第28巻 バルデスからの呼び出し

 バルデスがシュピールを招き入れるのは、これで何度目になるのだろうか。本人達ですら数えるのも馬鹿らしくなるほど、二人は何度も密談を重ねていた。

 しかし、回を重ねるごとに内容は有意義とは言い難いものに変わっていった。今では商人は眼前にいる老人に苛立ちしか感じられなくなっていたのだ。


「シュピール。ワシは何度も確認をしているつもりだが、あの土地はいつ手に入るのだ?」

「焦りは禁物ですよ。バルデス様。少なくとも、商人の世界で神となろうとしている貴方様にはね」

「いい加減にしろ! のらりくらりと詭弁ばかりろうしているではないか! ワシにはもう時間がないのだ!」


 老人はそれがどうしたと言わんばかりに、ニンマリとした笑顔を崩そうとはしない。


「でははっきりとお伝えいたしましょう。本日です」

「……な、何だと?」

「ですから、本日ですとも。あのマンガ喫茶の店長を務める小僧を、ここへ呼び出していただきたい。そうすれば全ては万事、上手くいきましょうぞ。貴方様が欲しくてたまらないあの土地が、明日にでも手に入ります」


 バルデスの頭の中には期待と困惑が入り混じっている。しかし、ここまで言い切ったからには算段があるに違いない。重い腰をあげシュピールを見下ろす。


「本当なのだな。今日失敗すれば、その命はないものと思え」

「構いませぬ、構いませぬとも。では私は準備がありますので、これで……」

「ま、待て!」


 立ち去ろうとするシュピールの背後に、興奮気味の声が降りかかる。


「ワシは奴と会って何をすれば良いのだ?」

「簡単ですよ。土地を寄越せ、そう仰れば宜しいだけのこと。貴方様らしく」

「い、いやしかし。奴が逆上して向かってきたらどうする?」


 バルデスは本来気が小さい男だった。どんなに準備をしても失敗の不安に駆られる。


「護衛など幾人もおりますでしょう」

「仮にも冒険者だった男だぞ。護衛の手が届く前に襲われる可能性はあるだろう」

「ご存知の通り、この屋敷には……既に幾つもの魔法陣を作り終えています。それらは貴方様を守る障壁でありゲートのようなもの。もし奴めが暴挙を起こすのでしたら、ゲートを通ってすぐにでも止めて見せましょう。ご安心いただきたい」


 商人はようやく安堵のため息を漏らす。そして部下にした者には常に強気に出る。


「……面白い。決してワシに恥だけはかかせるなよ」


 老人は最後の言葉には返事をすることもなく書斎を後にした。無礼ではあったが、バルデスは呼び止めることはせずに見送る。


 失敗したら首を斬られる老人が、最後に示した意地とでも思えばいい。

 バルデスはようやく勝利を確信し始めていた。あの黒き大魔導の発言だ。今度こそ勝てる、と。


 しかし、今回動いているのは彼らだけではなかった。二人の話を書斎の外で盗み聞きしている者がいた。


「ミランダぁあ。聞いた? やっぱり今日始める予定みたいだよ」


 紫と白が混じり合った髪をした少女は、書斎の外ですれ違ったシュピールと軽く挨拶をした後、闇に隠れる幽霊に笑みを向ける。


「手伝うの? 死霊術の姫様」


 幽霊の問いかけに、少女は大きく首を縦に振る。


「もっちろん手伝うよ。お兄ちゃん、ずっと欲しかったんだぁ。家族いなかったからさぁ……欲しいなあ。欲しい。欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい。あははは、あはははは」


 気が触れたかのように同じ言葉を繰り返しながら、少女もまた闇の中へと消えて行った。


 ◇


 マンガ喫茶に大砲をくっつけてしまった騒ぎから二週間が経過した。ここ数日は天気がどんよりと曇っていて、あまり気持ちが良くない日々が続いてる。


 それでもマンガ喫茶は繁盛を続けていた。いや、むしろ天気が悪い日こそお客さんが増える傾向にあるようだ。おかげさまで更なる増築にも成功し、もらっている土地ギリギリの面積にまで店が広がっている。もう百人以上は余裕で入るスペースになってきていて、店員も十五名を超えて経営は安定してきたようだ。


 そうなってくると、どんどん僕自身は暇になってくる。今日は本当にやることがなくなり、スタッフルームで冒険者だった頃愛用していた杖の手入れをしていた。油をつけた布でグリップ部分にある竜の顔を拭き拭きしていると、ぱんたが杖まで飛んできた。


「キュー! キュキュキュ」

「うわっと! ぱんた。その辺りは危ないから、触っちゃダメだよ」


 僕の杖は普通じゃないからね。攻撃できるように細工があったりするんだ。勇者パーティにいた頃は自衛するのは当たり前だったから。まあ、これは僕だけじゃなくて、ビエントもシーも何かしらやっていた。


「みんな、今頃どうしているのかな」


 ヒナに送った手紙の返事は来ていない。もう違う町、違う大陸に移動した後だったのかもしれない。妹と一緒にダンジョンに潜り、凶暴な魔物達と戦っていた日々が随分と遠くに感じられる。思い出に変わってしまうと、あの辛い毎日ですら悪くはなかった気がしてくる。


「お疲れ様っ。あ、杖の手入れをしていたの?」


 休憩の合間にやってきたシオリが、興味深げに僕の杖を覗き込んでいる。彼女にしてみれば珍しいんだろう。


「うん。しかしあれだね、みんながしっかり働いてくれるから、僕の出番もなくなってきちゃったよ」

「ううん。リーベルがいつも引っ張ってくれるから、私達も頑張れるんだよっ。ねえ、今日の夕方って空いてる?」

「夕方なら空いてる。何か用事があるの?」

「実はね、今日リーベルに会いたいっていう人が来たの。バルデスさん」

「ふーん。屋敷に向かう感じでいいのかな?」

「ええ。どうしても屋敷に来てほしいって。相応の見返りはあげるって仰っていたけれど……」


 大商人バルデスの話は、親父から嫌というほど聞かされている。下請けの業者をまるで奴隷のように扱い、いらなくなったら即日で契約を解除したり、高利貸しやら土地の買い占めやらを積極的に行っている男っていう噂だった。


 そして明確な証拠はないが、シオリ達を立ち退かせようと必死になっていたのもバルデスだろう。だからなのか、目の前にいる彼女は暗い顔で俯いていた。もしかしたら、僕が彼にそそのかされてしまうのではと心配しているのかも。


「大丈夫だよシオリ。僕は彼と組むことはない」

「え?」

「いくら大金なんて積ませてきても、彼のような奴と仕事で組むつもりはないし、立ち退きだったら尚のことお断りだ。はっきりと断ってくる。だから安心していいよ」

「……リーベル」


 シオリはホッとした顔になり、今日初めて微笑を浮かべた。彼女の顔を曇らせることがあってはならない。夕方になり、僕はゆったりと支度をしてバルデスの屋敷へと向かう。

 場所はアザレアでも有名な高級住宅街の一頭地。相手が悪徳商人とはいえ、特に物騒なことにはならないだろうと考えてはいたが、念の為杖だけは持っていくことにした。


 今にして思えば、あの時もっと入念な準備をしておけば、まだマシな結末に変わっていたのかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る