思えた。

 それほどまでに真に迫っていた。

 

(負けてられないな)

 

 職種こそ違えど、同じ芸能界で生きる幼き子どもが見せる異才に感化される。

 自分が歌手で良かった、と中巻は思う。

 同じ役者の立場であれば彼女の才能に絶望して逃げ出してしまったかもしれない。

 だが役者と歌手という似ているようで違う立場であるお陰か、強烈なインスピレーションを受けることができた。

 

「本物……か」

 

 己の歌は彼女ほど真に迫っていただろうか。本物であっただろうか。

 中巻は居ても立っても居られなくなり監督に告げる。

 

「急ですけど、ホテルに戻ります」

「期待してるよ」

 

 監督は思惑通り、という顔だ。彼の企みにのせられてしまうのは少し癪に障るけれど、それ以上に感謝の気持ちの方が大きい。

 山下マキという存在と知り合えたこと。それは中巻にとって大きな財産だった。

 そして、ホテルに戻った彼は全身全霊をかけて一つの曲を作り上げた。

 

 

 

    ◆

 

 

 

 7月の初めにクランクアップを迎え、全ての撮影が終了した。

 多忙な小学生である山下マキはゆっくりする暇もなく、東京へと戻り学生生活を再開する。

 撮影現場が北海道であったため、週一回しか通うことのできなかった小学校も、ようやく毎日通えるようになった。もちろん他の撮影もあるため、遅刻や早退は頻繁に生じているが。

 

 映画は公開前から注目の的だった。

 予告の動画はマキを筆頭とした役者陣と子ぎつねたち動物の熱演。そしてオレノメロンの感動的な主題歌。試写会に参加した人たちの大絶賛。

 反響が反響を呼び。公開するとすぐに大ヒットとなった。

 この映画で一番注目を浴びたのはやはり山下マキである。

 

「彼女は天才だよ」

 

 舞台挨拶やインタビューで監督が彼女を絶賛した。

 どれほどのものかと半信半疑だった人々は、流れ出る涙とともに、監督の言葉が真実であったことを知る。

 この映画のヒットを受けて、動物ものの映画やドラマが何本も作成された。

 だが後追い作品の関係者たちは憐れという他ない。

 特に役者陣は悲惨である。天才山下マキと比較されることとなるのだ。

 本物は動物にも通用するのだと無理難題を出されて、皆一様に困惑するのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る