第9話


 少女は、ガタンと大きく弾んだ馬車の揺れで、意識を取り戻した。


 猿ぐつわを噛まされ、両腕は後ろ手に縛られている。足は辛うじて自由だが、ドレスが邪魔でいつものようには動けない気がした。


「んー、むぐぅ」


 腕を揉んで、緩めようと試みてみたが、かなり固く結ばれていて、解ける気配はない。じたばたと暴れてみたが、効果はない。


 どこかで話し声はするが、異国の言葉で彼女には理解できなかった。ただ、単語的に、自分が他国の王女と間違われたのではないかと察した。紹介された時の顔を必死に思い出して、確かに背格好が似てる姫がいた事に気付く。ただ彼女の瞳の色は紺色だ。暗がりの中では見分けがつかなかったのだろう。


 政情不安定な状況の中、王女は完全な警備状態で、なかなか隙がなかった。いつも何人もの護衛を引き連れている王女が、女一人を伴って歩く姿に、チャンスと思ったのだろうが、彼等が攫ったのは別人である。


――どうしよう、別人とばれたら。


 心の中でつぶやく。なるべく目を閉じて、ぎりぎりまでバレないようにして時間を稼ぐしかないように思えた。とにかく逃げるチャンスを待つしかない。

 ロレッタがどうなったかも気になった。

 誰か、助けに来てくれたりするのだろうか?二人の師匠が、あの宴の場を離れられるとは思えない。気軽に動くには、立場が重すぎるのだ。

 

 自分がいなくなった時の、アルタセルタとローウィンの事を思うと、じいじとばあばの事が重なって辛い。絶対、生きて帰らなければと思った。


――せめて魔法が使えれば、なんとかなるのに……。


 試してはみたが、一番簡単な知覚上昇の魔法すら、発動しないようだ。


「追っ手がかかっている気配はどうだ」

「わからない、城の方が騒がしくなっているようには見えない」

「とりあえず王女さえ手にいれば、政権をひっくり返せるぞ、やっと我々の望みが叶うのだ」

「こんなところまで追って来た甲斐があったな。警備が厳しすぎて諦めかけたが、あんな隙を見せてくれるとは」

「異国に来て、気が緩んだのだろう」


 しばらくして、馬車が止まった気配がする。ミシャは気絶したフリをとにかく続けた。振動で体のあちこちが痛い。


「よし、ここで馬車を交換だな」

「替えの馬車を用意するように言っておいたが、まだ来てないな」

「追っ手の気配はないし、少しこのままここで待つか」


 不意に、馬車の扉が開け放たれる。目は閉じる、目は閉じる……必死に念じて、目を開けないように気を付ける。


「お姫様は、まだお休みのようだぜ」

「あれ?王女は右目の下にホクロがなかったか?」

「ああ、確か泣きボクロが」

「この女、違うぞ」

「何だって!?」


 ミシャは掴まれると、馬車から引きずり出され、地面に投げ落とされてしまい、仕方なく、目を開ける。黒茶の瞳が、賊たちを見る。

 十人程の男の集団で、全員が困惑の表情で彼女を見ていた。

 そのうちの一人が、苛立った足取りでミシャに歩み寄ると、彼女の体を引き起こしたと同時に、頬を思いきり音高く殴って来た。縛られているミシャは成す術なく、そのまま地面に再び倒れ込んだ。


