第10話

 ミシャは、パチっと目を開けた。

 全く知らない天井が見える。


「おや、気づいたようだぞ」


 ミシャを見下ろすようにして覗き込む、長い紺色の髪の魔導士。


――あれ?副団長がいる。


 自分がどこで、何をしていたのか、混乱して思い出せない。

 目をぱちくりさせて、全く状況が呑み込めていない様子の少女を、治癒の副団長であるカイルはゆっくり抱き起す。


「気分はどうだ?」


 体を起こすと目線の先に、椅子に座って、組んだ両手を力なく膝上に置いた魔導士が見えた。その紫の瞳が静かに彼女を見ている。いつも通りのキレイな瞳。

 だが、こんなにも疲れた表情をしている師匠を初めて見た。


「師匠?」

「無事でよかった、本当に」


 銀髪の魔導士はふらりと立ち上がると、ベッドに座る弟子の両肩をひき、ぎゅっと抱きしめた。だが、それにも何だか力がない。


「待っているだけなのは本当に辛いものだ。また、手の届かない所で失うのかと思ってしまった」

「師匠は、ずっと傍にいてくれましたよ?」


 いきなり素っ頓狂な事を言い出したので、彼女の肩を掴んだままセトルヴィードは体を離し、少女を見る。


「私の魔法の力は師匠そのものです。師匠は、いつも私を守ってくれてますよ!」


 夏の花がぱっと開いたような明るい笑顔。夏の花、太陽の化身。この笑顔は人を元気づける力を持っている。その笑顔で、このような事を言われて、銀髪の魔導士の心に、日差しがさしたように思えた。


「ところで、私はなんでこんなところに。家に帰らないと」


 キョロキョロする少女に向かって、カイルが腕を組んで呆れたように言う。


「おまえ覚えていないのか、無詠唱で高位魔法をぶっ放したと聞いたぞ」

「へ?」


 ミシャは下位魔導士である。鍛錬はしていたが魔力は多くなく、魔方陣を覚えたとしても高位魔法を発動させる魔力は持っていない、はず。


「何でそんな事ができるんですか?」

「こっちが聞きたい。とにかく使い慣れない魔力の使い方をして、お前はひっくり返って、ここで一週間寝ていたのだ」

「一週間!?」


 そんな気は全然しない。しかも今、元気いっぱいである。このまま剣術の訓練に行ってもいいぐらいだ。

 師匠の疲れ切った様子は、ずっとそばで、眠る自分を見守ってくれていたからだろうか。


「それはともかく、魔法がまた使えるようになって良かった」

「ああ、そういえばそうでした!」


 元気いっぱいに、肝心な事をすっかり忘れているというところ、あまりにも彼女らしくもあって。

 カイルとセトルヴィードは、顔を見合わせて苦笑するしかない。

 肌着姿だったミシャは、さっさと枕元に置かれていた服を着ると、ベッドから飛び降りた。


「おなかすきました」

「とりあえず、今日は誰かに送ってもらって家に帰りなさい、護衛騎士の誰でもいいから。いいね?」

「はーい!」


 セトルヴィードの優しい命令に、元気だけの良い返事をして、当たり前のように一人で帰った。


 家に帰ると、アルタセルタとローウィンは泣きながら娘の帰宅を喜んだ。ミシャは絶対に、これからも、この家に帰って来ると誓っている。じいじと、ばあばのような思いを、この優しい新しい両親に、味合わせる気は全くない。


 アルタセルタの口から、ロレッタも治療を受けて怪我は大事無かったことを聞き、安堵した。優しく美しいあの人に、お礼を言いに行かねばと思っている。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 木枯らしが吹く、ちょっと肌寒い日。庭の木々も、その葉を落とし始める。絡みついた蔦の葉も真っ赤だ。魔導士団の区画は、季節はわかりにくい作りではあったが、それでも確実に冬に向かう気配が、今日は感じられていた。


