第15話

 ミシャは、カイルの診察を嫌がった。

 絶対に嫌だといって暴れる始末。

 家から絶対に出ないと言い出す有様だったが。


「お願いですわ、もう、心配をかけないで欲しいのですわ」


 ひとしきり叱っても全くダメだったが、アルタセルタがもうどうしようもなく、打ちひしがれて言った時、ミシャはしぶしぶ、魔導士団の区画に、患者として足を踏み入れる事を了承した。



 部屋にはカイルと二人きり。


「何で痩せてるんだおまえ」


 ミシャはプイっと顔を背ける。

 無理をこれ以上させないため。魔法と距離を開かせるために、団から引き離したのに、逆に悪化して見える。アルタセルタの話では、無理な鍛錬もせず、剣術もサボり気味で、熱も出してなければ食欲もあるという。


「診察するから脱げ」

「嫌ですっ」

「おまえ、いつもポイポイ脱ぐじゃないか」

「恥ずかしいから嫌ですっ」


 そうは言うが、恥じらってる気配は欠片もない。とにかく脱いでたまるか、という感じだ。

 こうなったらもう、無理やり脱がすしかない。診察用ベッドに押し倒し、服を脱がせにかかる。


「やだやだやだ!!」

「暴れるなというのに!」


 傍目からは犯罪現場であるが、ミシャはあっさりと力負けした。

 とにかくカイルは、ミシャの服を強引に剥ぎ取る事に成功した。


 だが。


 そこには信じられない光景が広がっていた。


「なんだこれは……」


 それを見たカイルの体が震える。


「おまえ、なんだこれは!!」


 カイルが、今まで出した事のないような強い語気で、激怒した。


 ミシャの体には、腹部から胸にかけて、古代の魔法陣が刻まれていたのだ。

 少女は目に涙をためて、口をつぐむ。


「何をやってるんだ、何という事をやってしまったのだ」


 カイルは激怒のあまり、ミシャを責め続けた。

 少女はだまって耐え続ける。こんなふうに、激怒する副団長は初めてだったし、おそらくカイルも、人生でこれほどまで、怒りに我を忘れた事はない。


「本当に、なんていうことを。この事をセトルヴィードになんて言えば」

「師匠には言わないで」

「言わないわけにはいかないだろう!甘えるのもいい加減にしろ!」


 あまりにも大声だったから、ミシャびくっと体を震わせ、黙ってしまった。そんな彼女を見て、カイルは肩を落とす。

 毛布をかけて、その隣に座った。もはや溜息しか出ない。

 ミシャは、ひっくひっくとしゃっくりをしながら、泣き始めた。


「泣いてもダメだからな」


 カイルは頭を抱える。古代魔法は解呪の方法がない。刻み込まれた魔方陣を一生抱えて生きる事になるのだ。魔導士団長と王都防衛の魔法陣との分離は成功したようだが、五十年の歳月をかけて作り上げられたという。

 あれと同じ事が出来るとも思えない。

 今はもう、分解の魔法の使い手もいない。その作者もすでにない。作成方法の記述も残ってはいない。


「何故、こんな事をしたんだ」

「知りたかったんです、古代魔法の事が」


 ミシャは仮説から推論を導き、自分で出来る限りの検証を繰り返した。しかし最終的に、実験が必要になったのだ。その実験結果をもって、思索を更に深める所まで進んでしまい、他の手立てが見つからなくなっていた。

 誰もやっていない事をするのに、自分を実験台にするしかなかった。


 カイルは後悔していた。この娘には監視が必要だったのだ。とんでもない事をやらかさないように。もし魔導士団区画の立ち入りを禁じなければ、副団長の誰かしらに相談に来たかもしれない。だが自分が、その道を封じてしまった。結果がこれだ。


 カイルは責任を強く感じていた。


 この紺色の髪の魔導士にとっても、彼女は弟子のようなものだ。毎日のように勉強を教え、魔法を授けて来た大切な生徒だ。認めたくないが、それ以上の感情も無くはない。

 元気に走り回り、泣いたり、笑ったり。努力家で、勤勉で、時々我儘で、子供っぽい甘えん坊。これからもその枝を伸ばし、何にでもなれる未来を背負った若木。


 だった。


 彼女はもはや、古代魔法に縛られ、未来は大きく制限された。

 しかも魔法の力に圧し負けて、どんどんその体を弱らせている。

 このままでは、大人にすら、なれないかもしれないのだ。


 頭を抱えるしかない。

 しかもこれを、病み上がりの親友に、伝えないわけにはいかないのだ。


 苦悩する副団長を見て、ミシャは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。だから内緒にしたかった。でも後悔はしていない。彼女は死ぬつもりはない、必ず正解にたどり着く、手ごたえと自信があっての上だった。



 カイルはいったん、自室に彼女を残し、一人で魔導士団長の元に行って、ベッドで半身を起こす親友に、事の次第を告げた。


「……とまあ、こんな事になってる」


 傍らに控えていたコーヘイは顔色を変えたが、セトルヴィードはいつもの考える仕草をしただけだ。


「ミシャを、ここへ」




 カイルとコーヘイが、迎えに戻ったのだが、そこにミシャの姿はなかった。

 逃げたのだ。


「あのガキは~!逃げてどうしようというんだ」

「自分が探してきます。見つけ次第、団長閣下のところへ」


 黒髪の騎士は、淡々と事にあたった。



 ミシャは、自分を匿ってくれそうな人を探した。古代魔法の研究が終わるまで、どこかに身を隠したかった。古代魔法の効力が想像以上に重くて、バレる事になったのは想定外で、彼女はすべてをこっそり、行うつもりだったのだ。

