第3話

 ミシャは、自分が剣術を習う事になった事に驚いたが、体を動かすのは大好きだったので、二つ返事で了承した。


 今日はいつものローブ姿ではなく、少年兵のような服装で、伸びかけた髪もしっかり後ろにまとめてある。

 城の裏庭の鍛錬場に、ミシャとコーヘイの姿があった。


 自分に剣術を教えてくれる師匠が、騎士団で一、二位を争うコーヘイであることに、まず彼女は驚いた。騎士団員としてではなく、個人的に教えてくれるという。

 頻繁に魔導士団長の部屋で会う事はあり、飴をもらったりと見知った仲ではあるが、こうやって実際に、騎士として剣を持つ姿を見るのは初めてで、立派な姿に感動した。


 つるはしを持つ男達も屈強で憧れたが、騎士独特の力任せではない優雅さを湛えた儀礼的にも見える強い姿というのも、ミシャの目には魅力的に写る。自分もそうなりたいと思う方向に、魅力を感じているのだが。


 まずは剣の持ち方、基本姿勢、動き方等を丁寧に教わる。

 セトルヴィードの魔法の手解きも丁寧だったが、剣技を教えてくれるコーヘイも、とても丁寧でわかりやすい。


「珍しい事をやっているじゃないか」


 不意に声がして、そちらに目を向けると、コーヘイと同じ騎士団の制服をまとった灰色の瞳の男性がいた。茶色の髪を後ろに束ねている。ミシャは初対面である。


「ミシャ、こちらはセリオンさん、主力の騎士団の副団長ですよ」

「初めまして、ミシャです」

「君が魔導士団の秘蔵っ子か」


 女の子と聞いていたのに、ここにいるのはどう見ても綺麗な顔立ちの少年のように見える。ただ、声が女の子のものだ。

 ふと、セリオンは気になって、彼女の手を取る。


「マメができてるじゃないか」


 剣を握り慣れない少女の掌は柔らかく、あっという間にマメができてしまったのだ。いくつかはすでに潰れてる。コーヘイはこれにはびっくりしてしまった。


「セリオンさん、よく気づきましたね。自分は気づきませんでした」

「これぐらい、へっちゃらです」


 全く痛がる素振りも見せず、笑う。その笑顔は夏の花が開いたようで、とても可愛らしく、人を元気付ける明るさだ。


「訓練バカに付き合うなら、革手袋をしたほうがいいな」


 セリオンは笑いながら、自分のポケットに突っ込んでいた革手袋を取り出し、ミシャに手渡す。


「サイズは大きいだろうが、手首のベルトをきつめに縛れば、抜ける事はないだろう。良かったら使ってくれ」

「ありがとうございます」


 スマートな対応に、コーヘイは感心した。セリオンのこういう所はなかなか真似ができない。相手に負担感を持たせずに、さりげないサポートをする。コーヘイもこの態度にずっと助けられて来た。

 騎士団きっての名コンビと言われているが、セリオンの気遣いの意識の高さが、コーヘイとぴったりの呼吸を作っているとも言える。彼が、コーヘイのペースに合わせてくれているのだ。


 手袋をはめる前に、ミシャは簡単な詠唱をして、出来たばかりのマメに治癒術を施す。その仕草と所作は師匠に似て、とても優雅で美しい。指の動き、空間に満ちるシャボン玉のような煌めき。夢の中のような風景が広がる治癒術を使うのは、魔導士団長である最高位魔導士セトルヴィードと、その一番弟子のミシャだけだった。ただ、彼女の使える治癒魔法は下位の、それこそマメの治療程度しかできないレベル。

 それでも、美しい光景にセリオンとコーヘイも、思わず見とれていた。


「自分で自分の怪我を治せるというのは、便利そうだな」

「治癒術は魔法だけでなく、医療の知識もいるので気軽に真似はできませんがね」


 手袋をしっかりはめ、剣を握って数度振り、感覚を確かめる。大丈夫そうだ。


「師匠、続きをお願いしてもいいです?」


 実は結構な長時間、すでに訓練をしているのだが、彼女は元気いっぱいだ。

 コーヘイと変わらない訓練バカになりそうな様子に、セリオンは苦笑する。


「初日からあまり飛ばさない方がいい」

「そうなんです?」

「そうですね、今日はあと少しやったら終わりにしましょう」

「あと少しはやる、っていう所がおまえらしいよ」


 セリオンはこの訓練の様子を、近くの壁にもたれて見学していた。


 コーヘイの指導方法はなかなか適格で、相棒の人を育てる力にも感心している。あいつは、人の上に立てる男だな、と心の中でつぶやきながら。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 翌日のミシャは、完全な筋肉痛になっていた。治癒術で誤魔化すが、怪我と違って治癒しきれるものではないようだ。

