第29巻 屋敷の中で
流石は大商人と言われるだけのことはあって、バルデスはとても豪華な屋敷を持っている。
僕は少し戸惑いつつも、正面から足を踏み入れた。メイドさん達が並んで迎えてくれたんだけど、どの女性も無表情でちょっぴり不気味だった。
正面の茶色い扉が静かに開かれると、禿げ上がった恰幅のいい中年男がやってくる。余裕の笑みと、どこかこちらを見下したような瞳。すぐにこの人だと理解した。
「いやはや、ご足労いただいてすまない。ワシがバルデスだ」
「リーベルです。ご用件はなんでしょう?」
バルデスはクックと思わせぶりな笑みをこぼした後、こちらを手招きする。
「まあまあ、立ち話もなんだしの。お入りなさい。相応のおもてなしを用意しておるよ」
僕は無言で彼の後をついていくことにした。家の中はまるでどこかの宮殿みたいに広くって、部屋にはライオンの剥製があったり、中に人が入っていない鎧などが飾られたりしている。
僕は一階の一番奥にある立派な部屋に招待された。大きめのテーブルとソファ、赤い絨毯にシャンデリア、高そうな酒がいくつも飾られてる。応接間みたいな物だろうか。
「そこへ座りなさい。リーベル君」
僕は促されるままにソファに腰を下ろすと、彼も向かい側に座り、グラスに酒を注ごうとした。
「お酒は結構です。そろそろ要件を聞かせてほしいのですが」
バルデスの酒を注ごうとする手が止まった。しかし顔には余裕の笑みが広がってる。あんまり長話をするつもりもなかったし、さっさと帰りたかったんだ。
背後には二人ほど護衛と思われる体格の良いお兄さん達がいる。
「勿体ないことだよ。今君のグラスに注がれるはずだったのは、三十年もの間寝かせたワインなんだ。そこらの安物とは訳が違う。ただの来訪でこの待遇をするということは、それだけ良い話があるんだがね。もう少し心を開かれてはどうだろう」
「……貴方の噂は知っていいますよ」
「ほう」
どう言葉を繋げていけばいいんだろう。正直、周りくどい話は嫌いだった。
「いろいろと強引な手段を使って儲けている人だって、人伝に聞いてます。失礼な発言とは思いますが、だから僕は警戒しているんです」
「うむ、うむ! 成る程成る程。君は噂を信じるタチというわけだな。嫌いではないんだよ。そういう人間は。少しワシの若い頃の話をしよう」
それからバルデスは、古風な時代の幾らか装飾しているであろう話を続けた。元々豊かだった自分がなぜ商人の道を選んだのか。恩師と出会い、家族を作ったが今は別れてしまったこと。あとは今成功している事業の数々。
僕としては、そのほとんどが不必要な情報に思えて仕方がなかった。
「ワシは国王からも期待されていてね。今後も大いに商いを極めていけと素晴らしいお言葉をいただいておる。さて……そろそろ本題に移るとしようか。君はあの男とシオリが所有している土地で、一つの商売をしているようだね」
「ええ、ちょっと変わった喫茶店をやってます」
ようやく本題に入ったのか。じれったいやり方をする人だ。
「相当な利益を上げていると聞いておる。奇抜な商売を始める時っていうのは、往々にして最初は成功するんだよ。ワシはそんな人間を何人も、星の数ほど知っている。同時に、衰退して去っていくむなしき後ろ姿もまた、ほぼ同じ数だけ見送ってきた」
「……」
「マンガ喫茶、だったね? 成程素晴らしい発想だ。今までそんな商売を考えた人間など聞いたことがなかった。ただねえ、顧客というものはとかくシビアなのだよ。どうだろうか? 売り上げが落ちて貧窮する前に、纏まった金を手にするというのは」
僕は気怠さを感じて、湧き上がってくる欠伸を押し殺した。
「つまり、立ち退いてくれと?」
「いや、そういうことではないんだよ。これはね、リーベル君。君たちの為を思ってのことなんだ。ワシにしてみればあんな土地の一つや二つ、いくらでも代わりは見つかる。だが、」
「そのわりには躍起になっている」
ピク、とバルデスの眉が動いた。しかしさっきから変だ。何か焦っているような空気がある。
「シオリがゴロツキ連中に絡まれるようになったのは、立ち退きを断ってからでしょう。貴方の要望を断ってからまもなく、アイツらからの嫌がらせが始まった」
「何がいいたいのかな? 君はまさか、ワシがそのゴロツキとやらを雇っていたとでも?」
「そうは言ってません。証拠なんて何も見つからない。僕が言いたいのはたった一つです」
僕は立ち上がり、無表情のまま彼の瞳と向き合う。
「おじさんとシオリは、あの土地を貴方に渡すつもりはない。僕を動かそうとしても無駄です。ここで失礼します」
「ま、待たんか! 下手に出ていれば、貴様!」
振り返って早足でドアへ向かうと、護衛の二人が止めようと体を抑えたが、このくらいは大した力ではない。僕は務めて暴力的にならないように、優しく二人を押し除けながら部屋を出た。
てっきりバルデスは後をついてくるものかと思っていたけれど、部屋の中で何か喚いているだけで追ってはこなかった。低級庶民のくせに、とか。あんな老ぼれと小娘に乗せられおって、とか。後悔するぞクズが、とか。
ただ、ほとんどはどうでもいい叫びの中で、たった一つ耳に残った言葉がある。
「いったい何をしているのだ!? あの小僧をどうにかするのはお前の役目だったはずだろうが!」
一体誰の話をしているのだろう。薄暗い廊下を歩き続け、玄関ドアから出ようというところだった。
「いいのか? これ以上ない儲け話だろう」
背後から老人の声がして、僕は振り向く。吹き抜けになっている階段の上で、見覚えのない男がいた。刃物の切先を思わせる鋭い眼光。只者ではないことは一目で理解できた。
「纏まった金ほど人生に必要なものはあるだろうか。ワシはその金が欲しくて欲しくて、この歳になるまで苦労を重ねたものだよ。お前は恵まれているな」
「貴方は一体……」
ようやく解った。この屋敷に漂う陰湿な風は、きっとこの男が原因だと。
その老人は口角だけを上げて笑顔を作りながら、一歩一歩階段を降りてきた。
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