第30話

 呪術師の、ピアスを持ったその手の甲に、小型のナイフが突き立った。


「ぐあっ!」

 

 外されたピアスは、力なく地面に落ち、魔獣の魂ごと砕けて散った。


 ミシャの魔法が発動する。

 彼女が使える中で最高の高位魔法。

 すべてを焼き尽くす、炎の魔法。


 呪術師は、その魔方陣に取り込まれ、骨すら残さぬ勢いで一瞬で燃え上がった。悲鳴すら、その炎に焼かれたように、ただ魔法が起こす轟音だけがこの空間に満ちていった。




 炎が消えた。

 少女は、ゆっくり、力尽きていく。

 魂の中の器が空っぽ。

 消えゆく意識の中、森の泉の色を、見た気がした。



 倒れたミシャの体を、コーヘイがゆっくり抱き上げた。真っ白になった顔はいつも以上に美しく、大人になって見えた。かすかな呼吸が、彼女の無事を伝えてくる。


 セリオンが、ゆっくりと、ナイフを投げた人物に向き合う。フード姿の男が、王子が横たわる台の隣に佇んでいた。


「何でここにいるんだ、おまえ」

「さて、どうしてでしょう」


 困ったような顔で、くすくすと笑うその姿。

 誰もが見知った、その印象的な緑の瞳。

 セリオンに怒りが沸いた。目の前にいる男の両肩に掴みかかり、激しく揺らす。


「お前のせいで!ミシャがどんなに辛かったか……生きてるなら、何故、何故もっと早く出てこなかったんだ」

「……っ!」


 揺すられた男は、苦悶の表情で汗を散らす。


「お前……」


 セリオンは、ゆっくりその手をディルクの肩から離した。


「これでも、頑張って出て来たんですよ?本来の僕なら、あの時セリオンさんに見つかったりしませんからね」


 苦し気な表情を見せながらも、片目を閉じて笑って見せる。

 あの時、城壁に見た姿は、本物だったのか。

 彼は、連れ去られるキース王子を追尾した。だから、こんなに早く居所が判明したのだ。


「叱られる覚悟はできてますよ、いろんな人に、ね」


 コーヘイは少女を抱いたまま、ディルクに向かって声をかける。

 

「ディルクさん、あなたは騎士としても男としても、最高ですよ」


 晴れ渡る夏の笑顔が閃く。

 そんな彼の腕の中には、夏の花の化身の少女。

 ディルクは、愛おし気にその姿を見つめた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 魔導士団長の部屋、机の上に組んだ手を置く銀髪の魔導士。

 その隣に腕を組んで仁王立ちする、紺色の髪の魔導士。


「お帰り、というべきだろうか?」

「叱られに来ました」


 セトルヴィードは溜息をついた。


「一番の狸は、陛下だったという訳だな」

「僕らはいつも、あの方の掌の上です」


 前団長ガイナフォリックスの手記も、その時が来るまでセトルヴィードに隠し通した、この国の支配者にして守護者。この国を平和な状態で維持するその手腕。


「陛下はまだ、おまえを手放すつもりはなかったという事か」


 国王は、ディルクに危険な任務を与えているのは知っていた。そしてその才能から、やがて命を狙われるであろうという事も。

 だから、ディルクを守るための手はずも用意していた。もしその時が来たら、彼を死なせてでも生かすと。


 瀕死のディルクは、王の影により救い出されていた。


 彼が大切な人と別れを告げるために、あの場所にいた事から、ディルクを密かに見守っていた目達が、気を利かせてしまって、あの時はいなかった。

 そのため、救出がギリギリになってしまったのだ。そこで、彼を死んだ事にして、敵を油断させる事も計画に組み込まれた。



 ディルクは知っていた。王が手駒としてだけのために、自分を助けた訳ではない事を。王は、重症を負った彼の枕もとに来てこう言った。


「おまえは家族がおらず、独りだと思っているようだが、ここに、お前の才能に惚れ込んで、成長を見守っていた父がいる事を忘れないで欲しい」


 と。


 王はいつも、ディルクを信頼して、任せてくれていた。だからどんな仕事もやってこれたのだ。彼も国王を信頼している。そう、尊敬する父なのだ。自分の得意分野を育て、見守り、支えてくれた人。これからも、その恩に報いたいと思っている。


「はぁ……」


 カイルが深い溜息をついた。


「まぁいい、おまえちょっと俺の部屋に来い」

「えっ」

「行け」


 紫の目は伏せられた。その口元に少しだけ、微笑を湛えて。



 カイルの部屋に案内されたディルクは、ベッドに座るように言われ、素直に従う。


「脱げ」

「いきなり何ですか」

「俺が脱げって言ったら脱げ!どいつもこいつも」


 カイルはもう面倒くさくなって、ディルクをベッドに押し倒し、その騎士の服を剥ぎ取って行く。


「ちょっ、ちょっと!僕、そんな趣味ないです」

「俺もないわ!!!」


 そして、その服の下の様子を見て、再びの溜息をつく。

 カイルは、自分が死んだらそれは、溜息のつき過ぎだな、と思った。


「よく、この状態でうろうろしてるな」

「僕、意外と頑丈なんですよ?」


 アリステア王子は、少なくとも一年は魔獣に受けた傷が元で、ベッドから起き上がる事すらできなかった。

 ディルクの傷は、あれよりひどい。体中につけられた抉れた傷は、目を覆いたくなる惨状。あれから時間が経つのに、未だ辛うじて出血が止まってる、という段階だ。痛みは相当だと思われた。


