第30巻 シュピールの暴走

「いい顔をしているじゃないか。お前も成長したということかな」


 会うなりまるで知り合いだったかのような物言いをする老人に、僕は怪訝な顔をするほかなかった。


「失礼ですが、どこかでお会いしたことがありましたか?」

「ふむ。どう説明すればいいものやら……私としたことが、せっかくの再会であるというのに、上手い言葉が見つからなぬ。これは失敗だな」


 老人は階段をゆっくりと降りながら思案しているようだ。コイツはヤバいやつだ、と僕の中で鐘が鳴っている。全身から漂う雰囲気と血の匂い。ただのゴロツキ達とは明確に異なる脅威の差をひしひしと感じていた。


「シュピール! 貴様、何をモタモタしておったのだ! してここからどうする? お前の言うとおりにしてやっただろうが!」


 大商人バルデスが息を荒げながらこっちへやってきた。その言葉の意味するところに僕は驚く。まさかとは思っていたが、シュピールってもしかして。


「まさかだけど、黒き大魔導と呼ばれて恐れられている殺し屋か?」

「ククク。そう呼ばれているな。まったく忌々しい名だと、今となっては思うがね」

「おいシュピール! ワシの話を聞いておるのか。その態度はなんだ!」


 商人が必死になって凄んでいるようだが、大魔導と呼ばれた男は何も怯む様子がない。彼の噂をかねがね聞いてた僕にしてみれば自然な反応とも思えた。

 彼はあらゆる魔法を極めた存在だと言われるが、それを正しいことには使わず、人殺しの道具として利用し続けていたらしい。殺した人間の数は仕事とプライベートを含めても、千や二千は軽く超えるのだという。


「おっと。そこにおられましたか。すみませんねえ、最近耳が遠くなりまして。バルデス様、あなた様にはお礼を申し上げなくてはなりませぬ。あの港町で私を拾ってくれたこと、たっぷりと報酬を弾んでくれたこと、そしてこの広い屋敷に……魔を呼び込む術を施させてくれたこと」

「魔を呼び込む? 一体何の話だ?」


 シュピールは階段を降りきると、バルデスに向けて両手を大きく広げた仕草をする。話の全容は解らなかったけれど、物凄く危険な予感が頭をかすめていた。


「お気づきになられないのも無理はない。貴方は素人です。この屋敷の至る所に魔法陣を作らせていただいたことはご存知でしょう? 屋敷の中に一つ、庭には十はくだらない数を設置してございます。それらは、貴方を守るということを口実に作ったもの。ですが……真実は違う」


 シュピールが懐から赤黒い杖を取り出し、床を先端で突いた。杖は深々と刺さり、薄紫色の光を帯始める。


「ワシを守るものだろう!? いったい何を」

「クハハハ! どうして私が貴方を守る必要があるのですか? 寝ぼけておられるのなら、覚醒が必要ですな」


 僕は待っているべきではないと思った。屋敷や庭に設置された魔法陣。もし予想が当たっているとしたら、すぐに止めなくては大変なことになってしまう。


「ちょっと待て! シュピール!」

「おっと! 辛抱してくれるかね? リーベル!」


 シュピールが左手から発した巨大なファイアボールが連発で放たれる。急停止した僕は咄嗟に左右にかわしているが、奴は猛烈な速度で連射し続けていた。この室内でだ。


「き、貴様! いったい何をしておるかぁ!」


 自らの屋敷に火を放たれているも同然のバルデスは怒り、大魔導に掴み掛かろうとしたが、奴は右手で作り出した火球をためらうことなく至近距離で浴びせた。


「ぎゃあああああ!? あ、熱いいいい!」


 後退しながら悶絶するバルデスを見て、奴はおかしくて堪らないらしい。


「くそおお! 護衛どもは何をしておる! 早く来い! コイツを殺せぇ!」

「もうみんな死んでおりますが」

「……な、なにぃいいい?」


 シュピールは何とか服を脱ぎ去って炎から逃れたバルデスを嘲りつつ、こちらを接近させまいと風の刃を連続で放つ。距離を置いて避けながら、僕は召喚魔法を使用する準備を始める。

 だが、魔法を使う集中を途切らせてしまうくらい、心を揺さぶる光景と直面してしまう。


 老人は黒いローブの中から小さな箱を取り出して、いくつもの宝石を掴みとり空中へと投げる。それらは意志をもったかのように四方へと飛んでいく。


「あれだけの巨大な魔法陣を発動させるには、私の力だけでは足りませんからな。魔宝石を使う必要があるのですよ。さて、仕上げといきましょう」


 箱の中に最後に残っていたもの。それは赤く歪な形をしたナイフだった。ショックなことに、それは酷く懐かしい代物だったんだ。友人だった男が唯一持っていた風変わりな代物だ。


「……それはゲイムが持っていたナイフだ。まさか……お前」


 怒りが足の爪先から頭頂部まで一気に登ってくるようだ。奴は僕の親友まで殺していたのか。しかし、シュピールは微笑を浮かべながら首を横に振る。一体何が違うと言う?


