第五章 失われた想いの残照

第21話

 あの日以来、ミシャはすっかり大人しい子になっていた。


 魔導士団長の部屋の扉をちゃんとノックし、返事を待ってから開けるようになっていたし。元気に廊下を走り回るあの子は、もういなくなっていた。緑の瞳の騎士が、連れ去ってしまったようだ。


「師匠、次の課題が欲しいです」

「もう終わったのか」

「はい」


 黒茶の目は、ずっと伏せがちだ。



 ”騎士は、魔導士を守って死んでいく”



 ミシャはその初めての体験を、初恋の芽生えと、終わりとを、全部同時に味わってしまっていた。

 この切ない恋については、アリステアには席を外してもらって、ロレッタ一人にだけ打ち明けた。ロレッタは慰めてくれた。そして彼女の初恋も、同じ終わり方だったことを教えてくれた。

 傷は傷のままではない。今の自分のように、心を癒して進める日が来るから、諦めないで欲しいと紙に書いてくれた。

 

 だからミシャは、心が癒えるまで、時間が過ぎるのを静かに待つことで、自分の心を守っていた。


 周囲も察して、彼女を急かさず、見守っていた。

 彼女は本当に、たくさんの人に見守られ、支えられていた。

 今はその優しさに身をゆだね、とりあえず、生きている状態。

 どれくらいの期間が必要なのか、誰にも分らないのが辛い所だった。


 無力さが辛い。


 ミシャの魔法は、あまり役立たなかった。

 高位魔法を使うべきだったかもしれないと、もしも、という想像を繰り返してしまう。とにかく、自分の魔力量が少ないのがネックだった。でも増やす方法には限界があるし。

 今よりより精度を上げて、更に少ない魔力で発動するようにしかない。今の針の太さを絹糸へ、そして一筋の細い髪の毛に。やがて蜘蛛の糸に。

 更に、更に細く、正確に。


――ああ。


 苦しい、胸が本当に、締め付けられる。

 抱きしめられた、あの力強さが恋しい。

 あの瞳の中に自分を映したい。

 もっと言葉が欲しかった。


――好きになってしまった事すら、伝えられなかった。


 叶わない事ばかり考えてしまって、集中力は続かない。


「ミシャ」


 魔方陣を持って、考えに沈んでいる弟子に、師匠は優しく声をかける。


「はい?」

「こっちにおいで」


 机を挟んで対面していたが、どうも目の前に来いという事らしい。

 彼女はトコトコと歩き、セトルヴィードの前に立った。

 銀髪の魔導士は立ち上がる。


「彼は、ミシャに何を残した?」

「……言い切れないです」

「それを大切にしてやって欲しい、それが遺された者の仕事だ」


 そっと抱きしめる。力を入れずに包み込むように。体温だけが伝わって来る。ディルクの体温と、セトルヴィードの体温は違っていた。温度、そのものじゃなく、やはり何かが違っていた。

 もう、あのぬくもりを感じる事はできない。誰も彼の代わりにはならないのだ。だから、新しく恋しいと思えるぬくもりと出会うまではきっと、この苦しさは終わらないのだろう。


 こんなに辛いなら、恋なんて知らない方がよかった。何も知らないままでいたかった。でも、好きになった気持ちに後悔はない。ミシャは彼が大好きだった。

 恋か?愛か?だと、まだ恋のレベルだった。しかもまだ芽生えたての。それでもこんなに辛いのだ。もし、愛を知ってしまったら、そしてそれを失ったら、自分はどうなるというのだろう。


 涙が、とめどなくあふれて、魔導士団長のローブは、年若い魔導士の涙で重く濡れていった。


 彼は、あまり泣くと目が溶けると言った。もういっそのこと、溶けてなくなってしまってもいいとさえ、思ってしまった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 季節はついに、冬の本番を迎えている。

