第六章 若木はその枝を伸ばして

第25話

 雪が降り積もり、雪かきが必要な程度に庭を埋め尽くしていた。


 数人の騎士が雪玉を転がして、積み上げて、大きな雪だるまを仕上げる。その騎士の集団の中に、キース王子とミシャの姿があった。今日のミシャは制服でもなくドレスでもない、あったかモコモコ姿。それもまた可愛いのがたまらなかった。


「ミシャ、鼻の頭が真っ赤だよ」

「王子殿下もそうなってます」


 雪にはしゃぐ少年少女を、大人たちは微笑ましく見ていた。


「天使が二人、雲の上を転がっているようだ」

「本当にそうですね」


 こうやってみると、ミシャは剣を振るって戦ったり、高位魔法を連射するような女の子にはまったく見えない。年相応の、普通の、ちょっと可愛めの少女だ。

 女顔の可愛らしい王子と、本当にお似合いで、やはりこれは婚約もアリなのではないかと、見ている者に思わせる。

 この国にはあまり、相手の身分を問わない風潮もあって、王族とはいえ、どうせなら愛し合う者同士でまとまってもらった方が、国民的な評価は高い。身分差の恋愛などは、往々にして民衆を熱狂させたりもする。


 雪遊びは、雪合戦に発展していて、きゃあきゃあ歓声を上げながら雪玉をぶつけ合う。動いて暑くなると、雪の冷たさが気持ちいい。

 二人で雪の上に飛び込んで、跡を付けたり。


「楽しいな」

「楽しいです」


 ひとしきり、笑いあった後。雪に体を沈めて、並んで空を見る。

 冬の空は高く、高く、ひたすら青い。


「今日の空は、キース殿下の瞳の色です」

「こんな色だっただろうか」

「はい、こんな色ですよ」

「ミシャは好きか?この色」

「好きですよ」


 心の中で、緑はもっと好きです、と呟く。

 ミシャは、カイルの告白の件もあってか、キース王子の気持ちにも気づいてしまっていた。


 どちらが辛いのだろう。


 好きだけど応えてくれない相手が、生きているのと、死んでいるのとでは。


 今はまだ、ミシャはキース王子に心が動かない。


 師匠達……魔導士団長も、その守護騎士も、同じ人を好きになったと聞いた。

 でもその人は、誰も選ばすに死んでしまったとも。

 二人とも、次の恋をせず、今も彼女を愛したままなのだろうか。

 どちらも、新たな女性に目を向けてるようには見えない。

 これからも、誰も選ばないという選択肢もあるのだろうかとも思う。


「ミシャ?」


 空を見つめたまま、彼女が何も言わなくなったので、王子は不安になって声をかけてきた。


「なんだか眠くなってきました」

「えっ!ここで寝ちゃだめだよ?」

「はい」


 微笑んで返事する。

 雪遊びはこれでお開きになった。



 その日の夜は、ミシャはロレッタの部屋に泊めてもらう事になっていた。

 同じ布団に入って微笑み合う。

 ミシャは、美女の豊かな肢体に抱き着く。

 ああ、師匠は、この感触がもしかして好きなんだろうか?と思ったりもする。なんだか、とっても気持ちいいから。


 今夜のミシャは、遊びに来た訳ではない。ついに今夜、ロレッタを縛る物を解くつもりだった。かなりの長時間の集中もいるし、おそらくそのあとは力尽きる。いつものように椅子の上で短時間密着してる程度ではダメだった。


 失敗する可能性もあるので、ロレッタにはその事は一切告げず、一人で孤独な闘いに挑戦する。


 ミシャは、古代魔法の対価の謎にたどり着いていた。

 自分に刻んだ古代魔法を何度も使って気づいたのだ。対価の有無は、効果に関係ないと。例え対価がなくても、同じ力が発動するのだ。


 対価は、罰なのだ。


 巨大な力を使った事に対する罰。


 ロレッタの声は、魂の中で縛られていた。

 ミシャはなぜ、そのような罰が魔方陣の記述に含まれているかの理由も察しがついたが、これについては結論を出すにはもう少し研究が必要だった。だが、必ず解くつもりでいる。


 とりあえず今夜は、魂を縛る呪いを解く。この事だけに集中する。


 ロレッタの呼吸の変化で、眠りに入ったのを確認してからはじめた。


 魔力の腕を、あらかじめ見つけておいた目的の場所に届ける。


『見っけ。鎖みたいに巻き付いてる』


 鎖は複雑に絡み合い、硬く結ばれていた。

 でも鍵があるわけではない。

 この絡んでいる部分を、丁寧に、丁寧に崩していく。

 乱暴にすると魂が傷つく。

 この美しく繊細な魂に、傷なんて付けたくなかった。

 集中し続ける。

 額に汗が浮かんでくるのがわかる。

 魔力がどんどん消費されていく。

 足りるかどうか、不安だが、途中でやめるわけにはいかない。

 ミシャは必死に、必死に、心を込めてその呪いを解いて行った。


 魂から鎖が外れて落ちる。

 落ちた鎖は光に溶けて消えた。


『やった、いけた!』


 ミシャは、成功を確信したが、ついに限界を迎えて意識を失った。



 眩しい日差しを受けて、ロレッタは目覚めた。なんだかとても気持ちが良い朝に感じた。新しい夜明けを迎えたような。小鳥のさえずりに、世界の祝福を感じる。

 ふと、隣で眠る妹のような少女を見た。


 ぐったりとして、顔色は青を通り越して真っ白なのに、不自然な頬の赤みと脂汗。

 かすかな呼吸で喘ぐその姿。


「み、ミシャ!」


 美女は、ハッとした。声が出る、声が出るのだ。元の声が!

