第4話

 ミシャが倒れたという話は、コーヘイの耳にも入っていた。

 魔導士団長を前にして、恐縮する。


「自分が無理をさせてしまったのかも、すみません」

「おまえのせいじゃない、私が鍛錬の危険性を伝え忘れていたからだ」


 セトルヴィードにとっても、まさか彼女がいきなり吐血レベルの鍛錬をこなすとは思わなかったので、そういうやり方をしないように注意を払っていなかった。


 彼女は自分の事を知らなさすぎる。しかも加減が全くできていない。どう育ったら、あんな風になるのか想像がつかない。

 

「彼女の死生観に、問題があるのかもしれませんね」


 彼女は初めての剣でも、刃物である事を怖がらなかった。この剣で、相手を殺める事にも何の抵抗もなさそうで、自分がそれを受けるかもしれないという死の恐怖感もない様子だった。

 コーヘイはこれを恐ろしい事だと思った。死が怖くなければ、どんな無鉄砲な事も出来てしまう。恐れ過ぎるのも問題だが、まったく恐れないと慎重さも持てないし、無防備になりがちだ。


「鉱山は事故で命を落とす者も多い。そんな所で育って、死が怖くないなんてことなんて、あるだろうか」

「死が身近過ぎたのかも知れません。人は何をやっても簡単に、死ぬ時は死ぬのだから、気にしても仕方がない、というような」


 その線は濃いように思えた。だがこの調子で鍛錬や剣術をマスターしていくのは危険にも思える。

 銀髪の魔導士は、顎に手をやるいつもの癖を見せて、考えを深めようとする。


 しかしそれは、ノックと同時に開けられる扉の音で妨害された。


「師匠~、新しい課題をくださいーーー」


 元気いっぱいに飛び込んで来る弟子に、魔法と剣術のそれぞれの師匠は同時に頭を抱えた。


「ノックの後は……せめて一呼吸置くように……」


 これぐらいなら出来るだろうという、一縷の望みをかけて魔導士団長は可愛い弟子に指示する。


「はい!わかりました」


 絶対やらない。そんな風に確信させる、いつもの軽い返事だ。

 とりあえず、三日寝込んでいたとは思えない元気さに、安堵はした。


「ちょっと痩せてませんか」


 机に駆け寄ってきた少女の頬に、コーヘイは触れてみる。


「抱えて、確認してみてくれ」


 セトルヴィードが変な指示をしてきた。

 元の体重を知らないのに、そんな事をやって、意味があるのかコーヘイにはわからなかったが、ちょっと失礼と、ミシャをまるでお姫様を扱うように、優しく腕に抱きかかえてみる。いわゆるお姫様抱っこである。

 

「軽いですね」


 ここで彼女は、いつもと違う反応をした。少し赤面をしたのだ。

 おや?と、コーヘイとセトルヴィードは思った。


 ミシャは今まで、こんなふうに丁寧に扱われる抱き上げられ方をしたことがない。屈強な鉱夫に、荷物のように担がれたり、小脇に抱えられる事はよくあったが。


 だがこのように、尊敬する相手の顔が間近で見られる形で、ふわりと大切に抱きかかえられて、なんともくすぐったい恥ずかしさを感じたのだ。彼女にとっては初めての感情で、少し混乱した末での赤面である。


 黒髪の騎士と銀髪の魔導士は目を見合わせる。


「軽いなら、私にも抱けるだろうか?」

「腰は大丈夫なんですか」

「年寄り扱いはやめてほしい」


 コーヘイから少女を受け取って、魔導士団長も弟子を抱えてみる。


「なるほど」


 何がなるほど、なのかはわからないが、抱きかかえて何か納得した顔をして見せる。ミシャは眉目秀麗な師匠の顔を間近にして、コーヘイに対する態度とはまた違った表情と態度を見せた。

 そっと手を、魔導士団長の頬に向けて差し出したのだ。

 魔導士の長い銀色の髪がその手にからむように落ちる。


「師匠の目、すごく綺麗、紫水晶みたい」


 感心したような目線で、紫の瞳を見つめる。


「何を、初めて見たような事を言っているのだ、三年もいて」

「初めて見たような気がしますっ」


 元気で無邪気な目線を向けられて、セトルヴィードはちょっと怯む。


「あっ、師匠、早く課題」


 じたばた暴れはじめたので、慌てて床に下す。

 魔導士は急かされて、引き出しから、一束の魔法陣を手渡した。

 また鍛錬でも始められたらどうしようかと思ったが、彼女にしては珍しく、課題を受け取って、来た時と同じ勢いで部屋から飛び出して行った。


「ところで、何が、なるほど、だったんですか」

「いや、石鹸のいい匂いがしただけだ」

「そうですか」


 二人で顔を見合わせて笑う。


「あれだな、周囲が今のミシャに相応しい態度を、向ければいいだけだ」

「ちゃんと女の子扱いするだけで良さそうですね。騎士団には適任な人がいますよ」


 二人の脳裏に浮かんだ灰色の瞳のあの騎士は、女性の扱いにかけてはおそらく城内一だと思われた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ミシャは魔方陣の束を抱えて、いつもと違う自分の感情が整理できず、パタパタと中庭に向かって走っていた。受付の前を通った時、母の怒号が飛んだ気がするが、耳に入らない勢いで駆け抜けた。