 この日のミシャは、小さな椅子に小さな机、目の前の小さな黒板のある小さな小部屋で座学を受けているところ。


 講師は防御の副団長デルフィーヌ。ストロベリーブロンドのウェーブヘアが美しい眼鏡姿の女性副団長である。防御系魔方陣を専門としているが、最近まで長期の休みを取っていて、数か月前に団に復帰したところであった。

 この国は異世界人に対する対応も手厚いが、国民への福利厚生もしっかりしている。平和で豊かだからこそ、できるのだ。


「副団長、ここわかりません」

「何処かしら、見せてごらんなさい」


 わからない箇所の記述を指さす。


「ああ、ここはね」


 高位の魔導士が、彼女に一対一で教えるのは、かなりの例外だ。ミシャは下位魔導士であり、通常なら接点がないぐらい遠い存在である。

 だが、彼女は下位魔導士でありながら高位魔法を使うという滅茶苦茶な事をやってしまったので、またあんな無理をさせないように、徹底的に各種専門家の教えを受ける事になったのだ。


「ふむふむ」

「集中するのもいいけど、そろそろ剣術のお稽古の時間ではないかしら?」

「あっそうでした!副団長、今日もありがとうございました」


 ぱぱっと本とノートを一束にまとめると、元気いっぱいに手を振りながら部屋から飛び出していく、魔導士らしからぬ少女。


 異世界人の技術は世界を変えていくが、彼女は魔法自体の形を変えていきそうな素養が見て取れ、あのような才能を、弟子にできた魔導士団長を、デルフィーヌは羨ましく思った。


 ただ、最近の団長の様子がおかしい事を、彼女は不審に思っている。眼鏡に光が反射して、その表情はわかりにくいが、実のところミシャがこの部屋に勉強に来るたび、この不審に思う感情が瞳に乗っていた。

 周囲には悟られまいとしているが、魔導士団長は体調を崩している事が多いように思えるのだ。


 一応はミシャに新しい知識を授けるために、副団長が授業を行っている形にはなっているが、実際はセトルヴィードが授業をできない時に、本来は彼がすべき仕事が他人に振られているように思える。


 治癒の副団長カイルも、セトルヴィードの傍にいる日が多い。

 何かある、というのは何となくわかってしまうのだ。

 それぐらい、最近の団長はおかしい。


 可愛い弟子に、知らせまいとしているようだが、ここまで連日となれば流石に、あの元気な娘も気になって来るのではないかと。

 自身も不安に思うが、あの可愛い弟子の表情が曇る事のないように、デルフィーヌはひたすら願ってやまない毎日を過ごしていた。



 ミシャは約束の時間に剣術鍛錬場に行ったが、この日はそこにコーヘイの姿はなく、セリオンが待っていた。


「あれ?コーヘイ師匠は??」

「今日からコーヘイが忙しいので、オレがしばらく替わりだ。不服かな?」

「そんな事ないです、頑張ります!お願いしまーす」


 コーヘイと違って、セリオンの訓練は優しい。優しいが、要所、要所を締めて来る。タイプの違う講師に教えを受けるのもいいものだと彼女は思った。


 しかしその後は何日経っても、コーヘイは鍛錬場に現れず、セリオンが毎日付き合ってくれる。


 更になんだかんだと理由を付けられて、魔導士団の方でも副団長と会うばかりで、セトルヴィードと引き離されていった。

 長らくあの紫の瞳を見ていない。


 あげくの果てには、特定個人を侵入禁止にする魔法陣が敷かれ、師匠の部屋にミシャは近づけないようにされていた。

 いくらノックもそこそこに飛び込む事を、たしなめられていたとしても、そこまでされてしまうだろうか?


 彼女の心に、暗雲が広がって行く。

 鍛錬の後の、あの訳の分からない不安感。

 とても不快なあの感情。


 恐ろしい何かに出会いそうで、怖い。

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