第5話

 突然の思いがけない訪問者に、魔導士と騎士は驚く。

 親しく旅をした仲ではあるが、彼がこの部屋に直接来るのは初めてだった。


「ご無沙汰してます」

「ディルクさん、戻られていたんですね」

「久しいな」


 ディルクは王命を受けて、諸国の諜報活動に出ている期間が長く、城にいる事は少ない。戻って来ている事を、二人は知らなかった。


「今朝、戻った所だったんです。陛下への報告を終えて、気分転換に城壁に上がったら、ちょっと」


 ディルクは魔導士団長の弟子が城壁の縁に立って風景を楽しんだあげく、落ちかけた話をした。

 その話を聞いた魔導士の最高位と、その守護騎士は、同時にぐったりと脱力したように机に顔を伏せる。


「本当に、このままだと、うっかりした事故で死なせてしまいそうですね」


 突っ伏したまま、黒髪の騎士が苦悶の声をあげる。


「さすがにそれだけは避けたい」


 何かの戦いの末ならまだ納得できるが。本人のうっかりミスで失うのはあまりにも情けなくて痛すぎる。

 二人は、彼女のそういう部分について、問題があると話し合った事を訪問者に伝えた。観察眼の鋭いディルクなら、また別の対処法を見つけそうな気がする。

 緑の瞳の騎士は二人の話を苦笑しながら聞いていたが、彼女の育ちについての情報を統合して、ひとつの解答にたどり着いた。


「彼女は、人生経験が極端に少ないのではないでしょうか」


 鉱山という危険な場所に引き取ると決めた時、おそらくその保護者は、彼女に細心の注意を払い、危険に近づけさせなかったのではないかと。

 彼女は死に近い場所にいながら、直接自分がその危険にさらされた事がない。ただ淡々と、目の前で起こる事象を見ていただけで、自分自身は経験していないのではないと彼は考えた。


 子供は転んで、その痛みから、その原因を考え、次から気を付ける。ミシャは危険な場所にあって、守られ続け、そのような小さな体験すら積み重ねなかったのではないかと思える。

 王都に来てからは魔導士団の区画で、ただひたすら魔法を学び続けた日々だ。この三年も、新たな人生経験をろくに積んではいない。

 身体的にも精神的にも、苦難や壁にぶつかった事がないように思われた。


「なるほど、その可能性もあるな」

「人間関係も希薄ですね。自分とも顔をよく合わせていたけど、それほど今まで親しくしていた訳でもないので」

「物理的にも精神的にも、いきなり滑落して死ぬ事がないように、守りすぎずに、本人に何度も転ばせた方がいいのではないでしょうか。守りすぎても良くないと思います。言うなれば経験は、小さな怪我の積み重ねですから」


 ついつい子供だと思って、守る気持ちを持って対応してきたが、ディルクの意見は納得できた。


「とにかく、いろんな経験をさせてみるといいと思います。彼女は賢そうだから、些細な経験からも、どんどん学び取って行くと僕は感じました」

「いろんな人に会わせて、今までさせてこなかった経験を、させてみるのもいいか」


 そしてふと、魔導士はディルクの左手の擦り傷を見つけた。


「あの子は、その怪我を治さなかったのか?」

「あ、治そうとはしてくれたのですが、魔法が発動しなくて。随分と動揺していた様子だったので集中できなかったのかなって」


 魔導士団長は手早くその傷を治癒させると、顎に手をやるいつもの癖を見せた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 あの城壁の事件から、ミシャは魔法が使えなくなっていた。


 魔法の発動のために集中すると、動揺した気持ちが蘇ってきて上手くいかないのだ。師匠の期待に応えたいと思ったばかりだったので、ミシャは余計に心を重くして、それがまた原因になるという、悪循環に陥っていた。


「ま、魔法は使えなくても、鍛錬はできるからっ」


 等と言い、とにかく部屋に閉じこもって打ち込む日々が続き、アルタセルタとローウィンを心配させた。以前のように吐血するまでは流石にやらないが、一時期のセトルヴィードの姿を見ているようで、気が気じゃない。