 中庭の東屋の椅子に座り、気持ちを落ち着かせる。


 薔薇が咲き始めた頃で、薔薇の香りがしはじめていた。その香りを楽しんでいて、やっと胸の鼓動が収まって来た気がする。

 胸の奥で、くすぐったさがくすぶってはいたが、不快な感情ではなかったので、彼女はそれを大事にすることにした。


 そう決めると、急に空が見たくなった。中庭は建物に囲まれていて、あまり空は見えない。

 ミシャの育った鉱山も、山間部で、針葉樹林の高い木々が多く、空は狭かった。


 彼女は速足で階段を駆け上がり、城壁に上がる。

 秋に入りかけた空は、高く青い。

 広い空に白い雲が広がって見える。


 少しでも空に近づきたくなって、彼女はあろうことか、城壁の手すりに上がって、その縁に立った。四方を囲む壁が一切なくなって、空の中にいるような解放感に包み込まれる。


 冷たくなりかけた風は、走って火照った体に気持ちいい。胸に魔方陣の束を抱えて、目を閉じて世界を感じる。


 再び目を開けて足元を見ると、自分がとんでもない所に立っている事に気付いた。そこは目がくらむような高さ。

 あ、いけない、と思った瞬間。



 突風が彼女を突き落とした。



 少女の腕から、魔方陣の用紙が離れていく。風に乗って紙は舞い上げられ、遠く、遠くに運ばれていく。


 

 一瞬の浮遊感の後、目を固く閉じたが、暫く経っても自分がまだ城壁の上にいる事に気付いて、そっと目を開けた。

 ミシャは一人の騎士に抱えられて、城壁の床に座り込む形になっていた。


「なんて、危ない、事を」


 騎士は、息を切らせて、なんとかそう言い切った。

 亜麻色の髪は斜めに切りそろえられ、左目だけを隠すよう片側に向かって長い。

 目を閉じていたその男性が瞼を上げると、澄んだ緑の瞳が髪から透けて見えた。

 騎士団の制服を簡易にしたような軽装。役職や職種がミシャにはわからなかったが、彼が城壁から落ちかけた自分を助けてくれたことを知った。


「ごめんなさい、ありがとうです」


 素直にお礼を言う。落ちていたら助からなかった。何故自分があんなことをしたのかわからなかったが、やろうと決めると、周りの事を忘れてやってしまうのは、自分の欠点だと知る。

 騎士は、倒れ込んだ拍子だろうか、左手に傷を負っていた。


 慌てて傷を治そうと、治癒術を行ったが、動揺がひどいようで集中できず、魔法が発動しない。慌てると、益々ひどくなる。


「大丈夫ですよ、ただのかすり傷です」

「でも……」

「もしかして君は、団長閣下の一番弟子かな。ミシャさん?」

「はい、ミシャです、呼び捨てで構わないです」

「僕は、ディルクと言います。あまり城にはいませんが、貴女の話は聞いてますよ」


 ディルクは立ち上がると、ミシャの手を取って立ち上がらせる。


「ミシャは怪我はないですか?」


 ミシャは頷く。今になって怖さを感じてきたようで、体が震えはじめる。課題用の魔法陣も落としてしまい、彼女はひどく反省をした。と、同時に、涙があふれだして来る。死、そのものは怖いと思わないが、死んだ後の事を初めて想像した。彼が助けてくれなかった場合の未来を考えると、同時に師匠や母と父の顔が浮かぶ。

 自分は死ねばそれで終わりだが、残された人はどう思うだろうか?と。


「泣かないでください、あまり泣くと、目が溶けてしまいますよ」


 笑いながら、彼女の頭を撫でて慰める。


「師匠には、内緒にしてくれますか、危ない事をしたってこと」


 ディルクは考えた。このような危険な行動をする事を、魔導士団長に伝えないのは、今後の事を考えると良くないように思える。彼女は反省はしているようだが、衝動的にこのような危険な事をするのは看過できない。


「ダメですよ、魔方陣を無くしてしまった理由を聞かれたら、嘘をつかないといけなくなりますし」


 ミシャが心底情けない顔をしたので、彼は苦笑した。


「あまり叱らないでください、とはちゃんと言いますから」


 このまま魔導士団の区画に戻すのは良くないように思い、ディルクはいったん、異世界人登録局に彼女を連れて行き、父親のローウィンの仕事が引ける時に連れて帰ってもらう事にし、自身のみで魔導士団長の元に報告へ向かった。

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