第7巻 勇者パーティと黒き大魔導

 リーベルが追放されてから二日後のこと。


 誰よりも兄にべったりしていた妹は、今日も宿屋の一室から出ようとしない。


「勇者よ。そろそろ顔を見せてはくれんかな? 我々の今後の活動について話し合いたいのだが」

「ねーねーヒナっち。あたしとプチ女子会でもしよーよー」

「おーい! 今日の飯は店長自慢のリブロースステーキだぞ。早く来ないと無くなっちまうぜ」


 賢者も盗賊も戦士も、それぞれに思いつく限りの言葉で勇者を部屋から出そうとするが、本人は頑なに扉を開こうとはせず、ベッドに潜り込んでいじけていたのである。

 茶色いショートカットの髪は見るからに柔らかく、小動物を思わせる顔が絶望でいっぱいになっていた。


(お兄ちゃんが突然帰るなんてありえない。どうして……どうして。ううう)


 ビエント達はことの経緯を正確に話すことはせず、実はリーベルが率先して自分達から離れていったということにして彼女を丸め込もうとしたが、思いの外強い衝撃を与えてしまったらしい。


 進化の神殿での修行を終えたヒナは、あまり良い成果を上げられなかったと気が沈んでいた。神殿で修行を行うことにより、身体能力が上がると共にスキルを習得できるのだが、今回彼女が覚えた魔法はスリープという相手を眠らせる魔法であり、派手好きな少女にはまるで物足りなかった。

 だからとにかく兄に慰めてもらうつもりでいたのに、宿に戻ってみれば既に去った後だった。


 ビエント達はヒナの反応に困惑し、小声で相談を始めている。


「おいおいビエント、どうすんだよ。このまま勇者が動かなくなっちまったら冒険どころじゃねえぞ」

「ビエント。アーンタがリーベルを追放することを提案したんじゃん。責任持って何とかしなさいよね」

「そう騒ぐな。まだ二日目だ。時が解決してくれることもある。いや、シーよ。お前ならやりようによっては簡単ではないか?」


 突如指名されて、盗賊エルフはギョッとした顔になる。


「え? あたしが?」

「そうだ。女子同士、上手く交流する方法もあろう。私は今日リーベルの代わりを迎えに行かねばならん。奴の上位互換とも言える優秀な男をな。だから頼んだぞ」

「ちょっとちょっと! あたしに責任を丸投げするつもりじゃないでしょーねー!」

「俺もビエントに賛成だな。女心なんて全然分からねーしよ。頼んだ!」

「ちょ、アルコバまで! アーンタ達、待ちなさいよー」


 そそくさと去っていく二人をみて、シーは唖然としてたまま立ち尽くす。


「こうなったら何とかして外に出てもらうしかないじゃん! もー! ……え?」


 シーは一人途方に暮れていたが、不意に閉まりきっていたドアがゆっくりと開いたことに気がつく。のそのそっと勇者ヒナが顔を出してきたのだ。


 トレードマークとも言える黄色いマントは部屋に置きっぱなしで、今は白い布の服とスカート、赤いブーツという格好をしている。傍目は何処にでもいそうな十六歳の少女にしか見えない。


「ヒナー! 待ってたよぉ。って、なんか凄いクマだけど」

「……となの?」

「え? なーに? どしたのー。お姉さんに話してみてよ。何でも聞くからさぁ」


 盗賊エルフはこのチャンスを逃したくない。だからこそ今まで以上に親しげに笑顔を振りまいて近づくが、勇者の顔色はさえないままでどんよりと重かった。


「お兄ちゃんが自分から帰ったって、ホント?」

「え、あ、うん」


 正直に話すわけにはいかない質問を唐突にされて、シーは少しばかりたじろいだ返答をしてしまう。この反応を見た勇者ヒナは、先ほどまでとは打って変わって、俊敏な動きで彼女の両肩を掴んでブンブン振り出した。


「今の反応怪しい! ねえ本当なの? ヒナを置いていくはずないじゃん! ねえホント? ねえホント? ねえホント? ねえホント? ねえ」

「ぎょええええ!? ちょ、ちょっと! ちょっと落ち着いて! ヒナちゃーん! ホントだって。ホントホント!」

「さっきの反応は怪しかった! ホントにホントなの!? ねえ!!」

「ちょっと!? 落ち着いてよぉー! 止めたの! アタシは止めたんだけど、リーベルはどうしても行くって聞かなくて! ひゃあああー!」


 必死に嘘を貫き通すシーは、その後一時間ばかり揺すられ続けていた。なんだかんだで落ち着いたヒナではあったが、この後彼女が少しずつ暴走を始めていくことを、まだビエント達は知る由もなかった。