 アルタセルタはその事を団長に相談したが、銀髪の魔導士はその状態の弟子を放置するという決断を下した。今、彼女は最初の躓きを迎えているのだ。手助けしてやりたい気持ちはあるが、彼女は自分で立ち上がらなければいけない。これからの長い人生のためにも、今は手を出すべきではないと。


 コーヘイによる剣術の指南も続いていた。黙々と、与えられた訓練メニューをこなす彼女に、黒髪の騎士も心配に思ったが、心はともかく、剣術については、体を動かせば身についていく部分が多いので、魔法の件についてはミシャ自身が乗り越えるのを辛抱強く待つ事にし、ひたすら見守った。


 このように心を鬼にするのは辛い事だが、周囲はとにかく彼女のために我慢をした。だが、今まで躓いた経験のない彼女は、この苦境をなかなか乗り越えられず、苦しい時期が予想以上に長くなってしまう。



 ある朝、ミシャは今までにない弱々しさで、起きてきた。


「おかあさん、すごくおなかいたい……」

「どこが痛いの?」


 痛みは訴えるが、要領を得ず、どこが痛いという事もうまく伝えられない。ただ、俯いて、腹痛を訴えるのである。


 ローウィンが心配して治癒術を使ってみるが、効果があるように見えない。


「ご飯、食べたくない」


 今までこんな事を言った事がなかったので、夫婦はとにかく驚いた。

 鍛錬は今日は休む事、安静にすること、お腹がすいたらなんでもいいから絶対に食べる事を言うと、大人しく頷く。今日はアルタセルタも休みが取れなくて、具合が思わしくない娘を留守番させて、仕事に出る事になってしまった。


 アルタセルタは母親として耐えきれず、ついに魔導士団長の部屋の扉を私用で叩いてしまった。


「団長、お願いですから手助けをして欲しいのですわ」


 セトルヴィードは腕を組んで、目を閉じ、アルタセルタの訴えに耳を傾けていた。


「だめだ」


 彼の結論は変わる事がなかった。魔導士団長も心中は穏やかでない。だが、ここは我慢のしどころだと思った。


「ミシャの今の躓きは、小石だ。これが乗り越えられずに、これからを生きていけるとは私は思わない。今、魔導士である我々が乗り越え方を教えれば、立ち上がる事はできるだろう。だが、また同じ小石に何度も躓く。そのたびに手を貸してはいられない、そうだろう?あの子が自分で気づかないといけないのだ」

「団長……」

「ただ、今の状態は確かに良くない。体が弱ってしまっては元も子もない。そうだな、私にいい考えがある、任せてもらってもいいだろうか。ちょうどよい人材がいる事を思い出した」


 アルタセルタは、何とか我慢して、敬愛する団長にすべてを任せる事にした。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 異世界人登録局の局長エリセは、人事局に足を運んでいた。

 現在の局員は四人であるが、人数不足を痛感する事が増えており、人員の補充をしたいと、ずっと思っていた。


 一時期は五人おり、その時は良い感じで業務がまわっていたのだが、その中で一番優秀だった局員を亡くしてしまった。


 彼女を超える人員は見つからず、そのまま補充もなく今まで来てしまったが、いよいよもって補充せざるを得ない状態になりつつある。


「どこかの部署に、うちの業務に興味があるという者はいないだろうか」

「暇な時と忙しい時のムラがある部署は、あまり希望する人がいないんですよね」

「それはわかってはいるが」

「あっ、そういえば、ちょっと変わってるけど、異世界人に興味がある人がいるという話を聞いたような」

「その人物について詳しく聞きたいな」

「でもその人、宰相局の人ですよ?」


 エステリア国には、色々な部署があるが、宰相局はいわゆる国王のブレーン集団の集まる部署。学歴才能ともに優秀で、魔法が使える者も多い。実力主義のため、貴族は少ないと聞くが、その分、天才的な超エリートがそろっている。


「宰相局か……流石にそこからは引き抜けないだろうな」

「まぁ、一応会って話だけしてみます?」

「そうだな、一応話だけでも」

「他にも何人か、見繕っておきますね」

「お願いする」


 なかなか、不人気部署は人員確保が難しいなと、エリセは溜息をついた。

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