第18話
「キース殿下、今日はこのあたりで」
第二王子は息が切れて、汗だくだ。最近は毎朝、剣術の稽古をしている。
城の裏庭は騎士団の演習場になっており、それなりの広さがあるが、王子はその隅っこで目立たないようにしている。第一王子アリステアは、その剣技に自信があったため、彼ぐらいの年齢の時にはかなり目立つ場所でも堂々と鍛錬していたものだが、第二王子キースは、全く剣術には自信がなく、なるべく人目を避けてこっそりと、という感じであった。
基礎体力作りも頑張ってはいるが、なかなかスタミナがつかないのが目下の悩みだ。
「だいぶ、動けるようになってきましたね」
灰色の瞳の騎士、副団長セリオンが今日の講師だった。
「そうだろうか」
次の王位継承者はキース王子、という話はチラホラ出てはいるが、彼は自分が第一王子アリステアに勝っている所はひとつもないと思っている。
兄は一時期、混乱はしていたが、それは過去の事を思えば致し方ない事。今は心の傷もだいぶ癒え、体の方の回復も著しい。
キース王子が十五歳になるまでにアリステア王子の政務復帰がなければ、キース王子が立太子という事にはなっているが、兄はもう今年中には復帰できるように彼は思っていた。先日の宴での緊急時の落着きも見習いたい。兄に指示されなければ、次に何をすべきか、わからなかった。
キース王子自身としては、自分はアリステア王子の臣下の一人としてやっていく心づもりである。
母親似の女顔のせいで、姫王子などと揶揄されたり、あまり自分の評価は高いとも思えないし、剣術も、魔法剣士と称えられる兄とはくらべものにならないレベルの腕前しかない。
「殿下はまだ十三歳、これからですよ」
「年齢をあまり、言い訳にしたくないな」
急に王子が背伸びしはじめたのが、セリオンは気になった。
「まさか、王子殿下は、好いたお方でもできましたか」
「!!!」
真っ赤になってしまって、それが答えのようになってしまった。
灰色の瞳の騎士は、それなら仕方ないな、という顔をした。
「良い事ですよ、目標としてはとても」
「あまり笑わないで欲しい」
「お会いになられる機会は多いんですか」
「滅多にない」
「では、次に会うまでに見違えるようになって、意外性でキュンとさせますか」
「言い方」
王子は赤面してもじもじすると、女顔も相まって、女の子のように見えてしまう。ミシャと交換するとちょうど良さそうにさえ見える。
セリオンとしては、この王子の成長を応援したい。自分も弟子が欲しくなっていたところだ。剣術以外の部分の指南の自信もあった。
「このセリオン、女性の扱いにかけては城で一番と自負しております。よろしければいつでも知恵をお貸ししましょう」
「頼もしいが、ほどほどで頼む」
流石に彼はレベルが高すぎて、王子にはついていける気がしなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ディルクは城壁に肘をついて、その緑の瞳で景色を眺めていた。彼は仕事終わりには城壁で、その景色を眺めるのが好きだった。
そろそろ冬に入りそうで、風は随分と冷たくなってきている。
今は城にいるが、またそろそろ、近隣諸国へ行けという命令が出そうな気がしていた。出国すれば、数年戻ってこられない。いつもの事だが。
昔は、それが楽しいと思っていた。
身分を隠し、姿を変えたりしながら、秘密裡に調査をするこの仕事は、スリルもあって自分好みだ。
ただ、一人でいる時間が長い。
言うなれば、彼の仕事はスパイ活動だ。
潜入した異国で友人を作ったりなど、出来るはずもなく。
なまじ目端が利いて、人間心理を読むのが得意なせいで、親しく人と付き合いにくいというのが、彼の悩みだった。
本当は、一人でいるのは嫌いだ。
相棒のような存在がいてくれたら、少しは違うのだろうかと思うが。
部下はたくさんいるが、片腕的な存在はない。
「僕は、寂しいのかな」
独り言が思わず出てしまう。
「寂しいんです?」
突然、背後から声がして、びっくりして振り向く。気配がなかった。
そこには見知った少女が、魔導士のローブを着て立っていた。
「気配を消して近づかないでください、びっくりするじゃないですか」
「びっくりさせようと思ってたので、大成功です」
ふふっという、悪戯好きの微笑。
「でも本当は、気配なんて消してはいなかったですよ。こっちが風下なだけじゃないですか?」
「あれ?そうなのかな、あれ??」
ディルクは気配にかなり敏感だ。そうでなければ、彼のような職種では危険だからだ。それが油断していたとはいえ、気づかない事なんてあるだろうか。時々この少女はびっくりする事をやる気がする。
「それで?なんで寂しいんです?」
「聞かれてましたか。そうですね、寂しいですね。僕はずっと家族もいませんし」
ディルクは十二歳からの城仕えだが、それは親兄弟がいなかったからだ。生きるために働き始めた。
「うちのお父さんとお母さんとは友達じゃないです?」
「戦友ではありますね、コーヘイさんやセリオンさんも」
「戦友と友達は違うです?」
「あれ、どうだろう、違うのかな……同じなのかな。でも職場でしか会いませんし、友達とは違うのかも」
じっと、黒茶の瞳で見つめられる。
ミシャも城壁に寄って、ディルクの横に肩を並べる。
そして目線だけをディルクに向けた。
「私は、どういう存在です?」
「え?」
「こうやって、会えばお話するのは、お友達じゃないですか?」
ミシャは彼の返事を待たずに、城壁の手すりの縁によじ登る。初めて会った、あの日のように。
「危ないですよ!」
再びここに立って、彼女は世界を感じる。
冬になりつつある冷たい風が頬を撫でる。
夜空は深い青みが増して、深く深く。
そして、ディルクの方に向き直ると、彼の方に向かって飛び降りた。
あまりにも予想外で、かなり慌てて抱きとめた。
彼は特別、高身長というわけではないが、そんな彼の腕でも、すっぽり彼女は納まってくれる。
「何やってるんですか」
「力持ちだから、大丈夫かなって思って?」
ディルクは彼女を抱きかかえたまま、くすくす笑い始めた。
「無茶をするって聞いてはいるけど、ほんと無茶苦茶ですね」
なんとなく、顔を寄せて、そのままきつく抱きしめてみる。石鹸の匂いがする。
「寂しく、なくなりました?」
どうやら、これが彼女流の励まし方のようだった。
ディルクはなんだか、離すのがもったいなくなって、そのまま抱きかかえていた。
だが、いつまでもはそうしていられないので、残念に思いながら、地面に下す。
「寂しくなくなりましたよ。僕とお友達になってくれるんですか?」
「もうずっと、お友達だったですよ?」
冬空なのに、心が熱くなるような、夏の花の笑顔。
太陽の化身のような、あの花が開いているみたいだ。
「それじゃあ、私は戻りますっ」
ぱたぱたと足音を立てて、階段を駆け下りて行った。
ディルクの腕の中にまた、あのぬくもりが残った。
再び城壁にもたれる。
なんだか、国外の仕事は断って、城の中の仕事を続けたくなっていた。
「あれ?僕ちょっと、おかしくなってないかな?」
また独り言を言った。
今度は誰にも聞かれていないはずの独り言だったが、城壁の隅に、彼の気づかない影がひとつ、控えていた。
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