第20巻 勇者、怒りの疾走

 洞窟での失態をきっかけとして、勇者パーティはスランプに陥っていた。

 以前まではほぼ十割の確率で依頼を達成していたのだが、ここ最近では五割程度の達成率に低下している。


 冒険が上手くいかない理由はいくつも考えられたが、賢者ビエントは決して自分達がリーベルを追放したことが原因だと認めることはなかった。


 今日勇者ヒナ達が引き受けた依頼は、とある岩山に生息している巨大なダチョウ型モンスター【マッハダチョウ】の頭頂部に生えている髪の毛をいただくことである。マッハダチョウはまるで音速のような速さで駆け回ることからつけられた名前であり、頭頂部にある髪の毛はありとあらゆる難病を癒す薬になるということだった。


「勇者よ! 聞いているのか」

「はーい。聞いてますよぉ」


 山道を進みながら、ビエントは先頭をさっさと歩くヒナに声をかけた。後ろには戦士アルコバ、盗賊シー、加入して間もない召喚士ディナルドが続いている。


「最近の君の怠惰ぶりは目に余るぞ。勇者たるもの、節度と正義感を持ってことに当たらねばならん。先程は冒険者ギルドでも、やる気のなさそうな顔をしていたな」

「…………」

「兄がいなくなったからといって腐ってどうするのだ。それに最近は自分勝手な単独行動ばかりしている。本来リーダーは君が務めねばならん。リーダーとしての自覚を持ってだな、」

「……」

「勇者よ! 本当に聞いているのか!?」

「はーい。聞いてますよー」

「く! 貴様!」


 適当な返事で流そうとするヒナに突っかかるビエントを、慌ててシーが引き止める。


「ちょっとちょっと! やめなよービエント。ヒナはきっとプレッシャーで疲れちゃってるんじゃん。アーンタがそうやってくどくど説教しようとしたら、むしろ逆効果だってば」

「シー。そうは言うが、ここ最近の勇者はまるで魂が抜けたような顔をしているぞ! このままでは我々のランクにも影響が出てしまう。なあアルコバ、そう思わんか?」


 話を振られた戦士は、ただ面倒そうに首を鳴らした。


「知らねえよ。俺はとりあえず暴れるだけ暴れて、稼ぎが入ればそれでいいんだ。でもよ、なんで最近こうも調子が悪いんだろうな。なぁディナルド、どう思う?」


 まさか自分が話を振られるとは考えていなかったディナルドは、曖昧な苦笑いをするのみだ。


「さあ……歴史上の高名な英雄達にもスランプの時期はありましたから、今がきっとそうなんじゃないですかね」


 召喚士の言葉が耳に入り、賢者は更に苛立ちを募らせていく。リーベルの空いた穴を埋めるどころか、大きく余りある功績を挙げてくれるはずだった男は、未だに期待どおりの活躍をしてくれない。