 魔法も、最初は頭痛に悩まされたので、これもやっているうちに無くなるのだろうと期待している。


 ミシャの自宅の部屋はベッドがひとつと、引き出しが三つの小さな机を兼ねたタンスがあるだけだ。それでも南向きの部屋は朝から明るくて、とても気持ちいい。

 彼女はいつも通り、朝の日課にしている鍛錬を開始した。


 まだ下位魔導士てある彼女の魔力量は多くなく、あっという間に使い切る。

 

 体の力をすべて絞り出したような脱力感と、精神的に追い詰められたような意味のわからない不安が胸いっぱいに広がり、その不快感が彼女は嫌いだった。


「うーん、気持ち悪いよぅ」


 終わると、息苦しいわけではないのに肩で呼吸してしまう。

 剣術の練習の苦しさとは別種で、どちらかというと剣の修行の疲れの方が、体的には素直に受け入れやすい。


 魔導士団長である師匠は、最高位である。魔力量もミシャから見ると無尽蔵にあるようにさえ思えるから、これよりもっとつらいはずなのに、日々繰り返している。どれだけの強さだろうと思うと、尊敬の気持ちが改めて沸いてくる。

 あんな素晴らしい人が、自分に魔法を手取り足取り教えてくれているのだ。頑張りたいと思った。


 剣術にも興味が沸いているが、尊敬する師匠の期待にも応えたくて、この日はつい、あともう少しと、無理をした。体に疲れが残っていたのも良くなかったのだと思われるが。


「うくっ、……ん?」


 今まで呼吸がここまで苦しくなることはなかったのに、この日は、苦しい。

 寒気に襲われ、激しい頭痛がはじまる。

 急にむせるような激しい咳が出はじめ、ミシャは涙目で咳き込み続けた。


「けほっけほっ、かはっ」


 朝食の準備をしていたアルタセルタが異常に気づき、ミシャの部屋に飛び込んで来ると、吐血している娘を見て悲鳴を上げた。 


 この家に来て三年目にして、はじめてミシャは寝込んだ。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 アルタセルタも、その夫ローウィンも魔導士である。最低限の鍛錬は行うが、さすがに吐血するまでやった事はない。魔導士団長のような最高位になればそのような事はままあるらしいが、まだ下位レベルの彼女がそこまでやった事に、二人は驚いてしまった。


「今日はわたくしが、仕事を休んでついておりますわ」

「心配だがよろしく頼む」


 夫であるローウィンの勤務する異世界人登録局は四人しかおらず、一人が欠けるだけでも業務に支障をきたすため、なかなか急な休みは取れない。

 魔導士団の受付は交代要員がそろっているので、このような日は彼女が休みやすかった。


「うーん……」


 ミシャは少し、うなされている感じで、熱も出始めていた。

 アルタセルタはそばにいて、にじみ出る脂汗を、丁寧にぬぐってやる。


 このような状態になったとき、魔導士団長は一人で耐えていた。他人が手を出して癒せるわけでもないから、頼りようもないのだが。時間をかけて、自分自身が体を回復させていくのを待つしかない。


 このような状態になるには、魔力を絞りつくして、更に魂をえぐるような使い方をしなければならない。生存本能が拒否するので、普通の感覚では、ここまでやれないものなのに、ミシャは簡単にそこに到達してしまった事が、アルタセルタには恐ろしかった。


 彼女は自分の限界を、全く知らないように思える。自分の事を知らなさすぎるのだ。無茶をしすぎて、簡単に命を落としてしまいそうな気がする。でも自分の限界は自分で学び取らなければ、他人にはわからないのだ。


 アルタセルタは、何とか彼女が、自分自身を知って行くように導かなければならないと思った。



 ミシャは、三日ほど起き上がれなかった。

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