番外編

【それぞれの一日】 コーヘイ編

 春が終わろうとしているこの時期は、随分夜明けが早く、早々に空が白み始めていた。今日は休暇のはずなのだが、この部屋の主は、いつもの時間に目覚めてしまった。


 "爽やかな訓練バカ"の朝は早い。


「うーーーん」


 ベッドから半身を起こし、伸びをした。彼は最近、色々と面倒で、上半身は裸で寝ていたが、流石にこの時期でも早朝は、毛布が気持ちい肌触りとぬくもりだ。

 もう一度毛布をかぶって横になってみる。

 そのまま、二度寝にチャレンジしたが、どうにも落ち着かない。


 暫くは毛布をかぶっていたが、やがて諦めて、体を起こし、ベッドから降りると、丁寧にシーツを整える。毛布は畳んで端に置く。体に染みついた習慣だ。


 いつもの訓練用の動きやすい服装に着替えると、タオルだけ持って外に出た。


 まだ西側には星がチラチラと見えている時間、コーヘイ以外に鍛錬場に出ている人間は誰もいない。


「はぁ、気持ちいいなあ」


 集団生活の中、こういう一人きりの時間というのも、あるとやはり良い。

 ストレッチで体を軽くほぐし、軽めのランニング……と言いながら、城壁を十周という通常訓練量。慣れ過ぎて、息が上がることはない。


 スタート地点に戻ってきたところ、見慣れた茶色の髪、灰色の瞳の騎士がタオルをぐるぐるまわして待っていた。


「お疲れ」

「宿直でしたか?」

「大正解」

「何でここにいるんですか」


 笑いながらタオルを受け取り、疑問をストレートにぶつけてみる。


「たまたま通りかかったら、元気な奴が見えたから」

「そういうセリオンさんは、何だか疲れてますね」

「俺の!宿直の時に限って!なんかあんの!!いつも!!!」

「またですか」


 セリオンは夕べ、宝物庫を狙った盗賊集団の大捕り物をやっていた。

 その捕り物自体は別にいいのだ。

 だがその後の、報告書を書くのが嫌なのだ。


「わかりました、詳しい話を聞かせてください。書きますよ、報告書」


 パッと閃く夏の空のような笑顔が、とても頼もしい。


「そう言ってくれると信じてた、相棒」

「貸しですからね?さて、何をねだろうかな」

「すまんな、もう部署が違うのに」

「魔導士団の護衛は、それほど書類仕事はないですからね」


 魔導士団長の介護はあるけど、という言葉は言わずに我慢。


 後で詰め所に行くという約束をして、いったん汗を流すために部屋に戻る。ひとしきりシャワーを浴びて、タオルをかぶって出て来た所で、そういえば、今日は休みだったんだよなあ……というのを今更ながらに思い出す。


 魔導士の護衛騎士団の制服は、全身黒ずくめで、なおかつ護衛騎士団長であるコーヘイの装備は装飾が多く、魔導士のローブに近いデザインのため、薄暗い魔導士団の区画ではあまり違和感がないものの、普通の騎士団の詰め所の方に行くと、結構目立ってしまう。


「どうしようかな、結構恥ずかしいんだよな、この制服。部署ごとにバリエーションがあるけど、誰がデザインしてるんだろう。騎士団の編成が変わるたびに新デザインになってる気もする」