 

 考えた末、彼女はキース王子の部屋に逃げ込んだ。王族を盾にしようとする、彼女らしからぬ卑怯な作戦。

 しかも開いていた窓から侵入するという、荒っぽい方法。窓から突然女の子が飛び込んできて、王子は思わず読んでいた本を取り落とした。


「どうしたんだいミシャ」

「叱られたくないので匿ってください」

「叱られるような事をしたのか」

「してしまいましたっ」


 カイルの激怒を見て、あんなふうに師匠に怒られたくなかった。怒られるのはわかっているけど、なんというか、セトルヴィードからはあのような叱責を受けたくなかった。なので、逃げ出してしまった。


「会いに来てくれたのは、嬉しいが、そのような理由というのがちょっと」


 王子は溜息をついた。


「やっぱ、だめですか」

「だめだね」


 ノックの音がした。


「ほら、もうお迎えが来たよ」


 王子が扉を開けると、コーヘイの姿があった。後ろに、ディルクの姿も見える。

 ミシャはディルクが城内に敷いた捜査網に、あっさり引っかかっていた。


 王子が道を開けると、コーヘイは立ち尽くすミシャの前まで、つかつかと歩みを進め、辿りつくやいなや、パシっと大きな音が出る程度に強く、その頬を打った。ぶたれた頬に、みるみる赤みが差す。


 ミシャは、頬を押さえてうなだれた。


 誰も、もはや何も言わない。

 ディルクもその緑の瞳を固く閉じて、ミシャの願いを拒否する構えだ。


 コーヘイは終始無言だったが、彼が踵を返したその後を、少女は素直に従ってついて行った。


 王子はその姿を見送った。今の自分はまだまだ子供で、彼女の力になれない。大人に任せ、頼るしかない自分の幼さが悔しいが、今現在、彼女を支える大人たちの立ち振る舞い、その考えをしっかり学び取って行きたいと思っている。

 いつか自分に、それができるように。




 初めて少女は、魔導士団長の部屋の扉を重く感じた。

 扉が開かれ、背後からの視線に圧され、足を踏み入れる。


 ベッドで半身を起こした銀髪の魔導士の元に歩み寄った。

 魔導士はそっと、赤みを帯びた頬に手をやった。


「これは、誰がやった?」

「自分です」


 コーヘイが即答する。


「よくやった」


 魔導士は数度、その頬を撫でた。


「これは治さない。この痛みを覚えておくんだよ、ミシャ」


 少女は素直に頷いた。


「席を外してくれるか」


 コーヘイ、カイル、ディルクの三人は、師匠である魔導士団長にすべてを託し、カイルの部屋に移動して行った。


 二人だけが残った部屋は静かだった。

 師匠と弟子は、静かに目線を交わし合う。


 セトルヴィードはかかっていた毛布から抜け出して座り直すと、ミシャにもベッドに上がるように促した。

 いつもなら飛び込んでいくが、少女は時間をかけてゆっくりと上がり、向かい合うように座る。


「見せなさい」


 少女は俯いて、動けない。

 銀髪の魔導士は溜息をつくと、その服に手をかけて、ゆっくりと剥ぎ取って行った。

 少女の可憐な体に不似合いな、おぞましい魔方陣が現れる。


「これは何の魔法陣なんだ」

「知覚上昇です。一番、簡単だったので」

「そうか」


 現在の知覚上昇の魔法陣は、フォークのような簡易な形だが、古代の魔法は、とても複雑な陣を描いていた。

 通常は、せいぜい暗闇が月明かり程度に見えるという物だが、古代の強力な魔法陣の効果であったなら?


 今のミシャは、全ての知覚が、究極的に引き上げられていた。暗闇も昼間のように見えるし、集中すれば城中のすべてのネズミの気配すら把握できる。そして痛みも、通常の何倍にも感じていた。打たれた頬は、相当な痛みを伴っていた。


 そしてこの魔法陣は、対価として術者の体力を奪う。


 彼女は常時、魔法の発動状態を維持する形になっており、どんどん体の力を消費していた。普通に食べる程度では追いつかないペースで。


 セトルヴィードは少女の両肩に手を置いて、そっとベッドに体を仰向けに横たえさせた。


「今から、制御の方法を教える。辛いだろうが、我慢してくれ」


 銀髪の魔導士は、正直、彼女の天才性を見誤っていた。

 高位魔法どころか、古代魔法まで使って見せるとは、流石に思わなかったのだ。想像もしていない事を、どんどんやってのけるミシャが、彼の手に余るようにすら、感じていた。

 だがその力を導くのは、自分の仕事でもあるとも同時に感じる。



 セトルヴィードは、ミシャの体に刻まれた魔方陣のラインに指をあてた。


「私の触れる部分を、順番に意識して覚えていくこと。いいね?」

「はい」


 銀髪の魔導士も、かつては古代の魔法陣をその体に刻んだ身。その力のすさまじさ、引きずられるような感覚は理解していた。そしてそれに逆らう行為から生じる感覚についても。

 ミシャは知覚が上昇している。おそらくセトルヴィードが体験した以上の感覚を受ける事になる。彼女がそれに耐えられるかどうかが、勝負だった。

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