 ◇


 真夜中の牢屋は陰湿で暗い雰囲気に包まれており、誰もが疲れきった顔で朝を待っている。


 つい最近投獄されたばかりの二人組も同じように暗い顔をしていたが、一つだけ他の者達とは違う楽しみが残っていた。牢獄の一つに入れられた二人は、まだ刑が確定していない。


「アニキ、明日……本当に洗いざらいぶちまけるのかよ」

「当たり前だろうが。何で俺たちだけこんな目に合わなくちゃいけないんだよ。アイツらのことは全部暴露してやるさ」


 短い金髪の男が得意げに口角を上げて笑っている。隣にいるスキンヘッドの男は、不安そうに眉をしかめる。


「明日の裁判にはきっとアイツもくるだろうしよ。そこで全てを白日の元に晒して、奴の地位も名誉も一気に落としてやる。アイツらの指示でやったんだ。裁かれんのは当然だ」

「火をつけろとは言われてねえけどな」

「は! ちっと融通を利かせただけじゃねえかよ。焼き払ってやったほうが手取り早いんだ」

「くはは! まあ、あの女が呆然としてる姿は傑作だったけど」


 鉄格子の中でゴロツキ達は卑しく笑っていた。小さな窓から見える満月はまるで彼らを見張っているようだ。夜空を眺めていたスキンヘッドの男は、一つだけ違和感を覚える。


「お、おいアニキ。あれ、何だ?」

「あん?」


 金髪の男が振り返って窓を見ると、何か液体のようなものが小窓から垂れていることに気がつく。静かにゆっくりと、黒々とした液体が自分たちの牢獄に侵入を続けている。


「おいおい! どうなってんだこりゃ? ペンキかぁ?」金髪は苛立って液体に歩み寄っていく。

「こんな所にペンキが垂れてくるわけねえよ。っていうか、気をつけたほうがいいんじゃねえか」


 液体は流れ込み続け、一つの所に溜まり始めたかと思うと、少しずつ膨張を始める。一つの生物へと急速に進化を始めているようだった。二人は明らかに奇怪な現象だと悟り、驚きで後退り鉄格子に背中を預けた。


「何だ? こいつ何なんだよ!?」

「し、知らねえ! アニキ、兵士達を呼ぼう」

「くくく。誰も来るものか」


 知らない老人の声だった。黒い液体は徐々に人間の体に変わっていき、やがて牢屋全体を埋め尽くすような巨大な影へと変わる。赤い目が金髪とスキンヘッドを睨みつけていた。


「ひえええええ!? アニキ、アニキー!」

「あ、あわわわ! 誰か、誰か来てくれええええ」


 巨大な影が大きく揺れ、口元が裂けるように笑った。


「キヒヒヒヒ! 誰もこないって言っておろうが。貴様らに土産を持ってきたぞ。受け取ってくれます、な?」

「ああああああー!」


 二人の大男が断末魔の悲鳴をあげ、ようやく兵士達が駆けつけたときには、彼らは腰を抜かして糸が切れた人形のように生気をなくしていた。

 次の日、裁判ではろくな証言を行うことができず、自分達だけが罪に問われることとなる。


 ◇


「良かった。いやはや、本当に良かったわい!」


 裁判を見届けた後、とある屋敷に戻った中年男がため息を漏らしつつ自室に戻る。メイド達や家族の目すら盗み、一人の男を招き入れていた。


「一時はどうなることかと思ったぞ。奴らがワシのことを暴露してしまったらと思うと、夜も眠れんかったわい」

「ええ、ええ。わかりますとも。バルデス様の気苦労たるや、どんな飢餓よりも苦しいものだったでしょう」


 男は黒いローブを纏い、肩まで白髪を伸ばしている。一見すればただの老人だった。


「して、何をしたのだ? まるで抜け殻のようになっていたぞ」

「グフフ。何ということはありません。真の恐怖を与えてやっただけですとも。しかし、あなたがそこまであの土地を求めるとは、一体何があるのですか?」

「簡単なことだ。ちょうど邪魔な位置にあるのだよ。あそこさえ買えれば、一気にワシは稼ぐことができる……」

「では、私もおこぼれに……」

「無論! 何としてもあの老いぼれと女を追い出すのだ! できるな? 黒き大魔導、シュピールよ」


 二人は高らかに笑っていた。自分たちの勝利を信じて疑わない、自信に満ちた高笑いが屋敷の中でいやらしく響いていた。

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