第12話

 銀髪の魔導士は、コーヘイが持ってきたお粥を口にしている。

 欠片もなくなっていた食欲が、すっかり戻っている感じだ。


「ミシャは大丈夫だろうか」


 しかし、先ほどからこればっかり、繰り返し言ってる。

 あまりにもしつこいので、コーヘイは”おじいちゃん、それさっきも聞いたでしょ?”などと返事をしたくなって来た。


「何かあれば、カイルさんがちゃんと報告してくれますよ。今は自分の体の回復に、集中してください」

「うむぅ」

「その食器を下げる時に、自分が様子を見てきますから。とりあえず、とっとと食べてください」

「わかった」


 黙々と食べる姿を見て、コーヘイはほっとしていた。いつもの、彼が知る銀髪の魔導士の姿に、戻りつつあるように見えたからだ。


 そんな姿を見ながら、いつか別たれる日が来ると覚悟していても、いざその時となると、なんとも弱虫になってしまうものだと、コーヘイは自嘲する。


 自分が無力だと感じるのは相当に辛い、これは本当に、誰もが感じる感情のようだ。だからこそ、必死に自分で出来る事を探し求める。それが傍目にどんなに無茶で無理な事でも、やらずにはいられないのだ。


 ミシャが何かまた、無茶な事をしたのは確かだ。


 だがコーヘイに、それを責められない。ましてや叱る事なんてできない。

 もし自分にできる事があるなら、自分も、そのすべてを投げだして無理をしてやっただろうと思えたからだ。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 治癒の副団長の自室は、薬瓶と薬草が所狭しと並ぶ棚は圧迫感があり、独特の匂いのある部屋で、ここに来るだけで、もう半分治ったような気がしてしまう、謎の安心感がった。

 ミシャはカイルの部屋の診察用ベッドに横たえられ、毛布をかけた後は離れようとするカイルの袖を、彼女は掴んで引いた。


「どうした」

「いかないで」

「おいおい、どうしたんだ。具合が悪いのか?」

「寂しい、傍にいて欲しい」


 普段言わないような口調で、とても甘えるように言う。先ほどまで無表情といっていい感じだったのに、今は瞳を揺らして泣きだしそうだ。

 カイルは諦めてベッドの枕元の傍に座った。


「これでいいか?」


 ミシャは頷く。


「師匠はもうだいじょうぶ?」

「あれはもう、大丈夫じゃないかなあ」

「本当に本当?絶対の絶対?」


 カイルは少し笑った。


「本当の絶対に、だ」


 少女の額に触れると、少し熱い。熱が上がってきてる気がする。これはまた、数日寝込みそうだ。

 やがて少女は、静かな寝息を立て始めた。

 カイルはその寝顔を見つめていたが、そこにコーヘイが彼女の様子を見に来た。


「閣下はお粥を一皿ぺろりと」

「いきなり、随分食ったな」

「リンゴを剥いて置いたら、ずっとシャクシャク食べてましたよ。あれは一個分ぐらいなら、すぐに食べちゃうんじゃないでしょうか」

「セトルヴィードの方はもう大丈夫そうだな」

「こちらはどうです?」

「これはまあ、完全な魔力切れの症状だな。酷い鍛錬の後は、セトルヴィードもよくこんな感じになっていたから、気にしなくてもいいと思う」

「ミシャの力について、何かわかりそうですか」

「確かとは言えないが、なんとなくわかった気はする。この娘は、魔力のコントロール技術と集中力が、天才的なんだと思う」


 魔方陣を描く魔力は、その流す量は関係なく、どんなに少なくてもいいので、最後まで魔力を使って陣のライン描き切ればいい。

 たいていの人は、魔力の流し方に多少のブレがあるので、ある程度の量を流す事で太さを出し、その誤差を埋め、強引に描き切ってる状態だ。


 ミシャの魔力操作は精度が高く、少ない魔力を針のように細く、繊細に、一切ぶれずに魔方陣として描き切っている気がする。これなら下位の魔力量でも、高位魔法を発動させることは可能だ。だが、それにはとんでもない集中力を要する。

 また、一回で魔力を使い切るので、使うたびに倒れる事になる。


「完全に魔法発動だけに集中できる環境を作ってやれば、下位魔導士でありながら戦力にはなるな。まあ戦闘時に、そんな環境になる事は滅多にないと思うが」

「でも戦闘中に、発動させたんですよね、高位魔法を」

「そうなんだよなあ、まあ、今後は下位魔導士として扱うのはどうかと思う」

「下位ではないというと」

「高位魔法を使うんだぞ、高位魔導士扱いだろうな。異世界人初だ」


 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 お別れもどきのあの日から、数日経っていた。


「コーヘイ、なんだか空腹感があるのだが」


 黒髪の騎士は、”おじいちゃん、朝ごはんはさっき食べたでしょ”、という言葉を必死に飲み込む。黒いシャツに黒いズボンの、真っ黒な出で立ちの黒髪の騎士は、それに白いエプロンを付けていた。