「無理もない勘違いだが、少々事情が異なる。すぐに真実を教えてやろう」


 奴は自らの指先をナイフで僅かに斬りつけ、滴る血を床に突き刺した杖に垂らしていく。欲していたものを得られたと言わんばかりに杖は赤く輝き、禍々しいオーラが爆発的に広がる。


 屋敷が大地震に見舞われたようだった。立っていられなくなりしゃがみ込む。外から絶叫が聞こえた。それは人間や猛獣よりも、ずっと醜くよく通る叫び声で、一秒だって聞いていたくない醜悪なもの。いくつもいくつも聞こえては消えている。


「シュ、シュピール! 貴様、貴様一体何をしたのだ!?」


 バルデスは目前の光景に恐怖を覚え始め、全身が小刻みに震えている。


「ゲートを開いたのです。この世界とは異なる、飢えた魔物達でひしめく世界へのゲートをね。今まさに、アザレアは魔物達の襲撃を受け始めたのですよ」

「何という、何ということを……貴様。自分が何をしたか解っているのか!?」

「ええ、存じておりますとも。とある大商人の指示に従い、アザレアの町を魔物で蹂躙し、多くの人々を虐殺致しました」


 バルデスは泣きそうな顔になりつつも激昂した。


「貴様ぁ! ワシのせいにするつもりなのか! どこまで恩知らずなのだぁ!!」

「はて? 恩などありましたかな? 貴方に取り入ったことも全ては、この日の為ですぞ」


 いつの間にかシュピールの右腕がバルデスの頭を鷲掴みにしていた。大地震のような振動は少しずつおさまり、僕はどうにか立ち上がることができそうだ。あと少し、あと少しで。


「な、何をする!? 主人に向かって」

「クハハハ! いつまでも主人面をするんじゃない。とっくに理解しておるのだろうが。貴様はただの駒に過ぎんのだよ! 貴様の存在を知った時、使い捨てにするに丁度良いと考えたまでのことだ。その果てしない強欲さ、虫唾が走る!」

「い、痛い! 痛い痛い! やめて、やめてえええええ!」

「や、やめろ! シュピール!」


 僕はようやく立ち上がり、奴の側に近寄ろうとしたが遅かった。黒い業火が商人の顔を勢いよく焼き、骨まで溶け去ってしまった。


「やっと邪魔者を排除した。さて、リーベルよ。一つだけ朗報がある。呼び出した怪物達は、この屋敷に一つだけあるゲートには決して近寄らぬ」


 そう言いつつ杖を抜き、後方へと向ける。よく見れば廊下を超えた先に大きな門が現れていた。


「あそこは出口専用でな。元の世界に帰りたくない魔物連中は、決して近寄らんよ。つまり私とお前の間に邪魔は入らない」

「悪いがお前の相手などしている暇はない!」


 怒りで頭が混乱していたが、今は冷静になることが必要だ。コイツを相手にしている間に、町の人々が魔物に殺されてしまうんだ。僕は奴の攻撃に警戒しつつその場を去ろうとした。


「私を倒さなければ、ゲートは開きっぱなしだぞ」

「……なに?」


 太々しい笑みを浮かべながら、シュピールは黒いローブから左腕を見せた。魔法使いの紋章だ。魔女を象ったデザインが、やがてうっすらと消えていく。


 これ以上いったい何をしようというのだろう。全く予想がつかない展開に、僕は再び動きを封じられている。


 続いて奴は右腕をローブから出してこちらに向けた。今度はうっすらと、召喚士を表す白いローブをまとった紋章が浮かび上がってきた。


 シュピールの全身が赤く光る。まるで全てを塗り替えようとするように、大袈裟な光を発し続けている。その輝きの中で奴の姿形が変化していた。


 僕は空いた口が塞がらない。変化を終え、光から解放されて悠然と立っていたのは、かつての友人だったのだから。


「あ、ああ……! もしかして、ゲイム……か?」

「やあリーベル。俺だよ。久しぶりだったじゃないか。そして、決着をつけよう」


 外で悲鳴が聞こえる。だが僕には、まるで遠い世界での出来事のようだった。夢でも見ているような気分だ。

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