第二章 蛹と蝶
第7話
毎日のように魔導士夫婦の愛娘は、打ち身や擦り傷だらけで帰って来る。
「ただいま~、いてて」
「まぁ、またそんなになって!」
剣術の練習は実戦形式も伴って来て、彼女は転がされたり、したたかに模造剣で打たれたりで、生傷が絶える事がなくなった。
魔法が使えなくなり、自分で治癒する事ができず、ボロボロになって帰宅する。でもミシャは元気いっぱいで、その訓練が楽しくて仕方ない様子なのは救いだろうか。
「ダーリンちょっと治してあげてくださる?」
「もう治癒の魔法いらないっ、面倒だもん!かすり傷だし舐めて治す」
いささか痕が残りそうな傷を負う事も増えて、アルタセルタとしては心配が尽きない。さすがに”爽やかな訓練バカ”という二つ名を持つだけあって、黒髪の騎士の訓練は厳しすぎるようにも見える。それに楽し気に付き合う、娘もなかなかの訓練バカっぷりだが。師匠あっての弟子、弟子あっての師匠である。
「まぁ、本人がいいと言うなら、いいんじゃないか?」
ローウィンは、見守りの姿勢だ。魔法がこのまま使えないままになった場合でも、高名な騎士の手解きを受けた剣術を身に着けていれば、騎士団に入る事も可能だし、王妃の警護女官の道もある。彼女の将来を狭める事ではないと思っている。
だが、かすかに芽生えそうだった女の子らしさが、完全に消し飛んでいるのは気になった。今はまさに、少年そのものである。
「あ、そういえば城の方から手紙を預かってきていたな」
今日、ローウィンは帰宅の途中に城の近衛に呼び止められて、伝言の入った封書を手渡されていた。上着のポケットに入れて、まだ見ていない事を思い出し、取り出してみる。
封印が王家の紋章だったのが、ちょっと気になったが、開封する。
「えっ」
「どうしましたのダーリン」
文面を読み、ローウィンが焦りの声を出したのに驚き、その妻アルタセルタも手紙を覗き込む。そこには、二週間後の国王の生誕を祝う宴において、キース王子のエスコート相手として、ご息女をお借りしたい、という旨が記載されていた。
「あの子にそんな役目、できますでしょうか。というか、何故ミシャが」
「城仕えの友人に、そういえば聞いたな。第一王子のアリステアが今後どうなるかわからず、キース王子が次期国王になる可能性も出て来ているから、各国の王族が自国の姫と娶せようと、今度の宴に娘たちを差し向けてきそうだ、と」
エステリア王国は大国だ。しかも豊かで平和である。その国と婚姻を通じた固い関係を結んでおきたいという国は多い。まだキース王子は十三歳だが、婚約者がいてもおかしくはない年齢である。
キース王子が十五歳になるまでに、アリステア王子の復帰が成らないようなら、キース王子の立太子が予定されている。できればその前に、と言ったところか。
「この国にはかつて、救国の聖女と謡われた外交手腕を持った異世界人のキリカ妃がいただろう。同じ異世界人であるミシャを宴の席でキース王子の隣に置く事で、エステリア王国は第二のキリカ妃のような存在を求めているとアピールできる、そういう思惑ではないだろうか」
「なるほどだわ。両陛下はまだ、キース王子の婚姻については、カードとして残しておきたい、という事なのだわね」
「招待客の中にはイラリオン王国の名もあった。今、あそこはとにかく政情が不安定だ。もしそのような国と関わるような事になると、エステリア王国も巻き込まれる可能性がある。姫君を送られても無下には出来ないが、できれば穏便に、先方が察してくれるのを待ちたいというご判断なのだろう。」
「納得の理由ですわ。でも、ミシャでなくとも」
「中途半端に国内の貴族の娘を伴うと、その貴族を勘違いさせてしまうし。年齢的にミシャの方が二歳上とはいえ、その程度の年齢差は気になる程でもない。国王直轄の魔導士団所属だし、手ごろだと思われてしまったのだろう」
「実際の、あの子の姿を、ご覧になってませんわよね……」
「見ていたら、この手紙はこなかっただろうな」
リビングのソファーでだらしなく寝てる、男の子ような娘を見ながら、夫婦は苦笑した。
「まぁ、このような事、団長が止めてくれるのだわ」
楽観的なアルタセルタの希望は、セトルヴィードによって却下された。これも経験になるだろうという判断からだった。
こうしてミシャは、キース王子の相手役として、宴に伴われる事になってしまったのだ。
アルタセルタはわずかに残った期間で、必死にマナーを叩きこむ事になってしまった。
「歩き方!姿勢がおかしい!」
「もうやだよぅ」
「魔法の勉強と剣術は全然嫌がらないのに、なぜこれは嫌なの」
「やだやだ、絶対やだ」
それでもなんとか、付け焼刃の体裁を整える事に成功し、ミシャは初めてのドレスで、いきなり王族の元での立ち振る舞いを強いられる事となったのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
国王の生誕祭は、
久々の大規模な祝典に、王都はお祭り騒ぎだ。
