第11話
コーヘイは、枕元に椅子を寄せて、ベッドに横たわる”友”を見る。
ここ最近は毎日、こうやって、傍らにいる。
少しずつ衰弱して。
銀色の髪のせいか、その美しさのせいか、とても儚げだ。
ガラス細工のようであり、氷の彫刻のようであり。
光に溶けてしまうか、風にあっという間に散ってしまいそうにさえ見える。
敵からは、いくらでもその剣をもって、守るつもりであった。だが、病となると話は別だ。まさか彼が、病魔に冒されているなどと、考えた事がなかった。
ミシャが攫われた後、救助出来たという報告に安堵し、にわかに倒れて、あっという間にこの状態だ。
セトルヴィード自身も、他のみんなが自分を置いていくと信じて疑わなかったが、どうも彼が、みんなを置いていく事になりそうだ。
紫の瞳の輝きも、日々、失われつつある。弟子の成長を見ずにこの世を去るのは、随分心残りであろう。でも彼女は、自分の魔法の力がセトルヴィードの力であると言ってくれた。傍にいると思ってくれていた。
ミシャに、そういう自分の何かを遺せるのは、救いの一つになりそうだ。
「コーヘイは、私を忘れないでいてくれるか」
「忘れるはずないでしょう、頼まれても無理ですよ」
「おまえが、いてくれてよかった」
「傍にいる事を許してくれて、自分は嬉しいです」
今、こうして自分との思い出を、ずっと抱き続けてくれると魂の約束をした相手が目の前にいる。人生としては、それほど悪くないのではないかという気さえ、しなくもない。
だが、そろそろ流石に、この状況を弟子に隠し通すのは難しくなってきた。
不自然に、会わないままの日々が、随分長く続いてしまっていた。
「そろそろ伝えようと思う。今日の座学の後、カイルに来させるよう言ってある」
「それがいいと思います。何も知らないままの方が可哀そうです」
時間通りに、ノックの音がする。コーヘイが扉を開けて、カイルとミシャを迎え入れた。
「師匠?」
ぐったりとベッドに横たわり、静かに弱々しい呼吸をしている、最愛の師匠の姿に、いつもの元気さを失って、彼女は枕元にとぼとぼと歩いて近づく。
「師匠、どうしちゃったんですか?」
紫の瞳を向けるが、いざとなると何と言えばいいのか言葉が出てこない。
カイルが、ミシャの両肩に手を置いて優しく伝える。
「もう、治癒の魔法も、効かないんだ」
黒茶の瞳が、まっすぐに銀髪の魔導士を見た。
「二人きりにしてあげましょうか」
コーヘイとカイルは頷きあい、部屋に二人を置いてそっと出て行った。
横たわる師匠と、その弟子だけが取り残された部屋は、とても静かだ。
弱々しくなった、彼の呼吸の音さえ聞こえそうなほどに。
「ミシャ、もっと顔をよく見せてくれ」
セトルヴィードはその右手で、枕元にいる可愛い弟子の頬を何度も撫でる。
弟子の瞳には何の感情も沸いて見えない。もう少し悲しんだり、驚いたりするのかと思っていたのだが、まるで静かに凪ぐ夜の海のようだ。
「ミシャ……」
ずっと彼女は考えているようだ。感情を出さないその瞳では、いったい何を考えているのか、セトルヴィードには全く読めないが。
不意に彼女がベッドの上に登って、毛布をめくり、するりと入って来た。
弟子にした最初のうちは、一緒に鍛錬をして、こうやって同じ布団で寝た事もある。それを再現したいのかと思い、受け入れた。
だが彼女は、別の何かをしようとしていた。
もぞもぞと、セトルヴィードの上に覆いかぶさるような仕草を見せる。
銀髪の魔導士の首元に顔をうずめるように抱き着く。
耳元に息がかかって、ちょっとくすぐったい。
「ミシャ?」
ミシャの体温が伝わってきて、温かい。
彼女はそのままの姿勢でじっとして、動かなくなった。
