【それぞれの一日】 ミシャ編

 星屑が空を埋める。昼間は暑かったが、夜は心地よい風が吹く。


 城壁に二つの影。

 最近は、仕事終わりのひと時を、ミシャとディルクはいつもここで過ごしていた。

 特に会話をもせずに、空を見てるだけでも楽しい。


 ミシャはいつも普段着で出仕して、魔導士団区画の自室で制服に着替えているから、帰宅準備を整えた今は、普通の町娘のようなシンプルなスカート姿だった。ディルクは、ここ最近の定番になった文官の制服。


 階段から足音がして、おずおずと一人の近衛兵が、顔を出した。


「ディルク様、陛下がお呼びです」


 ミシャとディルクは顔を見合わせたが、先に少女が笑顔を向ける。


「また、明日ですね」

「気を付けて帰ってください」

「はいっ」


 元気に返事をして、階段に消える大好きな人を見送る。

 そして、ふーっと大きく息を吐き、階段とは逆方向。

 見張り台に向けて歩いて行く。

 一見、何の変哲もない壁の前で立ち止まる。


「覗きは、いい趣味ではないです」

「ひえっ」


 いきなり声をかけられ、二人の様子を見守っていた影は、自分がこんな声を出すのかと、重ねて驚く。

 城壁の影にずっと隠れていた男に、ミシャは気づいていた。


 彼女は知覚感知の古代魔法を身に宿す。対価は必要だが、発動すればありとあらゆる気配も察知できる。彼女は以前、大好きな彼を失ったと思ったあの日から、常に身の回りを感知しては危険を避けて来た。

 特に殺意もなく、そこにいるだけの存在はとりあえず無視してきたが、流石に、ちょっといい雰囲気になっても躊躇する原因になっていたので、そろそろ何とかしたいと思っていた。


「くそ、参ったな」


 頭を掻きながら、一人の青年が姿を現した。

 全身、黒い出で立ちで、剽悍ひょうかんそうである。長い金茶色の髪を後ろで束ねていて、左目の下にはホクロ。ちょっと拗ねたような表情は子供っぽい。年齢は二十台前半といったところか。瞳はセリオンと同じ灰色。


「どちら様です?」

「怪しい者じゃないっすよ、ほんとマジで、ほんとほんと」


 両手を挙げて、敵意はありませんというアピールをする仕草は、悪人には見えなかったが、いつも二人が城壁に来ると、隠れて様子を見ているのが気になった。


「なんでいつも見てるです?」

「秘密は守れる方?」

「内容によりますねっ」


 少女は腕を組んで憮然と返事をした。

 しばらく視線を交わし合ったが、この黒茶の瞳の圧がなかなかすごい。これは正直に話さないと、解放してもらえなさそうだと、ついに諦めた。


「僕はジル。国王直属だよ。いわゆる陛下の隠密の手足だね」

「陛下が私たちを見張れと言ってるんです?」

「正確にはディルクを、かな」

「ディルクさんが何かしたんです?」


 ジルは一呼吸おいて、意を決したように口を開いた。


「ディルクに、何かされないように見張ってる」

「?」

「あいつは狙われてるのさ、恨みを買いまくりだからね」

「え、ディルクさんが?」


 青年は、壁に寄りかかって、腕を組んで空を見上げた。


「君が思っている以上に、色々あんの。僕が話していいものか、わかんないけどさ」


 少女もジルに倣い、彼と同じ壁に寄りかかる。星空を見上げると、流れ星が一つ見えた。


「この国のプラスになる事は、他国にはマイナスなんだよ。情報って大事だからさ。あいつはそれを、いろんな手段で盗ってくんだよね。あんまり人に言えない方法もあるしさ」

「……」

「仲良くして騙すなんて日常茶飯事だよ。裏切られた側の心情も色々あるしさ。部下の扱いもやたらとうまいから、他国にとってはほんと、うっとおしいの一言なんだ、あいつ」


 ミシャの表情がかげる。


「なんか、ごめんね?以前、気を利かしたら、あの惨状だったからさ。目が離せないんだよ」

「あの時、ディルクさんを助けてくれたです?」

「まーね」

「ありがとうです」


 俯きがちに、弱々しく言われて、ジルは居心地が悪くなった。

 体を壁から離して姿勢を正す。


「本当はもう、死んだことにして身を隠させるはずだったんだ、その方が安全だから。でもあいつ、出てきちゃったんだよね。理由はまあ……」


 ちらりとミシャに目線を送る。


「僕らは影だから。いないものとして扱ってくれていいよ」

「それは無理」


 即答があり、ジルは再び頭を掻くしかない。


「もう大分、返り討ちにしちゃったから、そう長い期間じゃないよ」


 剽悍な影は城壁の手すりの上に身軽に飛び乗ると、振り向きもせずに軽く右手を上げただけの軽い別れの挨拶をした。そしてそのまま城壁の向こうに飛び降り、闇に溶けて消えた。


