第35巻 ゲイムとの決着

 どうやら当たっていたらしい。百害の魔物の弱点は、額にある魔石で間違いなかった。


 奴はあっという間に崩壊を始め、もうこちらが手を下す必要はないようだ。今警戒するべきは魔物じゃない。僕は高所から落下し呻いている男の正面に立った。


「ゲイム……もう終わりだ」


 周囲をゴブリン達とスライム、ワーウルフとぱんたが囲んでいる。もしチェンジで姿を変え、魔法を使ったとしてもすぐに対応できる。それはゲイムにも理解できているはずだ。


「終わり、だと? ならば殺せ。殺せぬ人間に争いを終わらせることはできない」


 迷っていた。確かに牢屋に収監されたとしても、この男なら脱獄することは容易かもしれない。だったら、今トドメを刺すしかないのではないか。でも思い出してしまう。親友として過ごしたあの毎日を。もう戻ってこない日常を。


「どうしてだ? どうして僕達を騙していたんだ」


 なぜかそんなことを聞いてしまった。今知ってどうなるわけでもない質問を。


「……お前には解らないだろ。解るはずないんだよ」

「何がだよ。何が解らないんだ!?」


 僕は杖を持っていない左手でゲイムの胸ぐらを掴み持ち上げた。ゲイムは歯を食いしばってこちらを睨んでいる。そして眉間に皺を寄せて怒鳴り声をあげる。


「お前みたいに恵まれた人間に、どん底で生きるしかなかった俺の気持ちが解るはずないだろうが!!」


 恵まれた人間? ゲイムの言葉は、素直に耳には入ってこない。


「僕が恵まれた人間?」

「そうだ! お前は誰よりも恵まれているさ。生まれ育った町に恵まれ、両親に恵まれ、幼馴染に恵まれ、そして才能にも恵まれている。そんな奴に俺なんかの気持ちは解らない。だから壊してやったんだ! 壊してやろうと思ったのさ、何もかもなぁっ!」

「お前……お前は! そうやって町の人も、彼女も傷つけようとしたのか!」

「違う! 俺は……シオリのことは、本当に。あの時振られたって、俺は」


 ゲイムは途端に声色が弱くなった。振られた? 理解ができない心を嘲笑うかのように、唐突に嵐が巻き起こった。


「な、なんだこれは!?」


 僕らは思いきり何かに引き寄せられていることに気がついた。遠く先を見たところに答えがある。最後に残っていたゲートが全てを吸引しているようだった。


「ゲートが撤収を始めたんだ。この世界に放たれた魔物達を吸い尽くして、元に戻そうとしてるってわけだ。俺が制御できなくなったからな……」

「なんだって!?」


 あまりにも強い吸引力に体全体を持っていかれそうになる。ゲートを通ってきた魔物達には特に効果が強いらしく、どんどん異形の怪物が吸い込まれていくのが視界に映っていた。左手の力が足りず、一瞬僕は彼の胸ぐらから手を離してしまう。


 ゲイムはうつ伏せになりながらも体を引きずられていく。僕は奴に向けて飛び込んだ。


「ゲイムっ!!」


 勢いよく左手を伸ばし、うつ伏せになりながらも奴の右腕を掴む。ぼうっとしてたゲイムの顔が驚きに歪む。


「お前。なんで……なんで俺を助けるんだよ」

「話は後だ。そっちの手も掴んでくれ!」


 杖を地面に突き刺し、ゴブリン達が支えてくれる中、必死にゲイムを引き戻そうと踏ん張る。だが、彼はただこちらを見つめているだけだった。


「そうか。俺は全部間違っていたんだな」

「いいから! 早く掴むんだ!」


 ゲイムはゆっくりと、左手を僕の右手に近づけていく。


「なあリーベル。一生のお願いがある」

「こんな時になんだ!? 早く、」

「頼む……シオリには、俺のことは言わないでくれ」

「え……」


 どうして、と言うまもなく、ゲイムは左手で強く僕の右手を叩いた。一瞬力が緩み、親友だった男の体が宙を舞う。閉じかけたゲートの中に吸い込まれていく瞬間まで、あいつは僕を見ていた。悲しい瞳だった。


「ゲイム! ゲイムー!」


 頭が混乱しきっていた。あいつを連れ戻したくて、ゲートに向かおうとする僕をぱんたやタロウ、すらっちとポチ達が必死に止める。

 壮大な景観を誇っていた屋敷は完全に崩壊し、跡地となった場所は静寂に包まれていた。


 ◇


 終わったのか。先程までの騒ぎがまるで嘘みたいだ。ゲイムは僕のことを勘違いしていたと思う。確かに恵まれてはいたかも知れないが、見えないところで必死に努力の毎日を過ごしていた。ただの平凡な召喚士に過ぎない男なんだよ。