「なんだか、いつも以上に食べてませんか」

「とにかく体がエネルギーを欲してる気がする」

「以前より、健康になりそうですね」


 ほんの数日前まで、別れを覚悟していたのに、今はなんだか肌が艶々している。


「ところで、自分は確か護衛騎士だったと思うのですが、どうも今は、介護職員のような気がしていて」

「他の魔導士に、寝込んでる所を見せたくない。そうなるとおまえしかいないのだ」


 腕を組んでそう言う姿は、すごく偉そうである。

 コーヘイはリンゴを、ウサギの形に剥く。


「はい閣下、うさぎちゃんですよ」

「突然、うさぎちゃんって」

「かわいいでしょう?」

「かわいいけど、これはどっち側から食べれば」

「お尻から?」

「お尻か」


 なんでこんな会話をしているんだろうと思うと、コーヘイは笑い出してしまった。あんなに心配していたのが嘘のようだ。

 ミシャの成長を、これからも二人で見守っていけそうなのは本当にうれしかった。

 

 二人で立派に、彼女を大人まで育て上げたい。

 そして次は彼女が、また次世代を育てはじめるのだ。

 その繰り返しで、未来は作られていく。

 今、自分たちは、未来を作っているのだと思うと、生きる意味と実感が強くなる。



 コーヘイがそんな考えごとをしていると、ノックと同時にドアが開いた。

 それだけで、誰が入って来たのかわかってしまう。


「師匠~」


 ベッドに飛び込んで、銀髪の魔導士にくっついて、ひとしきり甘える。


「なんだか子供っぽくなってませんか」

「甘えん坊がひどい」


 彼女は、ただくっついているだけではなかったが、二人はそれに気づいてはいなかった。

 ミシャは何度もくっついて、その都度、先日の続きの治癒を行っていた。彼女の力では、一度二度では病魔を完全に潰しきれず、とにかく何度も繰り返していた。

 だが場所はわかっているので、以前ほど苦にならない。

 

 カイルから、高位の治癒魔法を教わったので、それを今日は試してみるつもりだ。

 完全に潰しきらないと、安心できない。だが、高位魔法には集中力がいる。時間もかかる。


「ミシャ?」


 今日の露骨な甘え方は不自然な気がして、声をかける。甘えている、ふりをしているように感じたのだ。黒茶の瞳は、何事もないように見つめ返す。


「師匠、大好きですよっ」


 思いっきり抱き着く。抱き着いて、誤魔化す。


「ねえ師匠、今日は長めにくっついてて、いいですか?」

「どうした」

「そういう気分!」

「気分なら仕方ないな」

「もしかして、自分は席を外した方がいいですか?」

「コーヘイ師匠も大好きなので、いてください」


 大好きと言われて、悪い気はしないが、やはり違和感が拭えない。


「どうしたんだ、本当に」


 コーヘイとセトルヴィードは顔を見合わせる。これが良い兆候なのか、悪い兆候なのか判断がつかなかった。


 少女は、銀髪の魔導士にしがみついたまま、動かなくなる。

 以前もこんな事があったような気がして、はっとした。


「ミシャ!?」 


 セトルヴィードが引きはがそうとするが、絶対に離すものかという鉄の意思を感じるしがみつき方だった。コーヘイに目を向けて、助けを求める。

 騎士は、彼女が何か理由があってこうしている事に気付いた。


「今日はそういう気分みたいですし、もう少しそのままにしてあげましょう」

「また、呼吸が止まるようなことになったら」


 そんな心配をよそに、ミシャはがばっと顔を上げて、ニッコリ笑う。


「師匠成分を蓄えたので、お勉強に行ってきます!」


 そういうと、ぱたぱた飛び出して行った。


 飛び出して、魔導士団長の部屋の扉から見えない位置まで距離を取ると、ふらついた。


 一気に青ざめ、呼吸は荒く、脂汗が滲み出る。高位の治癒魔法を使ったせいで、魔力は完全に枯渇した。


 この状態を、彼女は誰にも見られたくなかった。見られたら、心配をかけてしまう。特に、師匠達やアルタセルタには。だから、その辺で倒れるわけにはいかない。こうなるともう、副団長を頼るしかない。なんとか、カイルの部屋にたどり着く。


 扉が開けられなくて、床にへたりこんで猫のようにひっかいた。


 カイルが飛び出してきて、抱き上げて運び込む。


「何をやってるんだ」


 無茶なところまで師匠に似てしまって、カイルは困惑するしかない。

 少女の体の状態を確認する。また、いつもの魔力切れのようだが、いったいどこで何をしているというのか。


 こんなに何度も魔力切れを起こして、発熱しているようだと体に悪い。

 成長期にこの状態は、良いとは絶対に言えない。

 師匠である魔導士団長に相談するのが筋だが、今の彼には自分の事に集中してもらいたい。カイルは考えたあげく、副団長四人で、この弟子についての会議をする事に決めた。

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