第6話
リビングのソファーで、毛布にくるまって横になっていたミシャの耳に、玄関をノックする音が聞こえた。
恐る恐るショールだけ羽織って、出てみる。
「こんにちは、お見舞いにきてみました」
ニコリと笑って、手を後ろに組んで立っていたのは先日、城壁で転落から助けてくれたディルクだった。今日はいかにも普段着と言った感じ。父母と親し気だったので、家を知っている事は不思議ではないが、まだ一度しか会っていない彼が、自分の見舞いに来たという事に驚いてしまった。
「あ、もう全然大丈夫なんです、お騒がせしましたっ」
黒茶色の瞳に、いつもの元気っぽさの片鱗を見せて、笑顔を見せてみる。
それを聞いたディルクは、ちょっと考えるような仕草をしてから、意外する事を口にした。
「もし体調が大丈夫なら、ちょっと付き合ってくれませんか?僕、今日は休みなんですよ。一緒に、町を散歩しましょう」
母に安静にしてるように言われていたが、そもそも実は仮病である。本当に腹痛だったわけではなく、そんな気がする、というものであった。辛くて辛くて、甘えたくて言ってしまったのだ。それで両親をひどく心配させていて、それも彼女の心の負担をより増やしていた。
そんな彼女の心情を察して、彼は続ける。
「気分転換に出かけるのは、良いことだと思いますよ?そうですね、普段と違う方が、より気分転換になるから……お洒落をしてください。僕、待ちますから」
囁くような口調と、首を少し傾げる仕草。それに添えられる軽やかな笑顔で、ミシャが想像もしていない事を次々に言われる。愛嬌のある緑の瞳は暖かで、自分のために来てくれたことを感じた。
確かに、家に閉じこもっていても、両親に心配をかけ続けるだけだ。煮詰まってる今、少し出歩いてみるのもいいかもしれないと、彼女は思った。
だが、お洒落とは?
とりあえずお茶を出し、リビングで待ってもらう。
母が買ってくれた服は何着かあるが、いつもは魔導士団のローブを羽織った膝丈のズボン姿だ。普段と違う自分、というのは大事なのかもと、勇気を出してスカートを選んでみる。実は買ってもらったその日に一度着たきり。自分に似合うのかどうかもわかっていない。
ただ着てみると、ボサボサの髪がすごく気になってきて、せっせと櫛を通す。すると艶が出、綺麗にまとまった。鏡を見てると、それが新鮮で、これだけでも少し気分転換になった気がする。
「お待たせしましたっ」
階段をパタパタと駆け下りる。
「ああ、やっぱ可愛いですね。似合ってますよ」
そう言われると、なんとも恥ずかしい。
外に出ると、彼はミシャの右手を取って引いた。
「嫌ですか?」
ミシャは首を左右に振る。それを見て笑うと、ディルクはミシャの歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれる。
彼女が、ちょっとショーウィンドウの小物が気になって目線を向けると、立ち止まって一緒に見たり。
「僕の仕事は、あちこちの国を見に行く事なんですよ」
「何処に行った事があるんですか」
「そうですね、最近ですと……」
歩きながら、色んな外国の話を聞かせてくれる。
少し足が疲れてきたかな?というタイミングで、座ろうと誘ってくれた。
「ちょっと待っててくださいねー」
ミシャを公園のベンチに座らせておいて、彼はすたすたと、屋台でお菓子を買って来た。さぁ、食べてみてと差し出されたのは、スティック状に揚げられた甘いお菓子。外はサクっとしてて、中はふんわり、口の中で溶けていく。甘いコーティングはハチミツの香りがして、少し岩塩を振ってあり、ミシャの好みの味だった。
「おいしいっ」
「でしょ?これ、僕の一番のお勧めです」
長い1本を半分こにして、二人でゆっくり食べながら休憩をする。
彼女は楽しくて、魔導士団に入ってから、はじめて魔法の事を考えずに過ごしてしまっていた。
「見て欲しい景色があるんです、案内しますね」
そう言われて連れてこられた場所は、港の近くだった。手前に少し大き目の段差があって、簡単には登れない。
