第22巻 バルデスの通報

 商人バルデスはどうにもシュピールのことが信用しきれず、自身でも別行動を起こすことにした。

 しかし、表立ってリスクのある犯罪行為に走るべきではないと考えた商人は、一人の役人に手紙を送ることにしたのだ。


 その役人は脱税や違法な売買などの犯罪行為を調査して回る、番人などと称されている人物である。


「ここが、商人が通報していたお店か。どうしたことだろう。この奇妙な外見は……」


 男は眼鏡を指で吊り上げ、そのあまりにも独特すぎる外観に見入っていた。しかし、ここ数週間でアザレアという田舎町では考えられないほどの利益を上げている。

 何かしらの犯罪行為で利益を上げているのかもしれない。


 彼はそういった悪質な店を暴いては捕まえてきた。そして今回も、恐らくは店長を捕まえることになるような予感がしている。

 胸の内で強い闘争心を抱きつつ、表面上は涼しい顔で店内に入場した。


「いらっしゃいませっ」


 入るなりまるで小鳥のさえずりを思わせる声がした。青い髪をした少女がカウンターで微笑んでいる。彼は少女に見覚えがある。町でも特に綺麗だと噂になっている少女、シオリだった。


 おかしい、と男は思う。彼女はたしか普通の喫茶店で働いているということではなかったか。このような奇妙な喫茶店で働くようになっていたとは、一体どういう変化なのだろう。


「初めてのお客様でいらっしゃいますか?」

「うむ」

「では、システムの説明をさせていただきますっ」


 ピク、と男の眉が釣り上がったが、シオリは気づかずにリーベルが考えたマニュアル通りに説明を始めていた。


「ほほう。ここはただの喫茶店ではないのかね?」

「あ、はい! マンガ喫茶と言いまして、マンガを読める喫茶店なんですっ」


 マンガ? 男は顔色こそ変えなかったが、心の中に大きな疑問符が浮かんでいる。店内を見回すと、多くの客がテーブルに座って書物を読み耽っているようだが。


 シオリからの説明を、男は一語一句聞き漏らさないように努める。基本的には料金は時間制となっており、フードや飲み物を頼むと追加料金が発生するようだ。

 更には無料で羊皮紙をもらうことができ、メモなどを取ることも許されている。後々はもっと沢山のサービスを開始するつもりとのことだった。


「しかし、随分と繁盛しているようだね、このお店は」

「はい! 店長がとっても賢い人ですし、マンガが面白いって評判なんです。二回ほど増築もしてて、近々三回目の、」

「二回も増築しているだって!?」

「きゃ! は、はい……」


 男が前のめりにカウンターに手をついてきたので、シオリはビクリと驚いて後ずさった。開店してから半年も経っていない店が、繁盛したからといって二回も増築などできるのか、疑惑は男の脳内で深まっていく。


「失礼、少し取り乱したようだ。では私は八十番のお席だったね?」

「は……はいぃ」


 透き通るような青髪をした少女は、挙動不審な男の反応に少しだけ怯えてしまったらしく、伝票を渡す手もぎこちなくなっていた。

 彼は伝票を受け取ると、座席があるという二階へと向かっていく。


「階段も広いな。ここまで立派な喫茶店を見たのは初めてかもしれない」


 一階の景色を眺めつつ、どうにも理解し難い豪華さに困惑する。何かあるに違いないという疑惑が強くなり、ますます店長への闘志が湧き上がってくる。


「なんと!」


 二階に来るなり、男は驚きで立ち尽くしてしまう。一階も広くて綺麗な店内だったが、二階は更に作りが凝っている。壁や床はまるで大樹の中に部屋を作ったかのよう。それでいて圧迫感がなく広々としていて、テーブル一つ一つが十分すぎるほど距離があった。


