第22話

 ミシャは、キース王子と会うのを嫌がるようになっていた。


 周囲がいくらお膳立てしても、全く。


 可愛い服も、全く袖を通そうとしない。むしろ、自分が女性らしくなっていくのを嫌がっている気配すら出て来ていた。

 髪を短く切ろうとしたのは、アルタセルタが止めたが。


「キース、残念だったな」

「いえ」


 アリステアの私室に、キース王子は来ていた。兄の部屋に直接来るのは、彼は初めてだった。アリステア王子はほとんどロレッタの部屋にいるから、というのも理由の一つだったが。


 二人の王子は、部屋の中央に置かれた向かい合うソファーの、それぞれの真ん中に座っていた。


「兄上には、いろいろ骨を折っていただいて」

「大した事はしていないがな」


 今までそれほど、仲が良いというほどは交流をしていなかった。年齢差が大きいのもあったし、一時期はずっと国境の城に兄王子は籠っていた。

 同じ金髪と、同じ青い目の兄弟。母親は異なるが、明らかに血のつながりを感じさせる風貌。


「どうやったら、兄上みたいになれますか?」

「俺のどういうところを真似たいのだ」

「わかりません、わかりませんが……」


 兄王子は溜息をついた。


「ロレッタは、俺の事を最初、全く愛してなかったぞ」

「えっ?」

「気に入ってるふりを、ずっとしていた」

「それなのに兄上は?」

「傍にいて、こちらを見てくれるのを待ち続けた」


 静かに床に視線を落とす兄王子を、弟王子は驚いた顔で見つめた。

 アリステアは立ち上がると、椅子に座っているキースの前に膝をつき、女顔の王子の手に重ねるようにその手を置いた。


「こちらを見てくれなくても、傍にいるのだ。彼女の目が現実に戻った時に、その視線の先にいられるように。彼女が暗闇にいるなら、おまえは光になれ。彼女が倒れたら杖になるのだ。強さで守る事だけが男ではないぞ」

「兄上」


 やはり、兄にはまったく敵わないと思った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 異世界人登録局の、今日の担当は局長エリセとローウィンの二人だった。

 ローウィンは資料の整理を終えて、日誌を開いたところで、エリセは今日の報告書を書き上げていた。


 久々のこの組み合わせでの担当日だったので、これを機会にとローウィンは口を開いた。


「局長はなぜ、あの男を?」

「え?」


 ローウィンが、新人としてクラウスを入れた理由を聞いたのだが、エリセは素っ頓狂な返事をした。


「なぜ、と言われても」

「シェリの代わりなのですから、女性が良かったのではないかと」

「いや…‥あれ?」


 エリセが混乱して見え、ローウィンは不信を抱いた。


「宰相局が、何か指示してきたんですか?」

「いや、この部署に異動したがっている奇特な奴がいるという話を聞いて、人員補充のために、そいつを選んだ、という、感じだった気がする」


 赤毛に手をやって、エリセはその事を思い出そうとしているようだが、なんとも記憶が曖昧だ。そんな自分が彼女自身も信じられない。


「こんな事を言うのもあれなんですが、この部署に相応しくはないように思っていますが、いかがでしょう」

「だが、今更だ。きちんと仕事はこなしている」

「それはそうですが」

「すまない、後で確認してみる」


 ローウィンは、眼鏡を外して拭きなおすと、綺麗になったレンズ越しにエリセを見た。ミシャを、もうここには連れてこないようにしようと、彼は思った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「まあ、異常はなさそうだな」