 寒風の吹きすさぶ今夜は、雪が降り出していた。ひりつくような冷たい風が、外を巡回する警備隊員を苦しめている。


 明日にはいくらか、積雪もありそうだ。

 今、名コンビとして有名な二人の騎士は、遅めの夕食を摂っているところ。


「正直、ディルクが、あそこまで戦えるやつだとは思ってなかった」


 食堂で、寒い日でありながらエールをあおりながらセリオンは言う。

 コーヘイは、シチューをスプーンでぐるぐる混ぜている。


「あの魔獣、二十人がかりで一時間かかったらしいですよ」

「猫科型魔獣はオオカミ型より大きくて速度が速い。よくミシャを無傷で逃がせたと思う」

「騎士らしい最後でしたが、男としてはダメだと思ってしまいました」

「おまえにしては、辛辣だな」


 ミシャはあの事件から、急に大人びていた。

 詳しい話は聞いていないが、ディルクはミシャの心を動かす存在になっていたのだろう。それなら、最後まで責任を持つべきだ。あんな死に方をして、良い訳がない。


「呪術師が、だいぶ国内に入り込んでいるようですね」

「ああ、城への侵入も、すでに未遂が何件か」

「王族の暗殺を狙っている様子でしょうか」

「まあ、この国が現状を維持しているのは、現国王の采配と手腕だからな」


 平和なこの国だが、政権の転覆を願う層もいる。地方貴族がその復権を願い、陰謀を巡らす事もあるのだ。


「貴重な諜報部員を失って、今後どうなるかだな。かなり痛いと思うぞ」


「副団長!!大変です!!中庭に魔獣が!!」


 食堂に、セリオンの部下が転げるように駆け込んで来た。

 コーヘイとセリオンはすぐ席を立ち、中庭に向かって走って行った。





 中庭には黒い陽炎のような、巨大な猫科の獣の姿があり、取り囲む警備隊との戦闘が始まっていた。


「うぉ、また猫科型か」

「三匹もいますね、操っている呪術師はどこでしょう」

「くそ、見当たらないな」


 呪術師は、姿を隠す呪法も使う。呪術師に操られる魔獣は命令に従っているので、野生と比べて動きは読みやすいが、強さも段違いになる。場合によっては、呪術師を先に仕留めた方が良い場合も。

 三匹の強固な魔獣を相手にするなら、呪術師は先になんとかしておきたかった。


 セリオンが、自分の部隊の指揮を開始した。

 コーヘイは魔導士団の護衛騎士なので、魔獣対応の魔導士達の方の護衛指揮に回る。最近は、二人のコンビネーションを生かして剣を振るう機会はなくなっている。前線で戦う機会も久しくなく、彼等は指揮する立場になっていた。


 すでに数人の高位魔導士が出て、魔方陣を敷いて対応しているのが見える。

 現状、足止めに成功していて、あともう少し人数がそろえば、討伐体勢に入っても良さそうに思えた。戦況を見極めて、指示の準備をする。


 雪は降り続き、うっすらと、中庭の芝生が白く埋まりはじめていた。

 その雪に、ポツポツと、赤い水玉が。


「なんだろ?」


 コーヘイが覗き込み、それが血液だと気づいた瞬間、死んだ呪術師が大きな音を立てて落ちて来た。


「わっ、びっくりした」


 慌てて、飛び下がる。

 誰かが、上階のバルコニーにいた呪術師に気付き、倒したらしい。

 コーヘイが庭に出て、仰ぎ見て絶句する。


 バルコニーの手すりにバランス良く立つ姿。

 その手には剣が握られている。血が滴り落ち、それが呪術師を殺したのは間違いなかった。


 だがその人物は、魔導士のローブをまとっていた。

 高位魔導士の。


「ミシャ……!」


 彼女は古代魔法で知覚を上昇させ、姿を隠した呪術師を見つけだし、倒したのだ。

 それだけなら、わかる。わかるが。


 ミシャの瞳はとてつもなく冷ややかで、コーヘイですら寒気がした。


 憎しみにたぎる、憎悪の目。


 呪術師と、魔獣を、彼女はこの世界から消し去りたいほどに憎んでいるかのようだった。


 彼女は剣を地面に投げ落とす。その剣は下に倒れていた、死んだ呪術師を貫いた。


 そして右手を前に差し出し、暴れ狂う魔獣の一匹に向けて、巨大な光の槍を放った。高位の攻撃魔法だった。全く詠唱なしで放ったのだ。

 それを受けた魔獣は、致命傷を負ったらしく、灰になって消滅していった。


 ミシャが使える、高位魔法は一度きり。それですべての魔力を消費して、後は倒れるしかない。

 だが彼女はバルコニーの手すりに、何事もなかったように立ち続ける。


「ミシャ!もういい、もうやめろ!」


 普段、彼女に対しても敬語だったコーヘイだったが、この日は命令形で叫んだ。

 だが、彼女はその声が聞こえていない様子で、ただまっすぐ、魔獣の姿を見据え続ける。


 やがて彼女は、両手を前に差し出した。

 目を閉じ、今度は詠唱を開始する。

 

 再び見開いたその時に、二匹の魔獣を巻き込むように巨大な電撃が走った。

 雷にも似た閃光が、魔獣の体にまとわりついていく。

 そのダメージと麻痺により、完全に動きを止める事に成功し、多くの騎士が一気に群がってトドメを刺した。こちらも高位魔法だ。


 光が消えると同時に、ミシャは力尽きて、バルコニーからふわりと転落する。

 コーヘイが抱き止めて、怪我を負わせる事はなかったが。


「ミシャ…‥」


 コーヘイは、この少女の変わりすぎた姿を見て、不安がとにかく胸に満ちた。

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