 どうやら個室も用意されているらしい。葉っぱの飾りがそこかしこにあり、本物の観葉植物も置いてあった。しかしそれらは一階にもある。

 二階の素晴らしさは、窓からアザレアの景色を一望できるところかもしれない。


「一体いくら建築費を使ったら、こんな豪華な店内になるんだ……」


 普段寡黙な男が、先ほどから独り言を漏らし続けている。それだけの動揺を誘う素晴らしさが店内に満ちているのだ。


 指定された席には、ゆったりと座れる一人用のソファと四角いテーブルがある。この店では、まるで一人一人が貴族のようにゆったりと過ごすことができるらしい。男は柔らかなソファの感触に気分を良くしていたが、ふと我に帰り首を横に振った。


「危ない。これが奴らの手かもしれないぞ」


 こうして幸せな気持ちに浸らせて、何らかの罠を使い大金をせしめているのかもしれない。男は立ち上がると、とりあえず本棚を見回してみる。


「これがマンガか……」


 奇妙な書物だった。まるで子供が描いたような絵が表紙になっているものばかりだ。もしかしたら、この中に何か仕掛けがあるのだろうか。男は警戒しつつも二、三冊のマンガを手に取り自席に戻り、パラパラとページをめくっていく。


「な!? ほぼ全てが、絵で作られているだと?」


 書物といえば活字がほとんどという物しか存在していないはず。彼の常識を覆そうとするように、どのマンガも文字よりも絵がメインとなっている。


 もしかしたらこのマンガの中に、特殊な催眠効果を含ませる何かがあるのかもしれない。そんなことを考えもしたが、流石に苦笑してしまった。いくら何でも飛躍し過ぎた発想だと思ったからだ。


 それからというもの、男はただマンガを読み続ける時間を過ごした。確かに面白くて続きが気になってしまう。飲食もできてトイレの数も多く、不自由もしない。そしてこれら全てにおいて、違法性は何も感じられなかった。


 あの商人からの通報は、デマだったのではないか。彼は心配し過ぎた自分自身にも苦笑し、伝票を手にして一階のカウンターへ向かう。もう長居する必要はなさそうだった。


「あ! お……お会計、でしょうか?」


 カウンターにいたのはシオリだった。店員は何人か見ているが、今回彼女がカウンターの係なのだろう。来店した時の非礼を詫びようと思い、伝票をカウンターに伸ばそうとした時、ふと手が止まる。


 なぜ彼女はこうもオドオドしているのだろうか? 少し不自然過ぎはしないか?


 男は不意に気になってシオリの瞳を覗き込むようにした。すると明らかに彼女は狼狽しているのが手にとるように解り、一つの結論に達した。


「……まだ……あるのだな?」

「ひゃ!? は、はい?」


 男はくるりとカウンターに背をむけ、一階を物色し始める。


「あ、あの。お会計ではないのですか?」


 どうやら青髪の少女は後ろをついてきているらしい。この狼狽え方はますます怪しい。彼女や他の店員たちは、恐らく重大な秘密を隠しているに違いない。


 どこだ? どこにあるのだ? 男は足早に目立たないスペースに進んでいくと、


「お客さ……あ」


 シオリがくぐもった声をあげ、そそくさと離れていく。男は正解を見つけたような気がした。そして彼の目前には、特に怪しい世界が広がっていた。


 竹竿で布を上から垂らしているそのコーナーは、おおっぴらには見せられない何かがあると言わんばかりだ。布は真ん中から切れており、入ろうと思えば簡単である。そして意味深な「十八歳以上禁止」という文字まで書かれていた。


「まさか。薬物か!」


 違法な薬物を売り捌いているのかもしれない! 男は布を押し広げて中へ突入していく。しかし、そこにはマンガが多数並べられているだけだった。男の戸惑いが広がっていく。


 他のフロアとは大きく異なる、どうにも怪しい表紙をしたマンガばかりだったのだ。


「一体なんだというのだこれは」


 一つのマンガを手に取り、緊張しつつもページをパラパラとめくっていく。


「な、な、な……これはぁ!?」


 その瞬間、男は自分の中にある新たな扉を開いたのだった。次の日からも毎日マンガ喫茶に通い詰めるようになり、リーベルやカバーからは密かに【成人コーナーの王】とまで囁かれるほどになった。

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