ディルクは軽々と登った段差だが、ミシャはスカートが気になって登れなかった。普段の服なら平気でよじ登っている所なのだが。彼女の心に少し、恥じらいが生じているようだ。せっかくの服を汚したくもない。
ディルクは躊躇して立ち止まった彼女の両手を取り、軽々と持ち上げて、段差の上まで引き上げて見せた。細身の彼の見た目からは想像もつかない力だったので、少女は少し驚いた表情を見せた。鉱山にいた屈強な筋肉の塊のような男達であったなら、全く驚かないのだが。
「あれ?今のが驚くところですか」
「はい、力持ちでびっくりです」
「そうですね、ちょっと知っておいた方がいいかもですね」
彼はそういうと、ミシャの後ろ側にまわると、背中から覆いかぶさるように抱き着いて来た。
体全体が包み込まれるようになって、彼女はとても焦る。
「逃げてみてください」
じたばたと、力いっぱい暴れてみたけど、全くその腕は振りほどけない。
息が切れるほど、逃げようともがいたが、全くダメだった。びくともしない。彼が力を入れているようには、感じないのに。
彼女が完全に諦めたので、ディルクはそっと腕と体を離していく。
「悪い人にこうされると、ミシャの力では逃げられないから、絶対に捕まらないでくださいね。あっ、僕は悪い人じゃないですよ?」
ミシャが振り向くと、緑の瞳を細め、笑顔を見せてくれた。
「痛かったですか?」
「温かかったです」
「あっ、そろそろ日没ですよ、ここからの景色がとっても綺麗なんです」
彼が指さす方向に、海に沈んでいく太陽が見える。とても太陽が大きく見えて、それがとても綺麗で、完全に沈み切るまで二人で見ていた。
家に帰ると、アルタセルタが心配そうに出迎える。娘がとてもスッキリした顔をしているのを見て、安心しつつ、しっかり抱きしめる。
「すみません、娘さんをお借りしてました」
「世話をかけたね」
ローウィンが少し咳払いをして続ける。
「変な事は、しなかっただろうね?」
誰がどう聞いても、娘につく悪い虫を牽制する発言だったので、ディルクは笑ってしまった。何もしてませんよと軽く言い、手を振って別れる。ミシャも手を振ってくれる。
もう一人、悪い虫を見るように自分を扱いそうな人がいるが、必要だから一応は報告に行く。
ディルクは騎士団の区画にある宿舎の自室で、普段の騎士の軽装に着替えると、魔導士団長の部屋に向かった。
「行ってきましたよ」
「変な事はしなかっただろうな?」
父親と全く同じ発言なので、ディルクはクスクスと思わず笑う。
自分で頼んでおいてこれだから。
随分と可愛い人だなと、失礼な事を考えてしまう。
「役得ですね。僕は今日、仕事と思って行ってませんよ?」
「むぅ」
意味深な事を言われて、セトルヴィードは人選を誤ったと思った。
彼が最後に行った場所は、本当は連れていくつもりはなかった。あの場所は、ディルクがどうしても辛くなった時に、一人で泣くための大事な秘密の場所だった。
ミシャと一緒に町を歩いているうちに、あの場所に連れていきたいと思ったのだ。
彼は仕事柄、一人でいる事が多いが、一人が好きという訳ではない。
彼女と、一緒にあの光景を見られたのは、彼にとっても嬉しい事だった。自分が選んだ場所を喜んでくれたことも誇らしく、またぜひ、共に見る事ができればという願いも持つ。
男の腕力を教えるために、抱き着いてみた時、彼女は温かかったと言ったが、ディルクもミシャの体温を感じて、温かかった。
あのぬくもりは、暫く忘れられそうにない。
翌日、約束したはずのノックの後の一呼吸も完全に忘れて、元気に扉を開けて、弟子が笑顔で飛び込んできたのを見て、銀髪の魔導士は、やっと安心した。
まだ魔法は使えないが、転んだ彼女は、突っ伏していた地面から顔を上げたのだ。
あとは、勇気をもって立ち上がるだけ。
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