第8話

 隣に座る王子とは、ミシャは初対面。

 特に共通の話題も無かったので、無難にこなす方法を模索する。


「随分、秋めいて参りましたね」

「そうだね、日が暮れるのも早くなった」


 一生懸命、絞り出した話題が季節の話というところに、キース王子は彼女の事を面白く思った。ずっと緊張の面持ちで、ガチガチのままだったから、もう少しゆったりとした彼女と、言葉を交わしたいと思う。


 案外、王子とこの娘の組み合わせもアリなのではないかと思ったのか、不意に国王が、ミシャに声をかけてきた。


「そなた、異世界からの来訪者であるが、記憶にある故郷の話なぞしてもらえぬか」


 ミシャの異世界の記憶は四歳止まりである。語れる程の思い出はない。なのでいきなり問われて面食らった。でも国王の要望である、出来る限り返答したいところ。

 彼女は目を閉じて、記憶にある風景を蘇らせた。


「湿った土の匂い、どこかで藁を焼く香りが漂って、ススキみたいな形の植物がたくさん実をつけて、四角く区切られた畑にたくさん植えられてました。一面が金色に染まって、トンボが飛んでる。細い小川が作られていて……」


 不意に彼女の脳裏に、人影が過る。

 顔色がみるみる変わって、言いよどむ。

 異変を察知した周囲が、少しざわつく。


「……じいじと、……ばあばが……」


 真っ蒼になった彼女の傍に、ロレッタが駆け寄り、国王夫妻に、これ以上は辞めてあげて欲しいという目線を送る。


「自分もその風景に覚えがありますよ」


 不意に、コーヘイが助け船を出す。国王はそれに乗った。


「ほう、聞かせてくれるか!」

「ええ、ススキのような植物は、稲ですね。この国にはありませんが、そのような植物が小麦の代わりの主食で、秋の、そうですね、この季節頃でしょうか、収穫期を迎え」


 コーヘイが周囲の目線を引き付けている間に、ロレッタは手を引いて、アリステアの元に彼女を連れて来た。優しい言葉をかけてあげたいが、彼女は声が出ない。


 青ざめて、ついには震えはじめた彼女に、何か辛い記憶があったのかと心配になる。キース王子も心配そうな顔を向けて来ているが、アリステアは”こちらに任せて、お前はお前の仕事をやるように”と、仕草で指示した。キース王子はそれに素直に頷く。


 少女は、かすれた声で、先ほどの言葉の続きを綴り始めた。


「じいじと、ばあばが、ミサって呼びながら私を探すの、探してるの。パパとママが、じいじとばあばに怒っているの、信頼して預けていたのにって、ケンカして」


 ロレッタとアリステアは顔を見合わせる。


「パパとママがこなくなっても、じいじとばあばは私を探して。じいじが川に落ちて死んじゃった……ばあばもお布団で寝てて死んじゃったの。パパとママが泣いてるの、ごめんなさいって……」


 ボロボロと涙をこぼしながら苦し気に告白するミシャに、ロレッタは困惑する。彼女は自分のいなくなった後の世界を語っているのだ。

 ロレッタの代わりに、アリステアが声をかける。


「君はそれを見たのかい?」

「夢で見たの」


 そういえば、夢の中では元の世界と行き来できるかもしれない、という話もあった。ロレッタも最近、親友が結婚して男の子を生む夢を見ている。夢では、元の世界とのつながりがあるのだろうか?

 しばらく泣いていたが、落ち着いた様子を見せたので、ロレッタは筆談でアリステアに告げる。


『お化粧を直してあげに行ってきます』

「頼んだ」


 琥珀色の瞳の美女は、少女を誘って、控えの間に向かった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ロレッタは、手早く、少女の涙で乱れた顔を整えなおし、髪も簡単に手直しした。


「ありがとうございますっ」


 ミシャから見ても、この琥珀色の瞳の女性は本当に美しかった。アリステアと交わしあう慈しみの目線を見て、そういう関係に憧れめいたものも感じていた。

 声が出ないのを、魔法の治癒でどうにかできないものか、考える。ただ王子の婚約者の立場なら、魔導士団の高位治癒が施されているはずだ。ミシャのレベルでどうこう出来る問題ではなさそうに思えた。それでも何か、してあげられないかと思ってしまうのが、ミシャらしい。


