第24巻 不意打ち

 シュピールは慎重な性格ではあったが、同時に大胆な計画を企てることも好きな男だった。


 白昼堂々と標的を葬るということも、かつては幾度も成し遂げている。暗殺だろうが正々堂々とした決闘だろうが、彼にとっては同じことだった。

 気に食わない奴もまた殺してきた。対象は老若男女を問わない。


 勝てば良い、殺せば良い。ただ自らが望む結果だけを考えている。頼まれればどんな殺しも請け負ってきた闇を歩く男。老人となった今も魔法の腕は落ちていない。


 彼はアザレアのレンガ通りを歩き続け、やがて草原に近い田舎道に辿り着く。民家がいくつも並び、木々や川もある平穏な場所に標的がいる。

 この長閑な空気が嫌いだったが為に、彼は今まで極力足を踏み入れずにいたのだ。


 民家をいくつか抜けると、一際独特な店が一軒立っている。以前下見をした時と変わっていない。窓の向こうでは沢山の人々が楽しい時を過ごしているようだ。


「ふん。ああやって呑気に読書できるのも今のうちだ。最後の平穏を楽しめ」


 シュピールは長い白髪をいじりながらほくそ笑む。実は数時間ほど前に彼はここを訪れており、とある魔物を放っていた。彼の命令に忠実に従う影の魔物は、誰にも気がつかれず人を廃人に変えることもできるし、楽に暗殺をすることも可能な一番の相棒だ。


 しばらく前に金髪とスキンヘッドのゴロツキを廃人にしたのも影の魔物であり、今度はマンガ喫茶に勤める人間を派手に殺してやる計画だった。


「奴はそろそろ仕事を始めるはずだ。今に死体が転がり、奴らは怯え泣き叫ぶことになろう」


 シュピールは影の魔物に、たった一つ例外を伝えている。黄金の瞳を持った少女だけは殺さず、生かして自分のところへ連れてこいと。


「………」


 ふと、彼は太陽の高さを確認した。違和感が頭の中を支配していく。どう計算しても、もう自体は動いていなくてはおかしいのだ。

 彼は杖をつきながら、マンガ喫茶に接近することにした。近づくほどにオレンジのレンガ調の建物が奇抜に感じ、少し気後れしてくる。


「おかしいぞ。シャドーの奴、一体何、」


 ある程度まで近づいた時、ふいに手にしていた杖を離しそうになった。マンガ喫茶近くにある芝生から、微かな煙が発生している。それはよく目を凝らさなくては気がつかないほど微小なものだが、老人ははっきりと気がついた。


「影がやられているだと!?」


 大抵のことではたじろぐことはないシュピールの額に汗が浮かぶ。今にも消滅寸前になっている影の魔物は、どうやら何かに思いきりぶつけられたかのような跡があった。そしてとうとう本当に消滅してしまった。


「ぐ! まさか……ここまでやるとは。しかし、一体どうやって」


 その時だった。マンガ喫茶のドアが開いて、誰かが外に出てくることに気がつき、背が曲がっている老人は早歩きで現場を離れる。心の中に数十年はなかった焦燥感が渦巻いていた。


 やがて民家の影までくると、シュピールは振り返って様子を見た。落ち着きを取り戻そうとした彼の心に二度目の衝撃が走る。


「良かったー。誰も轢いてなかったみたい」


 男が辺りを見回していた。その風貌をシュピールは知っている。


「……リーベル……」


 独り言を漏らした後すぐ、彼は奇妙な納得を得る。マンガ喫茶から感じる強大な魔力やオーラ、その主が勇者パーティで活躍していたあの男だとしたら……。


「成る程な。納得した。まさか、お前が私の相手になろうとは」


 どうり影の魔物では叶わないわけだ、と古の魔法使いは心中で言葉を添える。どんな手を使ったのかは知らないが、リーベルはあっさりと自らが最も信頼する相棒を葬ってみせた。


 彼はリーベルのことをよく知っていたし、勇者パーティについても興味深く研究していた。長年の経験と独自の観察眼から、勝手に一人一人評価をつけてもいる。

 長い長いキャリアを持つ魔法使いからすると、リーベルは最も油断ならない相手だという結論を持っていた。勇者や賢者よりも、恐らく危険であると。


「ならばこちらも、全身全霊で応えねばなるまいな」


 去りゆく老人の体が震えているのは、恐怖という感情のみではなく、闘争本能による興奮も多分に含まれていた。

 シュピールは兼ねてから計画していた作戦を実行に移すため、まずは商人のいる屋敷に戻ることにした。


 彼の双眼は怒りに震えるように充血している。いつものように懐から小さな箱を取り出し、宝石達を眺めることで気持ちを沈めようとした。宝石は皆幸せな人間達から奪ったものだ。人から物を奪うのはとても気持ちがいい。


 ふと、箱の中にある赤いナイフに視線が向き、苛立ちが強くなった彼は勢いよく箱を閉じて大股で歩き出した。ナイフの柄には黒い文字で名前が書かれている。消えかかっているそれは、ゲイムという文字がかれていた。


 ◇


 それは数日前のことだった。

 突然シオリのお父さんが僕を訪ねて、家までやってきたことがあったんだ。ちょっとだけ驚いたけど、ここ最近では交流が増えていたから特に気にはしていなかった。

 彼は僕を釣りに誘ってくれた。


 体が弱いから、最近ではほとんどできなくなっていたらしい。川辺でシオリのお父さんと二人っていうのも珍しかった。


「なあ、リーベル君。君に一つだけ伝えておきたいことがってな。シオリのことだ」

「娘さんのことですか」


 二人で釣竿を垂らしている時間は、いつもの生活より長く、のんびりと過ぎていくようだ。


「実はね。ここだけの話にしてほしいのだが。シオリは北の雪国出身なのだよ。アイツの瞳、まるで宝石みたいになっているだろう? 金色の瞳は、世界中でもごく稀にしか現れない」

「珍しい瞳ですよね」

「ああ、そうだ。シオリが生まれた時は、二千年ぶりに誕生したと騒がれておったよ」

「に、二千年ですか?」


 この一言には驚いた。珍しいとかいうレベルじゃない。


「だが、ただ希少な存在ということだけではないのだ。あの瞳には、古くから伝わる言い伝えがある。女神の瞳、などという言い伝えがな」

「女神の瞳って……」

「その瞳をもった人間と結ばれた者は神に認められ、王となることができるという伝承がある。北の国で言い伝えられており、それ故シオリはあらゆる人間から狙われることになった。あの国では、娘と結婚すれば本当に王になれるだろう。シンボルとしてのシオリを欲しがる連中は後をたたんかった。悪どい連中からも狙われ、私は国を出て南の大陸へ……つまりはここアザレアへやってきたんだ」


 そんな事情があったのか。僕はシオリが目立つことを嫌っていることに、性格以外の理由があることを改めて知った。


「じゃあ……マンガ喫茶で働いていたら、目立っちゃったりとかして、まずいことに……」

「いや! それは構わない。君の店で働いている限り、むしろ安全であるとさえ思っている。アザレアには、伝承を信じるような連中も少ない様子だが、君とさえいれば……」


 僕が考え込んでいると、不意に優しくおじさんが腕を掴んできた。


「リーベル君! シオリを何卒、よろしく頼む!」

「え? あ、はい。解っています!」


 大事な娘が危ない目に遭うかもしれないっていう心配が、彼にはいつもあったのだろう。僕は強く答えて約束した。彼女は僕にとって大事な仲間だ。決して危険な目には合わせない。

 そんなことを考えていると釣竿が反応して、僕らはけっこう大きな魚を釣りあげることに成功した。

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