各国の大使や使節団も、次々と国王に挨拶すべく、入城していく。
夜には、国王主催の宴が催される。
あちこちに魔法による色とりどりの灯りが灯され、花火が打ち上げられる。
音楽が城のあちこちから聞こえ、料理や酒の香りであふれた。
「ちょっと押さないで」
「やだ、見えない、もっと頭下げてよ!」
「いらっしゃったわ!セトルヴィード様よ」
「きゃぁ、護衛の騎士様も素敵」
セトルヴィードは、この日は普段の魔導士団長のローブではなく、威厳を伴う豪奢なローブ姿で、それを警護するように立ち、宴に参加する護衛騎士のコーヘイも、いつもとは違う黒を基調とした豪華な儀礼服だ。
ただ儀礼服とはいっても、他の騎士団員の礼服のような白手袋と違い、護衛騎士団は全員、いつでも戦えるように黒の革手袋である。それがまたなかなか凛々しくて、城仕えの女性たちは歓声を上げる。
美しい銀髪の魔導士と、護衛の黒髪の騎士の取り合わせが、かつての白い王子アリステアと、悪魔的美貌のレオンの取り合わせのようで、女性達の視線を集める。
この二人の豪華な衣装姿は、大規模で正式な宴や、式典でなければ見る事が出来ない、貴重なものだ。眉目秀麗な美しい容姿の魔導士団長が、顔を見せる機会もこのような時に限られるとくれば、城内も色めき立つというものであろう。
今日のディルクは、文官の制服を着て、眼鏡をかけて国王の傍で通訳として控える。あまり目立たず、景色に溶け込むような雰囲気をまとう事も、諜報活動の専門家としてお手の物だ。
この近辺の国はエステリア王国との付き合いが長いので、エステリア語が共通語として使われているが、それぞれの国には独自の言葉が存在する。辺境の国ともなってくると通訳は必須だ。ディルクは九か国語を、読み書き会話のすべて自在に操る。理解するだけなら十七か国にわたるとも言われる。
国王の隣には王妃が椅子を並べ、賓客をもてなす。少し離れたテーブル席に、第一王子アリステアと、その婚約者であるロレッタが座っている形だ。声を発する事ができない彼女を婚約者としたことも、アリステア王子の廃太子の可能性を上げている。だが彼女は、今なお魔獣から受けた傷が癒えない王子の、貴重な心の支えだ。金髪碧眼の美丈夫は、茶色の豊かな髪を持つ琥珀色の瞳の美女に、今でも夢中に見える。美女の王子を見る目線も、優しく暖かい。
一時期はこの二人を嫌っていた面々も、最近は二人の関係を祝福しているという。
そしていよいよ、キース王子の入場となった。
各国の姫たちも、注目する。王子は今年十三歳。王家の血筋譲りの豊かな金髪と、美しい澄んだ空の青の瞳。整った顔立ちは王妃譲りである。まだ顔立ちが幼い事もあって、女の子っぽくも見える。
そんな彼が手を引く女性。
「あれは、どこの姫君だ」
「我が国に、あんな令嬢いたっけ?」
セトルヴィードは持っていた杯を、危うく取り落としそうになったし、コーヘイに至っては、口を開けて棒立ちだ。
そこには、アルタセルタの苦労の末の会心作。弟子の、新たな一面の姿があった。
光が当たると茶色に輝く、黒い髪。くっきりとした二重に長いまつ毛。それが縁取る瞳も髪と同じ色で、光が当たった時だけ茶色に見える不思議な黒。
体は細く引き締まっていて、少年のようでもあって中性的だが、白い肌なのに健康そう。しなやかな歩き方は小鹿の可憐さ。
髪は結い上げられ、花飾りでまとめられているが、うなじに落ちる僅かな後れ毛が、少しだけ大人っぽい。
化粧は、してるのかしてないのかわからない、少し色を付け加えた大人しさだったが、それが彼女の健康的なイメージを損なわず、個性的な顔立ちを引き立てていた。
王子と変わらぬ身長で、とてもお似合いに見えた。
まわりの騒めきを他所に、ミシャの心臓は爆発しかねない勢いで早鐘を打っており、周囲の評価など全く耳に入っていない。頭の中で、次の足は右!次は左!と唱えていないと、緊張でまともに歩けもしない有様だ。隣に立つキース王子が気遣ってくれるが、年下に気遣われるというのも中々に恥ずかしい。
アルタセルタに徹夜でたたき込まれた挨拶の文を、噛まずになんとか言い終えて、彼女の本日のメインミッションは終了である。
後はしばしの、歓談の時間を乗り切ればいいだけ。
国王の前から少し下がろうとしたとき、王の後ろに控える眼鏡の文官が、髪で薄く隠した左目だけ閉じて、合図を送って来た。
それがディルクであると気づき、見知った顔に少し安堵した。
それにしても、彼の仕事内容が謎過ぎる、とも思った。騎士の恰好だったり、諸国を回ってると言ったり、今は文官のようだし、で。
そのような事を考える余裕ができたので、二人の師匠の視線にもやっと気づき、目線を送る。
『師匠!見てくれましたか?ミシャはやりましたよ!』
と、心の中でつぶやいた。
しかし調子の乗ってスカートの裾を踏み、危うく転びそうになり、隣に立つキース王子に誤魔化してもらう事になった。
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