第34巻 闇の人生
俺には両親がいない。
生まれて間もなくの頃、汚い路地裏で拾われたのが人生の始まりだ。
俺を育ててくれた男はとにかく金がなかった。奴に言われるがまま、物心つく前からどぶ攫いや力仕事、汚い部屋の掃除などをさせられて育った。
自分が不幸だと考えたことはなかった。比べる対象がいなかったからかもしれない。
しかし、ようやく認められてきたかもしれないと思えた十一歳の頃、育ての親は病気で亡くなった。また一人きりになり、仕事を求めて町を彷徨う日々が続いたが、子供だけになってしまうと誰も雇ってはくれない。
今日死ぬかもしれない、明日はこうして眠っていられないかもしれない。痩せ細って先の見えない恐怖に駆られていた俺は、ある時果物屋のリンゴを盗んでしまった。悪いことだとは知っていたが誘惑に勝てなかったのだ。
俺は案の定追いかけ回された。店主が鬼のような顔で走ってきて、怖くて堪らず近くに転がっていた石を掴んで殴った。ちょっと痛がっている隙に逃げ出すつもりだったのに、その店主は死んでしまった。
罪悪感と恐怖で俺の心は火だるまになった。なのに一口噛んだりんごは旨すぎて、自分でも何が何だか解らない。
どうしても金が稼げず、身寄りもない子供だったが、悪知恵はいつしか体に染み込んでいく。以来あの手この手で盗みを働いては食料を確保するようになったものの、些細な失敗がきっかけで捕まり、全ての前科がバレて牢屋に投獄された。十四歳になっていた。
「ほおう。その若さで投獄されるとは。珍しい悪党もいたもんじゃな」
大抵の場合牢獄というのは相部屋だ。他の連中はぎっしりと詰め込まれていたものだが、俺は老人と二人っきりだった。一体どんな悪事をやらかしたというのだろう。
俺も彼も深くは聞かなかった。しかし老人は、時折深夜に面白いことをやってみせる。
「どうだ。これが魔法っつうもんじゃ」
指先から小さな火を作り上げて、しわがれた顔が得意げに笑みを漏らす。今にして思えば初歩の初歩、なんということのない技術ではあったが、当時の俺は興奮を隠すことができなかった。
だから俺は老人に頭を下げ、その日から魔法の練習を始める。老人は最初は退屈しのぎと言わんばかりに怠そうに教えていたが、日々上達していく少年の姿を見て、少しずつ目の色を変えていった。
十五歳になった頃、基本的な魔法は全て習得し、当時の時点で冒険者として戦えるレベルに到達したものの、老人は全く満足する気配がない。上級魔法と呼ばれる魔法まで俺に習得させようと躍起になったのだ。
修練は過酷を極めた。魔法の修行は精神的な負担が強くかかり、時に俺は泣いた。しかし老人は教えることをやめようとはしない。だが、自分自身にも奇妙な変化が生じていることが解った。やればやるほどにのめり込んでいくのだ。まるで悪魔に魂を売ったかのような気分に沈み続ける。
上級魔法を習得しきった時、老人はもう俺に教えてることは何もないといい、牢屋の中で衰退していった。
「お前はこのままでいたら、死ぬまで牢から出られんよ。だから魔法を使え。そいつがあれば生きていけるはずだ」
俺は自分が後何年牢獄に繋がれている予定なのか解らなかった。初めから教えてさえもらえなかったのだ。老人が亡くなり、次の日に大勢ゴロツキがいる牢屋に移される前に脱獄した。そしてまた一人になる。
その足で向かった先はギルドだ。初めは上級の魔法使いとして華々しく活躍するつもりでいた。すぐに仲間は見つかり、俺は期待に応え続けた。所属していたパーティは天井知らずで成長を続け、生まれて初めて多くの人々に認められる毎日を過ごすが、それも長くは続かない。
今にして思えば俺は妬まれていた。そして些細ないさかいをきっかけにしてパーティを追放され、以降誰からも相手にされることがなくなってしまった。一度追放された者は、その悪評によりなかなか新たな仲間を作り出すことができない。栄光から一転、あっという間に墜落してしまったのだ。俺は二十歳を超えていた。
この頃から人間が嫌いになり、人と群れることが心底不快に感じるようになる。また貧窮してしまい汚い路地裏に逆戻りしたが、少年の頃とは違い力があった。その力を頼りに俺に依頼をしてきた者がいる。大金と引き換えに、とある人物を殺してほしいというのだ。俺はそいつを軽蔑はしなかった。そんなもんだろう、人間なんて。