 治癒の副団長は、ベッドに横たわる少女に声をかける。今回も、中庭での魔獣戦で魔力を使いすぎ、寝込んでしまっていた。


「痛い場所があるのか?」

「いえ」


 甘えん坊だった仕草も鳴りをひそめ、一気に成長してしまった気がして、それがカイルには寂しく思えた。ゆっくりと、しっかりと育って欲しかった。


「今日は寂しいって言わないのか」

「寂しくないです」


 そう言われたが、カイルは立ち去らず、彼女の枕元そばに座って、髪を撫でた。


「ねえ副団長」

「なんだ」

「大人になるって、どういうこと?」

「難しい事を聞くな、おまえはいきなり」

「大人になりたくない、って言ったら怒る?」

「怒りはしないが」

「ずっと眠っていたいって言ったら怒る?」

「眠いなら寝たらいいさ。だが、眠くないのに寝るのはどうかと思う」


 カイルが立ち上がり、立ち去ろうとする仕草を見せると、ミシャはぎゅっと彼の

ローブの袖を引いた。


「やっぱり寂しい」


 紺色の髪の魔導士は立ち去るのを諦め、もう一度ベッドに座り直す。


「おまえはいったい、何がしたいんだ」

「わからなくなって苦しい」

「体は、ほっといても育つからな」

「大人になっちゃう?」

「なっちゃう」

「心も?」

「そっちは本人次第だ」

「心が大人になったら、辛くなくなる?」


 矢継ぎ早の質問責めが、小さな子供のようで、彼女の幼さが完全に失われていない事に安堵した。


「残念なことに、大人も辛いものは辛いんだな」


 カイルは大きな溜息をついて、一度立ち上がると、ミシャの顔を覗き込み、その両腕を少女の顔を挟むように左右に立てた。

 ミシャの顔に、カイルの影が被る。


「今、俺は、お前の事で、辛いと思っているからな」

「……なんで?」

「それがわかるようになった時が、大人になった瞬間だな」


 抽象的で伝わりにくい事を言ったせいか、ミシャは全く納得していなかった。

 この顔の近さにも全く動じていない。


「お前をそんな風にしたディルクに、嫉妬して辛いんだ、俺は」


 時間が止まった気がする。

 ミシャはその瞳を麻痺させたかのようだ。


 カイルは体を起こして立ち上がると、また溜息をついた。


「やれやれだ、本当に」


 年の差もあるし、親友の弟子だ。だが別に、気に入るのはいいだろう?という気持ちでカイルはいる。彼女が大人になったときに傍にいたいとか、隣に立っていたいとか、そういう気持ちは全くない。


「お前が好きになった男は一人かもしれんが」


 カイルは、ここに居づらくなって、扉に向かって歩き出す。


「お前を好きな奴は、何人もいるって事さ」


 そう言い残して部屋から出て行った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 魔導士団長の部屋に、黒髪の騎士が来て、先日の中庭での魔獣との戦い。その時のミシャの様子。コーヘイが見たすべてを、彼女の師匠であるセトルヴィードに報告していた。


「進化が著しいな」

「とにかく、相当に傷が深いですね、あれは」

「怒りで、より集中力が増しているのかもしれない」


 その怒りを湛えた状態で、自分の魔力の残量と、それが使う状況を見て、適格な魔法を選んでる辺りが、末恐ろしい。


「ミシャに常時、帯剣させよう」

「え」

「魔法だけに頼らせてはダメな気がする」

「でも帯剣させるって」

「魔法は私。剣はお前。どちらか一方では、もはや支えにならない」

「でも魔導士のローブ姿で、剣は使いにくいと思いますよ」

「剣は出来るだけ細身で軽いものを、服装は騎士団のでいい」

「所属は魔導士団で?」

「ああ」

「そんな半端な存在が、許されますか」

「許させる」


 場合によっては、新しい立場を新設してもいいと思っている。

 ミシャは、剣士としても魔導士としても働けるようになってしまった。もうどこの部署、というくくりすら、難しいと言える。


 魔導士だから、騎士だからという時代は終わるのかもしれない。

 彼女は、その初代になる可能性があった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 深夜、城の屋根の上に二つの影が立っていた。


 一つの影の主は黒髪で、後ろ側は刈り上げられていたが前髪は長く、その隙間から濃い青の瞳がのぞき見える。右耳には銀色の細い板をぶらさげたようなピアスをしている。もう一つの影は、金茶の長髪。猫の尻尾のように後ろでまとめられ、たなびいている。左目の下にホクロが一つ。


 国王と王妃しか知らない存在が、この国にはあった。

 ”王の影”と呼ばれる彼らの存在や行動はすべて秘密とされ、王の密命だけに従い、動いている。主に国王夫妻を護衛するという任務を担う。城内に精通していたディルクでさえ、そういう存在がある、という事を噂で聞いた事がある程度だったという。


 そんな彼等だったが、最近は暗殺者や呪術師らの侵入が多いため、城から、特に王の傍から離れる事は滅多になくなっている。

 高い屋根から庭を見下ろしながら、長髪の彼が灰色の瞳を少し細め、その代わりに口を開いた。


「ねえ、ハーシー。やっぱ秘密にしないとダメなのかなあ」

「陛下の指示だ、従えジル」


 その言葉に、拗ねたような表情を、長髪の影は浮かべた。

 そんな相棒を見る黒髪の影は、薄い微笑を閃かせる。


「そんな事より、今日も仕事がありそうだぞ」


 二人の目線の先に、暗がりに乗じて入り込む怪しげな二人の人物の姿が見て取れた。城壁の小さな段差と、それに寄りそうような植木をうまく使い、城内にするすると躊躇いなく侵入していた。


「うわ、あんなところに通れる場所があったのか」

「随分、城の構造に詳しいじゃないか」


 黒髪の男が先に屋根から飛び降り、三階のバルコニーの手すりに降り立つと、続けて長髪の男も飛び降り、猫のように音を立てずに同じ場所へ。

 そのまま次々と下の階を利用し、瞬く間に地上まで到達していた。


 突然の上空からの影の来訪に、侵入者は思わず足を止め、剣を抜いた。


「遅いな」


 侵入者の一人は、その声を自分の真後ろで聞き、直後にはすべての音が聞けない身体になっていた。

 もう一人の侵入者は、二本の短剣で十字に斬り裂かれ、すでに地に伏せている。


 音もなく、一瞬で片付いていた。


 警備隊員が巡回ルートでこの場所に来た時、賊の2つの死体が転がっているだけで、その死体を作った者達の姿はどこにもなかったという。

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