【それぞれの一日】 ディルク編

「……つっ」


 寝返りをうとうとすると傷がひきつり、激痛を発する。ほんの少しの身じろぎで、脂汗が噴き出る痛み。痛みに耐えてると呼吸を忘れてしまい、少し落ち着いてから、やっと息を吐く。


「はぁ、はぁ」


 魔獣から受けた傷は、数か月経った今も、未だに彼をさいなむ。

 あまり、強い薬には頼りたくはない。だが、ここ最近ずっとこんな感じで、あまり眠れていない。さすがにそろそろ、眠っておかないと体がもたない気がした。

 攫われる王子を追尾するなどの無理をしたせいか、傷は振り出しに戻ったかのように、受けた時と同じ痛みを生じさせている。


 まだ夜は深い。


 苦労しつつ半身を起こし、枕元の机の引き出しから、痛み止めの薬を取り出すと、なんとか飲み下す。


「はぁ……」


 仕事への本格的な復帰も、目処が経たないが、ここで無理をしてまた悪化させてもたまらない。今は我慢の時だろうと思うが、散々自分が悲しませてしまった少女に、心配をかけたくなくて、会う機会がある時はどうしても無理をしてしまう。

 彼女は、自分のこの状態を知らない。

 知って欲しくない。


「僕、本当に嘘つきだな」


 ずるずると、滑り落ちるように体を横たえ、布団をかぶり直す。



 三年の猶予。

 彼女のために、というような言い方をしたけれど。

 その三年は、己の回復に必要な期間でもあった。


 

 強い痛み止めの薬は、眠気を誘う成分も入っているから、わずかな時間で、彼は静かな寝息を立てて眠りに落ちた。



 天井から、カタンッという小さな音がした。


 通常のディルクであれば飛び起きる所だが、彼は薬のせいで完全に眠ってしまっていた。しばし様子を窺う様子を見せていた黒い人影が、天井から音も無く飛び降りて来た。

 影は一つ。その手には刃。静かに、眠る亜麻色の髪の青年の傍に忍び寄る。

 枕元に立ち、成功の確信と共にその短剣をディルクの胸めがけて突き下ろす。


 しかしその武器を持った手は、ヒュン!という鋭い音を立てて振り出された鞭によって動きを止められた。


「!?」


 影は、慌ててその根元方向を見たが、そこにはもう人影はなく、鞭のグリップは力なく地面に向けて落ち行く……。暗殺者の目線がそれを追う。

 次の瞬間には、暗殺者の真後ろから左鎖骨の隙間を縫うように垂直に短剣が差し込まれ、声を出す事もなく、出血すらろくにないまま、ディルク暗殺を企てていた男は絶命した。倒れる暗殺者を後ろから抱きかかえる、もう一つの影。


「う、う……ん?」


 ディルクはかすかな血の匂いを感じ取って、意識を取り戻しかけたが、薬の効果に圧し負けて、再び眠りを深めていった。

 生きてる方の影は、眠る青年の方に目線をやると、薄く笑う。

 出てきた時と同じように、全く音を立てずに、その影は暗殺者の死体と共に闇に消えて行った。



 朝の日差しの明るさに、森と、森の泉色の目を開ける。


「何だろう、変な夢を見た気がする」


 まず半身を起こし、ゆっくりと角度を変えて、ベッドから降りる。顔を洗って、服を着替える。療養中の今、彼は文官の服を着ていた。シャツとズボンの上に、ガウンコートのような膝丈の上着を羽織り、前を留めるだけなので、魔導士のローブと同じような感じだ。そして眼鏡。視力は悪くないので、度は全く入っていない伊達。

 上着の下に隠すように、短剣をベルトの後ろ側に差し込む。

 少しでも剣の重みが腰にないと落ち着かないというところに、自分が騎士であるという実感が沸く。


 自室の扉を開けると、部下が待っていた。


「ディルク様、こちら昨日の報告書です」

「ありがとう」


 それを受け取り、軽く内容を確認し、次の指示を出す。部下が立ち去るのを見送って、国王の元に向かう。

 国王は王妃と朝食を摂っている所だった。金髪碧眼の王の豊かな髭は、綺麗に整えられている。

 その後ろに立ち、一分程の短い報告の言葉をかける。

 国王はそれだけですべて理解したように頷く。


 これが朝の恒例の姿。

 だが、今日の国王はいつもと違って言葉を続けてかけてきた。


「最近は、眠れているか?」

「あ、はい」


 いつもはこのような事は聞かれないので、少し面食らう。痛みで眠れない夜は随分続いていたが、流れるように嘘をつく。

 美しい栗色の髪を結い上げた王妃が、口元を拭きながら、くすりと笑う。


「今日はお休みにしてはいかが?」

「え?」

「たまには、城壁以外で、お会いなさいな」


 普段から、表情を隠す事を得意としているディルクの顔が、一気に真っ赤になる。


「あの、何故、あの」


 どうして、いったい何を、どこまで知ってるんですか!!と叫びたい衝動を必死で抑える。


「王妃よ、あまりからかってやるでない」

「ふふ、ごめんなさい」

「まあ、今日は休み。それがいい」

「あ、ありがとうございます」


 退出する頃にはなんとか、赤面していた顔をいつものように落ち着かせる事は出来たが。


「なんだろう、もしかして僕、陛下達に見張られてる?」


 国王には、影のように付き従ういわゆる御庭番が複数いる、という事は、ディルクも知ってはいた。だがその全容は、諜報活動の天才と言われる彼ですら、知る事が出来ないでいる。それを考えると、彼等はかなりの手練れだと思われた。


