第32巻 マンガ喫茶へ迫る影

「み、みみ……皆さぁーん! 店からは、出ないようにしてくださいい!」


 怯えながらも、青髪の少女は店内にいる客に注意を促していく。ドアにはしっかりと鍵をかけており、魔物達は侵入ができないようだ。どういうわけか鉄壁なマンガ喫茶は、魔物がいかに鋭い爪で引っ掻こうとも、殴りつけようとも傷がつかない。


 マンガ喫茶は普段よりも人で溢れている。できる限り避難している人をかくまった結果、十分すぎるほど広い店内でさえ密度が高まっていた。


「いやはや、これは大変なことになった!」

「私だけでも外に出ていいですか? 今でも戦えると思います」


 中にはリーベルの両親もいる。元戦士である母は、自らも防衛に手を貸したいと考えているが、父は首を横に振る。


「母さんは現役を退いてから、もう二十年近く経っている。頼むから、ここにいておくれ」

「でも……」

「頼むよ。今母さんを行かせてしまったら、私はリーベルに合わせる顔がないのだ。アイツはきっと今外で戦っていると思う。私はあいつを信じる。どうにかしてくれるに決まっているさ。私達の息子だからな」

「あなた……」


 その言葉が嬉しかったのか、または説得力があったのか。彼女はここに残ることにした。店員達もリーベルを除いて全員集合しており、カバーは二階で外の様子を常に監視していた。


「大丈夫っす! マンガ喫茶はすげえ! これだけ多くの魔物に攻撃を受けているのにビクともしないっす」


 シオリはオドオドしつつも、必死にカウンター前で玄関を監視していた。もしものことが起こってしまう可能性はゼロではない。

 そして、彼女の不安が的中したかのように、唐突にドア前に誰かがやってきた。


 コンコン、コンコン。ドアをノックしてくる者がいる。この魔物がひしめいている戦場と化したドアの向こうで。


「開けて……開けてください」

「え!? 女の子が。今行きます!」


 シオリは玄関ドアまで駆け出した。ドアには小窓があるのだが、少女の姿は見えない。身長が低いせいだろう。


「早くう。このままじゃ私、殺されてしまう」

「待ってて! すぐに開けるから!」


 シオリはドアノブに手をかけ、ロックを解除しようとした。だがその瞬間に、背中に奇妙な悪寒が走る。


「……え?」


 彼女は戸惑ってしまい、鍵を開けることを躊躇う。


「どうしたの? 開けてよ。ねえ開けて。早くしないと私、殺されてしまうの。ねえ」


 シオリは自らの行動に首を横に降った。目前で殺されそうになっている少女がいるというのに、自分は何をしているのか。一刻も早く助けなくてはいけない。彼女は鍵を外そうと指を伸ばす。


 今度は白い指先を、黒い手袋がつかんで止める。


「ひゃ!? る、ルイーズさん?」

「ダメよ開けちゃ。向こうにいるのはきっと、ロクな奴じゃないわ」

「え? ど、どういう」


 コンコン、コンコン。またドアをノックする音が響く。


「お姉ちゃん、早く開けて。私食べられちゃう。早く開けて。早く早く早く早く早く」

「開けないわ」


 ルイーズは冷酷に言い放った。ドアの向こうにいる存在は黙っている。シオリはどうしていいのか解らなくなってきて、ただ立ちすくむのみだった。


 焦っている様子がない少女は、まだその場にいる。じっとしているようだ。


「……じゃあシオリちゃんを頂戴」

「え、え!?」

「シオリちゃんだけでもこっちに来てほしいの。私と遊びましょー。早く早く早く早く早く」


 シオリは自らの名前を挙げられたことに戸惑い、ゆっくりと後ずさる。


「何の目的か知らないけれど、シオリちゃんは渡さないわよ。さっさと消えなさい」

「どうして邪魔するの? もうちょっとだったのに。シュピールにお願いされてるのに。早く早く早く……早くしろよぉおおおお!!」


 突然声を荒げた少女が、ドアを何度も激しく叩き出した。


「きゃああ!?」

「……ふん」


 ルイーズは呆れたようにため息を漏らしつつ、腕を組んだままドアを睨んでいる。何度も、何度も叩かれるドア。カウンター付近にいた客が怯えた声をあげる。


「う、うわあああ! ゾンビだ。ゾンビに囲まれてる!」


 シオリは窓に視線をむけ凍りついた。さっきまでは魔物達が現れては、侵入できずに諦めて去っていくという行動を繰り返していたのだが、今はびっしりとゾンビや幽霊に周囲を囲まれていた。絶対にここから動かないという意思でもあるかのように、どいつもこいつもその場で静止している。