「ディナルド! 貴様、今日こそはしっかりと成果を出すのだぞ。私達は立ち止まっているわけには……? 何か来たぞ!」


 山の向こうから足音が聞こえ、勇者達が戦闘態勢に入る。接近してくる何かは自らを隠そうともしなかった。全身を七色に染めた奇抜かつ巨大なダチョウが駆けてきた。


「ま、まずいぞ! みんな、一旦かわすのだ」

「ひゃああー! ちょっとちょっと、マジで速くない!?」


 ビエントとシーが最初に横に飛ぶ形で回避し、他のみんなが続いた。


「クエエエエエー!」


 人間の四倍ほどもある体長が猛烈なスピードで通り過ぎ、かすったシーが宙に舞った。


「ぎゃー! い、いったぁーいっ。テメー! 何しやがんだこのバカダチョウが!」


 脳天から地面に激突し、頭を抑えたシーが怒鳴り声を上げた。この一言が悪夢の始まりである。


 既に小さく見えていた背中がピタりと止まり、Uターンしてこちら目掛けて駆けてくる。


「あ、なんか戻ってきたね。シーがバカって言ったから怒ったみたい」


 どこか他人事のようなヒナの言葉に、シーは焦りを感じてしまう。


「ちょ、ちょっとヒナ。呑気なこと言わないでよぉ! 殺しに来てるってことでしょ! はい、剣を構えて! 戦って。はーやーく」

「とにかく迎え撃つのみだ! 行くぞみんな」


 勇者が先導しないので、代わりに賢者がメンバーに声をかけると、皆一様に迎え撃とうとする。


「ふん! あんなダチョウなんぞ、この俺が叩っ斬ってやらぁ」


 アルコバが左右の手に一本ずつ持っている戦斧を構え、一直線に駆けていく。坂道を降りている分、こちらのほうが態勢は有利なはずで、彼は迷わず斧を振り下ろそうとした。


「クエエエー!」

「ぐおおおおお!?」


 虹色の胴体に戦斧が命中したが斬るまでには至らず、アルコバは体当たりで吹き飛ばされてしまう。


「くそ! ならばこのメガフレイムを喰らえ!」


 ビエントは広範囲に巨大な火炎をお見舞いする。しかしダチョウは少しばかり顔を歪めただけで失速することはなかった。馬よりも速い魔物の体当たりが勇者パーティを襲う。


「グエエエエエ!」

「う、うおわあああ!」

「きゃあー!? ビ、ビエエエエエエ!?」


 ビエントとシーが同時に弾き飛ばされ、空中高く放り上げられ地面に落下する。ヒナは回避したが、特に反撃するような動きは見せなかった。


「うぐぐ。おのれ、ここまでやるとは。ディナルド! 召喚できるか?」

「はい! しかしまだ時間が……」

「いや、待った。この際魔物はいい。補助魔法を使ってくれ」

「……は?」


 歯切れの悪い返答をする召喚士に、再び戻ってきたダチョウを前にしたアルコバが叫ぶ。


「補助魔法だ! わかんだろうが。もう少し俺を強化してくれたら、あいつにも押し負けねえはずだ。早くしろ!」

「ちょっと待ってください。私は召喚士です。補助魔法なんてできませんよ」

「はぁ!? なーに言っちゃってんのアンタ。リーベルは補助魔法だってやってたってーの」


 頭に泥を被ったシーが怒りを露わにしても、ディナルドは冷静に首を横に振る。


「召喚士は魔物しか召喚できないんですよ。無茶苦茶言わないでください」

「馬鹿な! 同じ召喚士であるリーベルは確かに使っていたぞ。く、また来るぞ!」


 巨大ダチョウは完全に頭に血が上っている様子だった。再び駆けてきた怪物を前に、作戦もなくそれぞれが攻撃を試みる。召喚士はついに魔法を発現し、ダチョウよりも巨大なバッファローを現界させて見せた。これにはビエントやアルコバ、シーも喜び、彼への評価を改めようとしていた。


「グエエエエー! グエ! グエ!」

「こうなったら足止めだ。フリーズ!」


 ビエントが氷魔法を使うよりも早く、ダチョウは速度を急激にあげると、一向に再び猛烈なタックルをお見舞いする。


「ぐあああ!」

「いってえええ!」

「きゃーん!」

「み、皆さん……うわぁあああ」


 ダチョウの衝突をモロに喰らう形になり、それぞれが吹き飛ばされてしまう。崖から落ちかけた召喚士は必死に岩に手をかけ、落下を防いでいた。召喚したばかりの荒くれバッファローは、状況が分からず岩山の下へ駆け降りて行った。


「まずいぞ。これは」


 目を回して倒れているシーと、片膝をつくアルコバを横目で捉え、うつ伏せになっているビエントは全滅するかもしれないと焦る。

 しかし、状況は予想もしない方向へ転がっていく。またしてもUターンして襲ってくるはずのダチョウが、急に減速を始めていた。


「どうどう、どうどう!」

「ゆ、勇者! まさかダチョウに乗ったのか?」


 いつの間にかダチョウの背に乗っていたヒナが、剣の鞘だけで動きをコントロールしているのが解った。先程までの殺気だった魔物の目は嘘のように温和になり、短い時間で彼女を認めていたらしい。


「素晴らしい! 素晴らしいぞ勇者よ。まさか君がここまでやってくれるとは。私の見込んだ通りだ。いやー、勇敢な顔立ちをしているぞ」


「え? 終わったの。マジ?」ようやくシーが起き上がり、フラつきながらもアルコバがディナルドを救出していた。ヒナはしばらく無表情だったが、ようやく口を開いた。


「……ちょっと待って。さっきまでヒナに言ってたことと違くない?」

「む。はて? 私は君に何か言っていたかな」


 顎に手を乗せて考え込むビエント。その惚けたような仕草で火がついたのか、一気にヒナは眉を釣り上げた。


「やる気のなさそうな顔ってなに? 魂の抜けたような顔ってなに? ヒナはこの顔が素なんだけど! さっきはリーダーの自覚がないとか言ってたよね? なんなの!? なんなのぉ!!」


 勇者は持っていた鞘でダチョウの尻を叩いた。それが前進の合図であることを理解したダチョウが、勢いよく走り出す。


「あ、ちょ……待つのだ勇者! まぁああああ!」

「アーンタ何やっちゃってんの!? こっち来ないでよぉおお!!」

「ヒナお前、殺す気かよおおおお!?」

「勇者様、勇者様ぁあー!」


 ビエント達は怒りがおさまらないヒナを乗せたダチョウに追いかけ回され、死に物狂いで町に帰ることになった。

 クレアーテに戻り、冒険者ギルドで達成報告をしていた彼らは、魂が抜け落ちたような顔をしていたという。

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