 これは完治まで長くかかる。傷もかなり残りそうだ。

 ミシャを守り切った名誉の負傷、その証。

 むしろ残せばいいさ、とカイルは思った。


「一番、沁みる薬をつけてやる」

「えっ、ちょっとやめてくださいよ、僕、痛いのはダメなんです」

「うるさい、このクソ野郎!」


 カイルは心を込めて、自分が使える一番高位の治癒魔法を、ディルクにかけた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 異世界人登録局に、赤毛のエリセの姿があった。


 操られていた期間の記憶はなく、その罪は不問とされた。宰相局にいた人間がやらかした事でもある、罰する事なぞ出来るはずもなかった。


「ルナローザ、ディナローザ、この書類を頼む」

「はい、局長」

「はい、局長」


 登録局には新たな新人として、二十歳の双子の姉妹が入っていた。

 ストレートの長い髪がルナローザ、少しくせ毛の短い髪がディナローザ。栗色の髪に藍色の瞳。明るく優し気な雰囲気は、相談役としてぴったりだった。


 マンセルは新しい女の子の加入に、常時ご機嫌だ。

 遅刻もせず、せっせと新人教育に邁進している。


 今日も異世界から訪れる旅人を、迎え入れていく。

 時々暇で、度々忙しい。そんな不人気部署だが、この国では大切だ。これからも。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ミシャは城壁の上にいた。


 春に向かうこの季節、この時期の空には薄雲に少しだけ煙る。

 風は強くはないが、とめどなく、優しく吹き付ける。


 ミシャの髪が風に踊る。光が当たったときだけ茶色に見える、不思議な髪。

 閉じられていた瞼も、今しがた開かれた。

 その瞳も、太陽の光を受けて茶色に輝く。


 彼女は久々に可愛い服を着ていた。キース王子救出の褒賞として、である。なぜこんな服を国王から与えられたのかわからないが、みんなが似合うと褒めてくれた。

 ロレッタが着付けてくれて、髪も可愛くリボンで結われた。


 紫の瞳の師匠も、黒い瞳の師匠も、とても可愛いと言ってくれた。初めてセトルヴィードに褒められたのが、くすぐったくて誇らしかった。

 

 ミシャは、勢いよく城壁の手すりの縁に登って立った。


 あの日のように。


 空を見る、風を感じる、世界が体に満ちていく。


 空のきらめき。

 広がる薄い雲。

 太陽にかぶる薄い雲のベール。

 光は柔らかく降り注ぐ。

 暖かなぬくもりが空から降ってくる。

 冬はいよいよ、終わるのだ。

 この美しい世界を、彼女はとても愛している。



 突然、風が吹く。ミシャはスカートを大きく煽られ、思わずよろめいた。


 だが風が彼女を突き落とす前に、ミシャの体は、あっという間に城壁の上に引き戻された。


「だから、危ない、ですって」


 息を切らしながら、地面に座り込んで少女を腕に抱える騎士。

 見覚えのある、緑の瞳。亜麻色の前髪に透ける、ミシャの大好きな緑。


「え」

「帰って来るって約束しましたから」


 茫然とするミシャ。微笑むディルク。

 ぎゅっと、そのまま抱きしめる。伝わってくる体温、記憶にあるぬくもり。しばらく、お互いが、その体温を確認し合った。


「おかえりなさい」


 何がなんだかわからないけど、夢じゃなく、彼がいるのが嬉しかった。間違いない本物の温かさ。ミシャが欲しかった、恋しい温度。


「僕、死んだふりも得意だったみたいです。嘘つきですみません」

「今ここにいるのが、嘘じゃないなら、それでいいっ」


 しがみつくような少女を、十分堪能してからディルクはそっと体を離すと、立ち上がり、ミシャを続けて立たせる。


 そしてゆっくりと跪き、彼女の右手を取り、その指先に軽くキスをした。

 お姫様のようなドレスのミシャ、正式な騎士団員の制服のディルク。

 それはまさに、王女に忠誠を誓う騎士の姿。


 そのまま、しばし留まる。


 一番言いたい言葉がその喉元まで出かかったが、彼はぐっと飲みこんで立ち上がった。だがその手は、ミシャの右手を持ったままだ。


「ミシャが大人になるまで、僕、待ちます」

「?」

「これからも、君はいろんな人と出会っていくと思います。悲しい事も楽しい事も、たくさんの人と共有していく。その中で、ミシャの心を掴んでしまう人もいるかもしれない」

「え?」

「未来は、ミシャが見つけて選んで行く。僕はその邪魔をしたくないんです、とてもとても、愛してますから」


 緑の瞳が、ミシャの顔を写し込む。


「ミシャが大人……十八歳になったら、僕、ちゃんと言いたい事があります。お返事を聞くのは、きっと今まで一番怖くなると思います」

「……」

「これからの三年は、僕にとって賭けですね」


 風が彼の前髪を一瞬だけ掃って、森の泉色の瞳が見えた。


「それに耐えるための勇気の糧を、いただいていいですか」

「はい」


 まっすぐに見つめる黒茶の瞳に、緑の瞳の騎士が写り込む。お互いの姿を写し合った瞳は、ゆっくりと閉じられ、それに反比例して唇が重ねられていった。


 身長差があるから、ディルクが守るように覆いかぶさる感じで、ミシャは背伸びして空に向かう。



 まるで夏に咲く、太陽の化身の花みたいに。




(第三部 完)

 

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