 だが、その喜びより、少女の方が気になった。飛び起きて夜着のまま、ガウンを羽織っただけの姿で、アリステアを呼びに行く。


「王子さま!」

「ロレッタ!?おまえ声が」

「ミシャが、大変なの」


 王子も慌てて駆けつけて、少女の様子を見る。熱が高い様子だ。

 ロレッタは涙目で震えている。

 

「ああ、ミシャ、あなた、何をやったの、こんなになるまで」

「とりあえず、魔導士団の方に連絡を出そう」


 侍従が連絡に走る。

 折り返してすぐに、コーヘイが駆けつけてきた。


「こちらで預かります」

「お願いします、後で必ず様子を教えてください」


 ロレッタの縋るような視線。コーヘイは頷きでこたえた。

 毛布に少女を包むと抱き上げて、いつも通りに、カイルの部屋に運び込まれた。


「こいつ、また何かやったのか」

「やったみたいです。ロレッタさん、喋ってましたよ」

「まじか」


 とりあえず診察してみる。

 いつもの魔力切れとは少し様子が違って見えた。


「まあいい、とりあえず回復までは俺が預かる」

「お願いします、閣下の方にも報告しておきます」



 コーヘイはセトルヴィードに報告を終えた後、騎士団の詰め所の方に歩いていた。


「もしや、あなたがコーヘイさんですか」

「はい?」


 そこには榛色の短い髪、ブルーグレーの瞳の長身の男が立っていた。


「異世界人登録局の新人で、クラウスと申します」

「魔導士団護衛騎士団長のコーヘイです」


 握手を交わす。


「すごいですね、異世界人でその地位とは」

「そうですか?」

「常々、異世界の人々の努力の素晴らしさには、目を見張る思いです。この世界にはない姿勢ですよ、本当に素晴らしい」

「は、はあ」


 この男は何を言っているのだろうかと思った。この世界の人も誰もが努力をしている。まるでこの世界の人は努力をしないような言いように、反感を覚えた。


「噂を聞いて、お知り合いになりたいと思って声を掛けさせていただいた次第です」

「そうですか」

「それではこれで」


 黒い瞳は、長身の男の背中を見送った。


「なんなんだ、あの男……」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ミシャはパカっと目を開けた。


 離れた場所で、カイルがゴリゴリと薬草をすりつぶしているのが見えた。

 じっと、その様子を見つめる。

 紺色の髪の魔導士は、少女が目覚めた事に気付かないまま、仕事をしていた。


 計量を繰り返し、別の薬草を合わせ、様子を確認しながら作業を進めていく。

 数冊の本を取り出し、確認をして繰り返す。

 本は戻さずに開いたまま。時々書き込みをしている。


 途中で肩が凝ったのか、肩を押さえて首をまわす。

 そこで、黒茶の瞳がこちらを見てる事に気付いた。


「何だ、起きてたのか」


 近づいてきて、ミシャの額に手を当てる。


「んーー?今回、なんだか熱が高めだな」

「副団長の、働いてるとこ、かっこいい」

「えっいきなり何?熱のせいか?」


 心配そうにのぞき込む。

 顔色も普段より悪い。ただの魔力切れではないのかもしれない。

 そういえば、雪遊びをしてたとか、そんな話を聞いたような……。これはもしかして、普通の風邪か!?と思い至る。

 呼吸音もおかしい。咳き込む事もできないぐらいになってる事に気付いた。


「肺炎を起こしてるのか、また魔力切れかと」


 見落としてしまっていたのは、彼には珍しい迂闊さだった。

 毎回、彼女がここに担ぎ込まれるのは、今までずっと魔力切れだったからだが。

 すぐに治癒魔法をかける。

 セトルヴィードの魔法と違って、カイルの魔法は、シャキシャキ、テキパキしていて、夢見るような風景ではないが、その軽やかさが安心感につながる。


「かっこいい」

「ちょっと。やめてくれないかな、そういうの」

 

 思わず真っ赤になって、目を逸らしてしまった。

 視線を戻すと、ケホケホと少女は咳き込みはじめた。


「これは、苦い薬を飲まんといかんやつだな」


 机に戻ると、いくつかの薬草を調合し、抽出する。

 デロデロ、ドロドロの、いかにもな薬が出来上がった。

 小さなカップで、一口分ぐらいの分量だが、なかなかの味が想像される臭気が周辺に漂う。


「さぁ飲め」

「うえ、無理」

「飲め!」

「絶対やだ」

「おまえな」


 カイルは溜息をつく。

 覚悟を決める事にした。

 ばっとそれを自身の口に含むと、彼女に口移しで飲ませる。


「んぐっ」


 飲み下したのを確認してから、離れる。


「これはキスにカウントするなよ!」


 ミシャは、少し、熱に浮かされた瞳をカイルに向ける。


「嫌じゃなかったですよ?」


 それだけ言うと、寝息を立て始めた。


 カイルは脱力して床にへたり込んだ。

 片手で赤面した顔を押さえる。


「マジで、勘弁してくれ、ほんと」

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