第16話

 魔導士の右手の長い指が、少女の繊細で敏感な肌の上を這う。


 耐えかねて、体が大きく動かないように、彼女の両腕はひとまとめにされ、銀髪の魔導士の左手によって彼女の頭上の位置で抑え込まれていた。


「……っ!」


 ミシャは必死に耐えていた、その感覚に。


 痛みはなく、不快という感じでもない。独特の感覚なのだ。細胞のひとつひとつが振動して、くすぐったいような。ある種の快感と言ってもいいのかもしれないが、気持ちが良いという方向性でもない。ぞわぞわするような、ざわざわするような。


 くすぐり続ける拷問というものが、実際あって、それがどう拷問になるのかという感じが、話を聞くだけではするのだが、実際受けてみると、かなりきついものだ。感覚が次の感覚を呼び起こし、連鎖して、巨大化していく。痛みや苦しさの場合は、脳が対応し、一定のレベルに到達すると、何らかの感覚遮断を行うが、段階的なくすぐったさは命に直接の危険がないだけあって、それを緩和するような脳の働きはあまりない。

 くすぐったさに笑い転げて終わり、というものではないのだ。

 ミシャも、今、そんな拷問を受けているのと同じ状態になっていた。

 一つの感覚が次の感覚を呼び起こし、雪だるま式に、その感覚を強める。

 最初は、くすぐったかったのに、徐々に痺れるような、体の芯まで刺激されていく強さに増していく。

 嫌だと思うのに、暴れて拒否するほど嫌でもないというギリギリで微妙なラインが、とてつもなく精神力を削ってくる。


 汗がにじみ出る。


 呼吸も早くなり、頬も上気して、これだけを見ると、何かいけない場面のようだ。我慢しても、時々声は漏れ出す。


「う……あ……っ」


 短時間なら耐えられるだろうが、複雑な魔方陣のラインを辿るのは、それなりの時間が必要で、それを指示していく側にとっても大変な作業だった。


 黒茶の瞳から涙が零れる。そろそろ限界で、瞳から光が消えかける。


「しっ師匠……っ」

「あと少しだから、頑張れ」


 励ましたものの、その実、師匠側もそろそろ限界だ。集中して古代魔法の魔方陣のラインを読み取り、魔力をもって制御の方向を指示していくのは、病み上がりにはきつい。


 やがて、長い闘いの時間は終わった。


 二人ともぐったりしていた。

 枕を並べて、お互い向き合った状態に体を横にして、しばらく休む。

 呼吸が落ち着き、汗が引いてきてやっと、声を出せる程度に回復した。


「師匠、ごめんなさい」


 銀髪の魔導士は、その額を少女の額にコツンと軽く当てた。

 紫の瞳に微笑を添えて。


 これだけで、セトルヴィードのお仕置きは終了だった。



 しかしなぜ、ミシャはこのように古代魔法にこだわり始めたのだろうか?それについて、彼女は一切口を割らなかった。

 ロレッタのためというと、彼女がこの件について責められるのではないかと思え、ミシャはそれを完全な秘密としたのだ。ロレッタはもう回復を望んでいなかったのに、自分が勝手にやりはじめたのだ。迷惑をかけたくないし、ましてや心配させたくもない。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ミシャは、師匠のベッドで目を覚ます。


 銀髪の魔導士は部屋におらず、はっとする。

 また具合を悪くして、副団長の部屋に行ってるのかもしれないと思った。一応、ミシャが最後にやった高位の治癒魔法で、病魔は完全につぶせた感覚はあったが、他の場所に残っている可能性もあって心配だ。

 自分のせいで、病み上がりにきつい作業をさせてしまったし。


 起きて、様子を見に行きたい。


「うう、体が重いよぅ」


 ミシャの体は、ろくに動かなかった。完全な疲労状態だ。力を入れて耐えたせいで、全身の筋肉痛もすごい。

 だが、魔方陣の制御には成功したらしく、力を吸い取られるような感覚は消えていた。

 少女は目を閉じ、もう一度制御の順番を復習する。繰り返し、繰り返し、頭の中で反芻して覚えこんで行く。次の制御は、自分だけで出来るようにするために。

 誰が何と言おうと、彼女はこの魔法陣を、引き続き研究に使うつもりだった。



 不意に扉の開く音がした。


 入って来たのはコーヘイ。

 思わず、寝たふりをしてしまう。カイルにされたように直接怒鳴りつけられるより、無言の怒りの方がずっとずっと、重みがあって怖かった。


 黒髪の騎士は、枕元に来ると、そっと自分が殴った側の少女の頬を撫でる。

 優しく、優しく。

 魔法の使えない彼が、そうする事で傷を癒そうとしているかのように。


 あまりにも優しくて、ミシャは思わず目を開けてしまった。

 黒い瞳と目が合う。


「起きていた?」

「はい」


 それでも彼は頬を撫でるのを辞めない。

 ずっと、さするように撫で続ける。

 まるで彼女を慰めるように。


「あの、師匠は?」

「……」


 コーヘイの顔が沈痛なものになっていく。

 彼が答えないので、少女の胸に恐怖にも似た不安が広がる。まさか。


「何か、……あったのです?」


「閣下は……」





 コーヘイは我慢できなくなり、いつもの爽やかな笑顔を見せた。


「元気に、ご飯を食べに行ってます」


 ミシャから力が抜ける。

 これで、コーヘイによるお仕置きは終了である。




 続けてカイルが入って来た。


「おっ、起きてるなバカ娘。ちょっと診せろ」


 毛布が、彼の手でがばっとめくられる。コーヘイが思わず目を逸らす。

 ミシャは裸である。


「きゃっ」


 急に羞恥心が芽生えたかのように、慌てて毛布をかぶり直す。

 カイルはちょっとびっくりした顔をする。


「いつも平気なくせに」

「コーヘイ師匠のいるとこはダメ!」

「俺だけならいいのか」

「だめ!もうだめ!どっちもやだ!」


 毛布にくるまって、真っ赤になってぷんすかしている。

 カイルはコーヘイの方を向いて聞く。


「何でいきなり」

「わかりません、でもまあ、これでいいのでは?」

「診察する側とすると、面倒くさくなったんだが」


 とりあえず肌着を着せて、診察する。


「ちょっと疲れてるぐらいで平気そうだな」

「心配かけました」

「おまえはもう少し、肉を付けた方がいい」

「太ったらいいです?」

「セトルヴィードは、胸が大きい方が好みだから」

「閣下って、そうなんですか?」


 なぜかコーヘイが食いつく。

 カイルは何か言いたそうな顔をしたが、言わずにおいた。



 そして最後に、銀髪の魔導士が戻って来た。

 コーヘイの意味深な視線を受けて、少し躊躇する。

「何だ、どうした」

「師匠!」

「ミシャ、調子はどうだ」

「私、頑張って育ちますね!」

「あ、ああ?うん?」


 コーヘイとカイルに目線を向けて、何の話だ?という顔をした。


「胸の話をしている」


 カイルが答える。


「胸?なぜ?」

「だって、好きだろ、お前」


 面食らった顔。

 直後、耳まで真っ赤になる。


「おまえ、ミシャに何の話をしたんだ」

「だから、おまえが大きい胸がす……」


 カイルの口が、銀髪の魔導士の手で塞がれる。


「昔の!!!話だっ!!!学生の頃だぞ!!!」

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