 酒宴の盛り上がる声や、歌舞音曲が遠くに聞こえるやや暗い夜の廊下を、宴の広間に向けて歩いているとき、二人は何かの気配を感じて、同時に立ち止まった。


「え?何」

「誰かいるの?」


 誰何を言終えるやいなや、二人に無言の黒い影が複数飛び掛かって来た。女二人は、お互いが相手をかばおうとし合うが、賊の目的は美女ではなく、お姫様然としたミシャだったようだ。


「よし、フェオドラ王女を手に入れたぞ」

「きゃあ、やだやだ、何?離して!」


――違う、その子はミシャよ!


 でもロレッタは声が出ない、唇がぱくぱく動くだけだ。

 続けざま、ロレッタは賊の持つ短剣で、右肩を正面から斜めに斬られた。悲鳴も苦悶の声すら出ない。そのまま続けざまに蹴り倒されて、床に転んだが、必死に連れ去られる少女に向かって手を伸ばす。


「ロレ……!」


 叫ぼうとしたミシャは、したたかにみぞおちを打たれ、気を失ってしまった。


 ロレッタは必死に体を起こすと、傷を押さえながらなんとか広間に戻った。ドレスの色が赤だったので、血が目立たない事は幸いだった。騒ぎを起こして、宴を台無しにする事は、国の威信的にできない。秘密裡に、事を運ばなければならないと、三年もの間、王子の傍にいた美女は、すでに心得ていた。

 心配するアリステアを前に、必死に筆談をする。


『ミシャが連れ去られた。フェオドラ王女と間違われた様子だった』


 書き終えた、ロレッタの顔が白い。出血が多いのだ。侍従を呼び、ロレッタは治療に回す。異変に気付いて傍に来たキース王子に、無言でロレッタの筆談の紙を見せる。

 フェオドラ王女は、最近政情不安定なイラリオン王国の王女である。今は国王の前で歓談しているが、身長、髪の色はミシャとほぼ同じで、まためた髪の感じもよく似ている。だが瞳の色は違って、彼女は紺色だ。


「この場は俺が引き受ける。お前が彼女の救出を指揮しろ」

「わかりました兄上、後はよろしくお願いします」


 広間から出ていくキース王子が目立たないように、アリステア王子は同時に立ち上がる。

 傷が深く、ベッドから起き上がる事も難しいと近隣諸国の諸侯は聞いていたので、そのまま歩を進める王子に、一同が注目した。

 何かあったのではと察した様子の、黒髪の護衛騎士に向かって握手を求める。


「故郷の話、大変面白かった。貴公は剣の腕の評判も聞き及んでいる。もう少し待ってもらう必要があるが、いつか手合わせを願いたい」

「喜んで」


 握手の際、ロレッタの書いた紙をさりげなく手渡す。コーヘイはそれを同じく、周囲にバレないように受け取る。

 魔導士団長を壁変わりにして、紙の内容を見終えると、顔色は一切変えず、前に座る銀髪の魔導士に耳打ちをする。

 この国の最高位魔導士も、一切表情を変えない。

 ディルクも、このやり取りに異変を感じていた。だが、ここを離れる事はできない。今は重要な職務中だ。


 ここにいるミシャと近しい人間は、誰もこの場を離れられないでいた。地位や身分というものは、なんと人を縛るのだろうか。

 耐えて待つだけというのは本当に辛い。セトルヴィードは、このような苦しみに何度、耐えたかわからない。ローブの袖に隠した、左手を握りしめるのが精いっぱいだ。

 今のミシャは、魔法が使えない。剣技はだいぶ身についてはいるが、実戦は未経験というのが不安要素だ。

 賢く、人望のある十三歳の王子に、全てを託すしかない。



 キース王子は、夜目にも目立つ装飾の多い上着を脱ぎ棄てると、見習い騎士の上着を羽織る。素朴なマントを従者から受け取り、十人の騎士を選りすぐり、目撃情報を集めながら、ミシャの痕跡を追っていく。

 急に出された馬車があると聞き、それを追う事を決めると、迷いなく馬を駆った。


「さすがキース王子、素晴らしい判断力と行動力だ」

「ああ、これなら追いつけるのではないか」


 付き従う騎士が感嘆の声を上げた。

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