年若い魔導士は、誰かに教わったわけではなく、自分で考えて、試すべき事を思いついていた。
彼女は今、自分の魔力を、セトルヴィードの首筋から血管すべてを巡らせるように流しはじめていた。魔方陣のラインを描くように、血管の隅々まで、魔力の腕を伸ばす。
そうやって、体の中の病魔を探し出そうとした。
全神経を集中し、違和感のある場所を探る。
これは随分と無理な魔力の使い方らしく、頭痛がし始めるが、彼女はその痛みに耐えながら、先へ先へと魔力のラインを築く。
人体の血管の距離は長い。彼女は細かい小さな血管も見逃さず、ひとつひとつを丁寧に確認していった。
不意に、魔力が通らない、異物感。
ここだと感じた彼女は、そこに治癒の術を集中的にかけた。
ミシャの使える治癒術は、せいぜい切り傷や打ち身を癒す程度で、骨折ぐらいになると治せなくなる。
それでも彼女は、繰り返し、繰り返し、心の中で何度も、自分が使える治癒の魔法陣を描き続け、その異物感の部分にぶつけ続けた。
ミシャの額に汗がにじみ、呼吸が苦し気になりはじめ、セトルヴィードは、彼女が魔力を使って何かしている事にやっと気付いた。しかも、かなり無茶な何かを。
やがて、彼女は喉がつまり、完全に呼吸ができなくなったようで、苦し気に喘ぐ仕草を見せる。
「ミシャ、辞めなさい」
押しのけようとしたが、彼女はしっかり銀髪の魔導士に抱き着き、絶対に離れない構えだ。これ以上は絶対に止めなければと、本能的に思った。
「ミシャ、ミシャ!」
右手で彼女の体をゆするが、少女は離れない。
セトルヴィードは焦った。
――しまった、コーヘイかカイルに、傍にいてもらうべきだった。
二人とも、扉の外にいてくれるだろうか?
「コーヘイ!カイル!」
必死に友の名前を呼ぶ。
二人は、扉の外で待っていてくれた。
セトルヴィードの悲痛な叫びを聞き、飛び込んで来た。
「どうした!?」
「ミシャの様子がおかしい」
二人が駆け込んで来たとき、セトルヴィードにしがみついていた彼女は、その力を失ってぐったりとしていた。
「おいおい、息をしてないぞ」
カイルが驚いて、セトルヴィードに覆いかぶさっていたミシャを引き離し、彼女の体を床に横たえた。
「人工呼吸をしてみます」
コーヘイは腕をまくると、前の世界で培った蘇生術を試みる。気道を確保し、唇を完全にふさぎ、彼女の肺が膨らむよう、息を吹き込む。
何度目かの時、ミシャが反応した。
「けほっけほっ」
コーヘイとカイルは、顔を見合わせてほっとした。
ミシャはうっすらと瞳を開ける。
「う……」
「何をやってるんだおまえは」
口調は粗雑だが、心配を隠し切れない声でそう言いながら、カイルはそっと、少女を抱き上げた。
「どうしよう、こいつは俺の部屋で預かろうか」
「カイルさん、なんだか、閣下の顔色が良くなってません?」
「あれ???」
カイルはミシャを、コーヘイに押し付けるように抱かせる形で預けると、セトルヴィードの顔をまじまじと見る。
さっきまで、明日も知れない様子だった。
衰弱はひどいが、死に向かう影が消えているように感じるのだ。
「こいつ、何をやったんだ」
「う……ん……」
ミシャは小さなうめき声をあげ、また呼吸が苦しそうになってきていた。
今度はこっちが危なそうに見える。
カイルはもう一度、コーヘイから少女を受け取る。
「こいつは俺が預かるから、コーヘイはセトルヴィードを頼む。何か食いそうなら食わしといてくれ」
「あ、はい」
カイルはミシャを抱きかかえて、自室に向かった。
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