 コーヘイとしては、騎士団員として初めて着た、遊撃警備隊の制服が一番好きだった。学ランにちょっとした紐の装飾がついているだけのデザインは、少し懐かしかったし。

 ひとしきり悩んだが、今日は休みだから!という事で、茶色を基調としたラフな街着に着替えて詰め所の方に向かった。


「あ、すまん。今日は休みだったか」

「気にしないでください、予定があるわけではないので」


 セリオンに代わって、夕べの出来事についての報告書を書き上げていく。


「お詫びに今度、気立てのいい可愛い子を紹介しよう」

「そういうのはいいですよ」

「お前もそろそろ、恋人の一人二人」

「三つも上の誰かさんが片付いたら、考えます」

「俺を特定の一人に独り占めさせると、城中の女が泣くからな。このセリオン、女を誰一人として泣かせるつもりはないのだ」

「はいはい」


 適当にあしらうその姿に、周辺の部下たちが声をあげて笑う。


「コーヘイ卿にかかると、副団長はほんとに形無しですね」

「お前らも大概にしろ」


 報告書を仕上げ、セリオンに手渡す。


「あとはセリオンさんのサインだけ。それはやってくださいよ」

「ありがとう、恩に着る」


 詰め所を後にし、さてどうしようかと伸びをしていたら、前方から女の子が走って来た。騎士姿だが、ミニスカートにタイツといういでたち。


「ああ、こんなところにいたんですかコーヘイ師匠!うちの師匠が大変なんですっ」

「ミシャ、走ると転……」


 言い終える直前に、どべしっ、という豪快な音を立てて、少女は段差に躓いて顔から石畳につっこんだ。


「あーあー」

「いたた」


 手を取って助け起こしてみると、おでこを豪快にぶつけたらしく真っ赤になっていた。コーヘイは彼女のその額に手をあて、優しく撫でる。彼は魔法が使えない。


「痛いの痛いの飛んでいけ~」

「そんなので、治るわけ……あれ?」

「ほーら治った」

「あれ???なんで???」

「団長閣下がどうしたんですか」

「あっそうでした」


 ミシャに連れられて、魔導士団長の部屋の扉を開ける。

 床に、見慣れた銀髪の魔導士がうつ伏せで転がっていた。


「閣下、なぜドアマットに擬態してるんですか」

「好きでこうしてるわけではないのだが」

「師匠、腰をやってしまったみたいなんです。私の下位治癒魔法じゃ効かなくて」

「あー……」


 周辺に、分厚い本が何冊も散らばっていた。


「やっぱり、もう少し筋力をつけた方がいいですよ」


 肩を貸して助け起こし、ベッドまで。痛い、と言ってるが、ここは容赦なく。

 とりあえず、端に座らせた。


「なんか、すまない」

「カイルさんに来てもらいますか?」

「絶対ダメだ。学生時代の一言を、未だにからかい続ける男だぞ?腰を痛めたなぞ、一生言われるに違いない」

「あのー師匠?私、もう行っていいです?」


 約束があるのか、そわそわ、もじもじと少女が言う。

 コーヘイが、後は任せていいと目で合図をすると、少女は嬉しそうに出て行った。

 あれはきっと、デートの約束があるのだなと、残された二人は目線を交わして思わず笑ってしまう。


「さて、閣下はどうしましょうね」

「どうしたらいいと思う?」


 紫の瞳ですがるように見つめられる。

 ずるいなあ、とコーヘイは思う。この瞳には弱いのだ。


「良くなるまで付き合いますよ。国王も認めたあなたの守護騎士ですからね」


 護衛より介護の方が多いですが、とは言わない。

 セトルヴィードの左隣に、コーヘイも腰を下ろす。

 銀髪の魔導士の左手を、黒髪の騎士はその左手で取る。親指を使って、手の甲にある腰痛のツボを押してみる。


「何をやっているのだ」

「効くかどうかわかりませんが、腰痛改善のツボが確かこの辺です」

「ツボ?」

「異世界の、東洋の神秘の技法です」


 そして右手を、魔導士の腰へ。手のひらを腰にあててみる。魔法の使えない彼にできる、治療はこの方法しかない。


「なんだか、じんわりとあったかいのだが」

「気持ちいいですか?」

「温めると、楽になる気がする」

「じゃあ、もう少しこのまま、温めてみましょう。悪化するなら冷やします」


 その姿勢で、二人は無言でベッドの端に座っていた。

 不意に、二度のノックの音がして、返事をする前に扉が開いた。


「セトルヴィード、この魔方陣なんだが……」


 羊皮紙を片手に、治癒の副団長カイルが、その紺色の髪を適当に束ねたいつもの姿で部屋に入りかけて来た、が。


 一組の男と男が。

 左手を取り合って。

 片方が、相手の腰に手をあて。

 ベッドの端に座っているという、ちょっといい雰囲気を醸し出す光景が、その視野に飛び込んで来たわけで。


「……すまん、邪魔した」


 彼はそう言い残して扉を閉めた。

 二人は茫然と、それを見送ってしまった。


「ま、まて!」


 我に返って立ち上がろうとした、銀髪の魔導士が、再び苦悶の表情。


「もう少しじっとしててください、誤解は後で解いておきますから」

「おまえは本当に頼りになるな。だが、腰痛の事は伏せられるだろうか」

「任せてください、これは貸しにしておきます」

「うう」


 あちこちで、あらゆる人を相手に、貸しの貯蓄が貯まってく。


 こうして、コーヘイの休暇の一日は終わっていったのであった。

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