 ドアを叩き続ける音が止んだ。誰かが歩いているようだ。窓にその少女の姿が映る。


「あーああ。怠いなぁ。こんなところ、さっさとおさらばしたいのに」


 ゾンビ達の側をこともなく歩いている横顔は、確かに人間の少女だった。しかしその姿は異彩を放っている。長い紫と白が混じり合った髪に黒いドレス。長くこの町に住んでいるシオリにも見覚えがない顔だった。


「もうこの町はお終いみたいだよ。勇者が来たって兵士達が頑張ったってどうしようもない。それなのにあんなに一生懸命頑張っちゃってさあ、てえへんだなぁ! シオリちゃんだけは助けてあげてって、シュピールとかいうジジイは言ってるわけ。さあシオリちゃん、こっちにおいで」


 シオリは体が震え出している。少女から発せられる不気味なオーラに怯えているようだった。ルイーズはまだ顔色一つ変えない。


「じゃあ、もうしーらない! じゃじゃーん。ねえねえ、これ知ってる? シオリちゃん、後悔しても遅いんだよ?」


 少女は腰に下げていた袋から、一つの赤い枠に包まれた丸い鏡を取り出した。鏡を窓に向けると、徐々に怪しい光が発せられていく。


「すり抜けの鏡っていうの。一回きりしか使えないんだけどさ。これをしばらく当ててると、どんな所でもすり抜けて侵入できちゃうんだ。シオリちゃん、そろそろ入るよ。入っちゃうよ?」

「カバー君! ちょっと降りてきなさい!」

「は、はい!?」


 ルイーズに自分の名前を大声で呼ばれ、慌ててカバーは降りてきた。


「大砲とか設置するのはどうやるの? なんかあるんでしょ? 方法」

「え? あ……あるっすけど。あの部屋には店長しか」

「今それどころじゃないでしょーが! 店が危ないんだから! さっさと案内して、ほら! はーやーく」

「う、うっす! こっちす」


 二人が慌てて階段を駆け上がっている姿を見て、紫の髪をした少女は首を傾げつつ、涼しい微笑をシオリに向ける。


「後ちょっとだよぉ。そしたらマンガ喫茶の中に入って、まずはシオリちゃんにお仕置きだね。入るよ、入る」

「や、やめてください! 一体なぜこんなことを」


 鏡の光はどんどん強くなり、直視できないほど眩しくなっていく。


「今更拒否したって聞かないよ。早くお兄ちゃんに会いたいのに、手間取らせてくれたよね。痛い痛いことするよ。じゃあいっく、」

「うおらああああー!」


 唐突にルイーズの叫び声が聞こえるとともに、ゾンビを従えた少女の視界から店が消えた。


「……は?」


 突然の事態に頭が追いつかない彼女は、周囲を見渡してようやく気がついた。左側にいた魔物達がみんな倒れている。何かに吹き飛ばされたかのように。そのまま視線を向けていくと、遥か遠くにマンガ喫茶が見えた。


「え? え? どういうこと?」


 少女は鏡を持ったまま愕然としていた。どうやら店が動いていたらしい。それも尋常ではない速さで魔物達を轢いてしまったのだ。どういうわけか、店の外観にいくつもの大砲が出現したようにも見えるのだが。見たこともない小筒のような物もある。


「これ? 大砲撃つのってこれなの? カバー君!」

「た、多分そうじゃないっすかね? いやでも、リーベルさんの許可が」

「今そんな状況じゃないでしょうが! ファイアーーーー!」

「ああー! ちょっとルイーズさーん!」


 マンガ喫茶の砲台から強烈な玉が何発も撃ち出される。店自体は右に左に、目にも止まらぬ速さで動き続け、次々と魔物の大群を蹴散らしていく。


「はあ!? う、嘘!? 嘘嘘、嘘ぉー!?」


 大砲の一つがパニックに陥っていた少女と、お供のゾンビ達へ放たれ、地鳴りとともに大爆発を起こした。

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