「くそ!紛らわしい女め!」


 間違えたのはそっちであって、自分は絶対悪くないと思うと、怒りが沸いてくる。しかし身動きできない今、やり返す事もできず。


「おいやめろ、その娘だって貴族かなんかだろ。逃走用の人質としての価値はあるんじゃないか?見目も中々だし、売れるかもしれん」


 もう一人の男が彼女を引き起こし、顎をグイっと荒々しく掴む。


「良さそうだぜ?まだ子供だが」

「あっ、おい!馬蹄の音が聞こえないか?」

「替えの馬車では?」

「違う!追っ手だ」


 誘拐犯の集団の元に、キース王子が連れた騎士団の精鋭が到着した。賊を一気に制圧にかかる。賊も次々と剣を取り反撃の姿勢を見せ、一気に場の雰囲気が荒々しくなった。

 騎士の一人が馬から降りると、ミシャを縛っていた縄を切ってくれる。猿ぐつわも外されて、やっと口で呼吸ができる。


「ぷはっ」

「そのまま賊を捕らえろ!」


 馬上からキース王子が指揮する。

 騎士達が賊を制圧しかけたように見えたが、馬車を取りに行っていた賊の仲間が待ち合わせ場所の異変に気付いて、殺到してきた。

 キース王子の連れてきた騎士は十人、王子を含めて十一人だ。対して賊は二十人近くに膨らんだ。


 一気に乱戦。キース王子の部下は優秀で、この人数差でも対等に戦っているが、少女を守りつつというのが難しくなっている。

 ミシャは自分の身は自分で守らなければと、賊の落とした剣を拾った。


 ドレスで動きにくいが、荒々しいだけの賊の攻撃は見切りやすく、初めての実践となった彼女でも対応ができた。相手は女相手と見くびってくれたのも良かった。黒髪の師匠に教わった通りの動きも出来て、ミシャは一人の賊を地面に伏させた。


「あれ!?彼女は魔導士じゃなかったか?」


 キース王子が馬上から驚きの声を上げる。魔導士団から相手役を借りると、キース王子は聞いていた。だが今、目の前にいる彼女は、動きから見て剣士である。


 突如、茂みに倒れ込んだ賊の一人が、悲鳴を挙げて絶命した。


「なんだ!?」

「王子、大変です、魔獣に囲まれています」


 次々に賊達が、オオカミのような形状の魔獣の群れに襲われていく。悲鳴が響く中、王子たちの馬も数頭犠牲になり、騎士達は馬を降り、新手の危険に挑む事になってしまった。


 円陣を組むように、中央にミシャとキース王子を置いて、騎士達は並びなおした。


 あれだけの人数がいた賊達は一瞬で全滅してしまった。久しく王都のそばで、このような魔獣の群れが出たとは聞いていなかったが、以前より多くなってきていないか?という噂はチラホラ耳にした。まさか実際に増えているのだろうか?


 完全に囲まれ、一度に襲い掛かかって来る数によっては、とてもじゃないがこの人数では対応しきれない。

 キース王子は左手でミシャの体を抱き寄せると、彼女だけは守り切って見せるという姿勢を見せた。とても十三歳には見えない強い眼差し。

 

 この状況下で、黒茶の瞳を伏せて、ミシャは集中しようとしていた。


 魔獣には剣より魔法による攻撃が有効だ。今、騎士達は命をかけて自分を守ってくれようとしている。王族であるキース王子ですら、自分を守るために盾になろうとしているのだ。今、ここで魔導士は自分だけ。


 師匠がいつも辛そうに「騎士は、魔導士を守って死んでいく」と言っていた。だが、守られて例え生き残ったとしても、それは本当に助かったと言えるのだろうか?

 彼女は、全員を助けたいと思った。魔導士も騎士を守るのだ。お互いが不足を補って支え合う。それがこの世界での戦い方だろう。


 彼女は実戦経験はなかったが、自分でその答えにたどり着いた。


 呼吸を整えて、自分の魔力のありかを探し出す。


――私の、迷子になってる、魔力はどこに?


 心の中を探し、やがて魂の中を探す。ずっと見失っていた魔力の器を、その魂の中に見出すと、記憶を元に、魔方陣の形を心の中に構築し、そのラインに自らの魔力を導いていった。

 詠唱なしで美しく組み上げられる、星を模した複雑な魔方陣。


 薄く目を開くと、周囲の動きがスローモーションに見えた。


 魔獣が屈んで、飛び掛かる姿勢を見せる。


 騎士たちが一斉にその剣を構える。

 

 三十近い魔獣の、六十の赤い目の光が空中に浮かび上がる。


 ミシャは心の中に描き出した魔方陣に、その魔力を導ききった。


 刹那、彼女の足元を中心に、大きな円形の光の魔法陣が渦巻くように発生した!


 騎士達が突然の眩しさに、一瞬目を閉じる。


 その魔方陣から空に向かって放たれる多くの光の槍が、飛び掛かって来た魔獣すべてを一瞬で貫いていった。魔獣は次々と光の槍に砕かれ、黒い灰になって散っていく。


「これは、彼女がやったのか!?」


 魔獣は光の槍を受けて消し飛び、魔方陣が消えた後には一頭も残っていなかった。あたりに静けさが戻り、騎士達は何が起こったのかわからず、茫然としていた。


 ミシャは、魔力を使い切って、ぐったりとキース王子に身を預ける形になっていた。


 キース王子が何か、自分に向かって叫んでいるのは見えた気がしたが、彼女はそのまま意識を失った。

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