「ギギー」


 ゴブリン達は、僕を励まそうとでもするかのように肩を叩き、そして魔法陣から帰って行った。残されたのは僕とぱんただけだ。ゲイムの言葉を振り返りながら、ただ呆然と歩く。アイツの最後の言葉を、僕は噛み締めるように思い出していた。


 なぜ、シュピールの姿で戦わなかったのだろうか。僕を殺そうというのなら、屋敷を出ようとした時に不意打ちをすればそれで成功していたのではないか。

 ゲイムにはきっと意地があったのだろうと思う。対等な条件で僕に勝ちたいという意地が。


「シオリは、ゲイムを振っていたのか……それって」


 僕はずっとシオリはゲイムのことが好きなんだとばかり思っていた。だけど、それは誤りだったということなのだろうか。ふと、彼女の今までの姿が記憶から溢れてくるようだった。


「そうだ! 早く会いに行かなきゃ。シオリに、みんなに」


 みんなが無事なのかどうか、一刻も早く確認しなくちゃいけない。感傷に浸っていいのはその後だ。


「キュー! キュー!」

「ぱんた……どうかしたのかい?」


 なぜか僕の懐でぱんたが騒いでいる。石畳を走り、長い階段を駆け降りようとした時だった。


「すっごい事になっちゃったよね。なんていうか、この世の終わりって感じ?」


 背後から声をかけられ、足を止め振り返った。どこかで聞いた声だ。


「君は……レイラーニか」

「久しぶりだね。お兄ちゃん!」


 両手でスカートをつまみ上げて、挨拶の仕草をした後にその子はこちらに駆け寄ってきた。無事で良かったと安堵する。でも、一体いつからここにいたんだろ。


「それにしてもすっごかったぁ。お兄ちゃん、やっぱり強いんだね」

「戦っているところを見ていたのかい?」

「うん。カッコイイし強いし、やっぱり最高だね!」

「僕は、そんな強い奴じゃないんだよ。みんなは無事なのかな? 早く様子を、」

「みんな無事みたいだよぉ。建物はぐっちゃぐちゃだけど。これからてえへんだね!」


 なんか変だな。レイラーニはこんな言葉遣いだっただろうか。前は敬語で接してきたと思うんだけど、驚くほど距離を詰められている気がする。


「ちょっと待ってて。回復してあげる」

「あ、ああ。ありがとう」


 金髪を揺らながらこっちにきた聖女が僕の胸に触れる。薄い緑色の光が心地よい気がした。なんだかどっと疲れが出ちゃったなぁ。


「疲れてるでしょ? 杖も持ってあげる」

「え? いや、大丈夫だよ」

「いいのいいの! 遠慮しないで。ほら!」


 なんかぐいぐい来るなあ。仕方なく杖を預けると、彼女は嬉しそうにニコニコ笑ってる。まあいいか。っていうか、早くみんなの所へ行かなくちゃ。


「ねーえお兄ちゃん。みんなの所に行く前に、レイのお願い、聞いてくれる?」

「お願い? ごめん。とにかく急いでみんなの無事を確かめたいんだよ。だから、」


 急に体がフラついた。どうやら相当消耗したらしい。しかし、ここまで疲れていただろうか。


「レイの家族になってほしいの」

「……え?」


 聞き間違えたのではないかと思ってレイラーニを見下ろすと、


「ねえ、レイのお兄ちゃんになってくれる?」


 という言葉を重ねられ、どういう風の吹き回しかと悩んでしまう。


「何を言ってるんだよ。悪いけど、僕は今急がないといけないんだ。君は、」


 言いかけて口が止まってしまった。レイラーニは白くて細い左腕をこちらにむけている。聖女の紋章の神々しい輝きが薄れ始め、やがて消える。


 今度は反対に左腕をこちらに向けてくる。やがて死神を思わせる禍々しい紋章が浮かび上がり、彼女の容姿が変わっていく。

 肩までの金髪は、紫と白の混じり合った長髪へと変わり、服は黒を貴重としたフリルドレスへと変貌する。首には骸骨を思わせるネックレスをつけており、黒い厚底のブーツを履いていた。


「だ……誰、だ?」

「もーう。レイだよぉ。ほらー! シュピールと同じ、もう一つの姿ってやつ?」


 チェンジを使える人間が、この町にはもう一人いたのか。しかし、どうして今その姿になったのだろう。髑髏のアクセサリーはまるでネクロマンサーみたいだ。聖女の姿とは真逆の、怪しさと不気味さを漂わせたレイラーニは、どこからともなく召喚した黒い鎌を手に取った。


「ねえ! ここで死んで、レイのお兄ちゃんになってよっ」


 彼女は満面の笑みを浮かべて、僕めがけて鎌を振り上げた。

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