老人から教わった魔法の腕で、それからはずっと人を殺し続けた。殺し屋としての仕事だけではなく用心棒をしたこともある。長い長い間、隠れて人を殺す毎日。
いつしか裏の世界では、黒の大魔導と呼ばれるようになる。少しも誇れる肩書きじゃない。こんな風になりたかったわけではないのだ。
ある時、とある依頼者が俺にこんな助言をしてきたことがある。オリジナルスキルを獲得していないなら、今の時代なら教会へ行けばやってもらえると。俺は成人の儀をせずに大人になり生きてきた。だから冒険者時代もオリジナルスキルを獲得していなかったのだ。しかしもう若くなかった。既に六十を軽く超える歳になっている。
オリジナルスキルは冒険者ならば誰しも使っている、ごく普通のスキルだ。だが、俺は歳を追うほどに普通というものに憧れを抱くようになっていた。
普通に生まれて、普通に生きて、普通に結婚して、普通に子供を作り、ただ普通に死んでいく。そんなことができなくなってしまった年齢になって初めて、どうしようもないほど欲しくなる。
人より強大で特別な力を手に入れたのに、普通になることはできなかった。
教会に行くのは恥ずかしくてたまらなかった。あらゆることを偽りながら、なんとか儀式を進めてもらう。そうして獲得した力が【チェンジ】だったのだ。
この老齢で姿を変えたとて、どうにもならないだろう。そんな俺の考えはたった一度スキルを使っただけで崩壊する。チェンジを行い変身した姿は、まだ少年そのものだったのだ。
俺は震えた。能力としては並の召喚士という程度でしかない。しかし嬉しくてたまらない。能力などどうでも良かった。若さを手に入れたこと、それが途方もなく嬉しくて、涙を流しながら初めて神に感謝を捧げた。
誰からも愛されず、沢山の人を殺して生きていた人生を、今なら変えられるかもしれない。なんなら捨ててしまえばいい。このシュピールという醜い姿が亡くなっても、若いゲイムの人生はまだまだこれからだ。
心機一転するべく、俺は自分が暮らしたことのない町に移り住むことにした。アザレアを見つけた時には、もうここしかないと思った。
そして出会ったのだ。青い髪と金色の瞳が眩い少女、シオリに。海のように広い心を持った少年、リーベルに。俺達はあっさりと友人になった。夢でも見ているのではないかという毎日。くだらないと馬鹿にしながら、本心では欲しくて堪らなかった日常。俺の人生に初めて光が灯った気がした。
時は流れ、リーベルは妹と冒険者として旅に出ることになった。初めて人との別れに心が痛んだ。そしてシオリと二人になった時、もしかしたら神様がこうしてくれたんじゃないかと考えるようになる。心が躍った。
俺は本当にシオリに惚れていた。こんなに優しく温かい女性は初めてだった。そして決意を固め、彼女を浜辺に呼び出した。どんな言葉を用いて告白したのかは覚えていない。緊張で頭の中は真っ白になっていた。あの黒き大魔導がだ。
彼女に告白する直前までは、俺は幸せだったのかもしれない。
「あの、その。……ごめんなさい。私、好きな人がいるの」
この一言に打ちのめされた。人生で心底惚れ込んだ人に拒絶される衝撃で、悔しくて悲しくて逃げた。何日も何日も胸が痛くなり、ついにはアザレアを出ることにした。
俺は理解した。いや、薄々わかっていたのだ。シオリはリーベルに想いを寄せていて、俺はただの友人に過ぎなかったということを。
初めて知った。愛する人間に自らを拒まれることが、これほど辛く苦しいだなんて。
それから三年、俺はもう一度黒き大魔導に戻っていたが、彼女のことを一日も忘れることができなかった。黄金の瞳を持っているからではない。断じて違う。誰かが王になろうとシオリに近づくなら、俺が守ってやると思う程だった。
想いは捻れていく。なんとしても欲しい。なんとしても。諦めるなんてできない。
アザレアに戻った時、ある商人を見つけた。欲深い上に思慮が足りないその男バルデスは、俺が操るには丁度良かった。そして彼女を手に入れる寸前まできたところで、リーベルが現れたのだ。
「お前さえ……お前さえいなければあああ!」
気がつけば俺は叫んでいた。言いたくなかった本心が溢れ出していく。かつての親友が刃を魔物の額に突き刺している。敗北はすぐそこまできている。
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