「ディルクさん?」


 はっと気づくと、廊下の先に太陽の化身の花のような少女が、いつもの輝く笑顔で自分を見つめていた。

 今日は騎士姿ではなく、魔導士のローブ姿でもなく、お姫様のようなレースとフリルの膝丈のスカート姿。


「ミシャ、どうしてこんなところに」

「ロレッタさんに呼ばれて、これを着せられました」

 

 スカートの裾を持って、くるっとまわってみる。


「似合います?」

「可愛いです、僕の、好きな感じです」


 素直な感想が口についたが、色々と意識してしまい、再び赤面してしまう。

 いつもと違う表情を見せる、緑目の青年に、ミシャは怪訝な表情をする。


「城壁に行きます?」

「い、いや、今日は別の場所はどうでしょう?僕、お休みなんです」


 誰かに見られてるかもと思うと、城壁は、躊躇してしまう。

 ミシャは顎に手を持っていく、師匠譲りの考える仕草をして言った。


「私の部屋は、いかがです?」

「あ、そういえば高位魔導士として、魔導士団区画にお部屋をもらったんでしたよね、ぜひ拝見したいです」


 いったん着替えに戻ろうかとも思ったが、ミシャを待たせるのは悪い気がして、文官の服装のままで魔導士団の区画まで。受付嬢のアルタセルタが、何か言いたげだったが、見ないふりをしてくれた。


 ミシャの部屋はそれほど広くはなく、本棚は完全埋まっていて、圧迫感がある。他の魔導士の部屋の例にもれず、ベッドも置かれていた。ところどころに、可愛らしい雑貨が飾ってあって、それなりに女の子部屋という感じがする。


「座っててください、お茶を淹れます」


 ディルクは手近な椅子の一つに腰掛けて、お茶を淹れる少女の後ろ姿を見る。そして今、二人きりである事を意識してしまい、また赤面。今日はどうにも調子が悪い。

 差し出されたカップを受け取って一口。


「美味しいですね、花の香りがします」

「ディルクさん」

「何でしょう」

「お茶を飲んだら、脱いでもらってもいいです?」


 二口めのお茶を噴き出しそうになったのを堪えた。堪えたせいでむせた。

 むせたせいで、傷が痛みを思い出す。慌てて机にカップを置いた。


「う、……つっ」


 ミシャは両膝をついて、目を閉じて必死に痛みに耐えるディルクを心配そうに見上げる。


「やっぱり。かなり痛むんです?」

「何ともないですよ……」


 知らないでいて欲しいと彼は思った。

 ミシャはそっと、両手でディルクの眼鏡を外し取る。前髪が払い除けられる感じになって、一瞬だけ左目の森の泉色の瞳が見えた。


「傷を、見せて欲しいです」

「だめですよ、見せられません」

「どうして?」

「それは……」

「ひどいからです?」

「……はい、僕、ミシャにはこの傷を見せたくないです」

「私、ディルクさんが思ってる程、子供じゃないです」


 黒茶の瞳がまっすぐ見上げて来る。ディルクはついに根負けした。


「じゃあ、ミシャが脱がせてください。僕にはまだ、ミシャがどの程度まで耐えられるのかわからないので。無理だと思った所で手を止めてください」


 ミシャは頷いて立ち上がると、そっとディルクの上着の留め金を外す。

 続けて、シャツのボタンを一つずつ。

 瘴気に焼かれた、赤黒くただれ、えぐれたたくさんの傷が見えて来る。猫科の魔獣に弄ばれたのだろうか、致命傷にならない程度の深さの傷が体中に付けられていた。顔や首が狙われなかったのは、彼が片目とはいえ魔獣の嫌がる魔除けの緑と同じ瞳だったせいだろう。もし、そうでなかったなら、彼はここにいない。

 ミシャはボタンを全部外し終えて、目を逸らさずまっすぐにその傷に向き合う。


 そして再び両膝をつき、ディルクを下から見上げ、ゆっくりと抱き着く。負担にならないように優しく、その傷跡に頬を寄せる。


「この傷ごと、好きだから」


 緑の瞳の騎士の胸に、熱い何かがこみあげ、動けなくなる。この醜い傷跡が、急に誇らしくなる。彼女を守ってついた傷だ。

 ミシャはそのまま目を閉じ、治癒の魔法の詠唱をはじめた。

 心を籠めると魔法は強さを増す。

 少女の治癒は、下位の魔法であったが、傷の痛みが癒されていく感じがした。根本的な治癒には時間が必要で、魔法での治癒は一時的なものではあるが。

 それ以上に、彼女に傷の様子を知ってもらった事が心を軽くした。


 彼女につく嘘が、これからひとつ減るのだ。


「ありがとう、ミシャ」


 その日はずっと部屋の中で、二人で色んな話をして過ごした。こんなに長時間、一緒に過ごしたのは、町を共に歩いたあの日以来だったかもしれない。


 母親のアルタセルタと一緒に帰宅するミシャを見送り、ディルクも帰途につく。

 自室の手前で、どこか記憶にある気配に気づき、周囲を見渡す。


 廊下の向こう、登りの階段のところにしばし視線を送る。

 気のせいかな?と思い直し、部屋に入って行った。


 その視線の先にあった場所で、ふたつの影が囁き合う。


「あいつ、勘を取り戻してきたなみたいだな、気配を悟られたみたいだぞ」

「陛下の処方薬は、下手な薬より効くみたいだね」


 二つの影はディルクの部屋の扉を好意的に見つめる。


「まあ、これからも城の中では守ってやるさ。陛下の望みだしな」

「子守の時間はもう、そう長くはなさそうだけど」


 影は、闇に溶けて消えた。

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