「ディルクさんが……」


 ミシャの喉に苦しい思いが詰まった感じがした。彼は確かに、汚れ仕事であると、嘘つきであると、頻繁に口にしている。

 だがミシャとしては、まだその実感がなかった。命を狙われる程、憎まれるような事をしている人であるとまでは、思っていなかったのだ。


 なんとも足取りが重くなり、暗い夜道をとぼとぼ自宅に向けて歩く。彼女の記憶には優しい彼しかいなくて、その裏の部分を実際は知らない事に、不安が芽生えていた。

 そんな葛藤で頭をいっぱいにしてしまい、彼女は後ろから近づく男の気配に気づくのが遅れた。

 はっとしたときには、口を布で押さえられ、体を担ぎ上げられた。布からは何か甘くて苦い匂いがして、しまった!と思った時には遅く、彼女は意識を失った。


「本当にこんな小娘が、人質になるのか?」

「睦まじい様子だったぞ」

「ふ、こんな子供が好みなのか」


 三人の男は、ぐったりとしたミシャをマントで完全に包み込み、馬車に乗せると、その場を去って行った。



 ミシャは男達の話し声で意識を取り戻し、目を薄く開いた。

 どれだけの時間が経ったのかわからないが、まだ辺りは暗く、空気はひんやりとしていて、夜明け前の一番暗い時間のように思えた。場所は良くわからないが、王都の外の森だろうか?

 薬が残っていて、頭がぼんやりし、体も動かない。まるで半分、夢の中にいるような感じだった。彼女は冷たい地面に、後ろ手に縛られて転がされていた。


 三人の男が間近に立っていて足だけが見え、その隙間から見える奥の木箱の上に、気楽な感じで座っているのは緑の瞳の騎士。


「もう国は関係ない、これは俺の個人的な恨みだ」

「それはそれは、ご苦労様ですね」


 今まで聞いた事がない、冷ややかなトーン。相手を小馬鹿にする口調。


「お前が弟を騙して、結果的に自殺に追い込んだ事は、到底許しがたい」

「騙される方が悪いと、僕は思いますよ?兄弟揃って単純ですね」

「貴様!!」

「まあ待て」


 剣の柄に手をかけて怒気みなぎる男を、仲間の一人が制止する。

 その男がミシャを乱雑に抱き起し、その首に短剣を当てた。


「こいつにも、大切な人間を理不尽に失う苦しみを味合わせるのが先だろう」

「面白い事を言いますね、僕がそんな子供を大切だと?」

「呼び出されて、のこのこ一人で来たのがその証拠だろうよ」

「僕は自分を付け狙う、小うるさい暗殺者を片付けに来ただけですが。残念ながら、期待してるような価値はないですよ?」


 くすくすと笑う声が、三人の男を更に苛立たせた。


「その子は、第二王子の婚約者候補です。王の命令で傍にいただけ。彼女を傷つけると、今度は君たちが暗殺者に狙われる立場になりますね」

「な、なんだと?」

「せっかくだし、取引をしますか」


 緑の瞳の騎士は木箱から飛び降りた。今の彼は、騎士の装備を簡略化した軽装姿である。


「僕、ちょっと面白い情報を持ってるんです」

「情報だと?」


 ディルクは相手に警戒心を持たせない、優雅でゆっくりとした歩みを進めながら、三人の男のうち、ミシャに短剣を突きつける男に目線を送る。


「彼が、誰かさんの弟君を、自殺に見せかけて殺した……とかね?覚えてますか、酒場の美人さんを二人で争っていた事を。手段を択ばないのは僕だけじゃないですよ」


 くすくすと楽し気に笑ってみせた。


「な、何!?おまえまさか」

「嘘だ!」


 苛立ちと怒りで平常心を失っている男が、”天才的な諜報部員”である男のを先入観で反射的に信じ、短剣を持った男につかみかかる。突然の事に残ったもう一人の男も、ディルクの存在を忘れてそれを制止しようとした。短剣を持った男の腕からミシャが零れ落ちた瞬間、ディルクは剣を抜いて、まずは制止しようとした男を、次いで掴みかかった男を、最後に短剣をミシャに突き付けていた男を。


 確実に急所だけを狙って、反撃を一切許さずにあっという間に切り伏せた。一瞬の出来事だった。

 こんな風に、舌先三寸で相手を混乱させて討つのが彼の基本手法だった。



「ディルクさん……?」


 騎士は無言で少女の体を起こし、彼女の動きを縛る綱を血塗られた片手剣で切った。その緑の瞳は、冷たく硬質で、完全に感情が隠されて見えた。


「これが僕の本当の姿です」

「さっき言った、私の事は本当なんです?」


 ディルクは返事をせず、ミシャを立ち上がらさせた。


「怪我はないですか?」


 ミシャは無言で視線をまっすぐに向けたが、ディルクは目を逸らし、それに応えない。

 

「もう、お別れした方がいいのかもしれませんね、潮時ってやつです。またこんな事があってもいけませんし」


 ミシャは、距離を取ろうとしたディルクに抱き着いた。逃がすまい、という意思がある。ぎゅっと抱きしめられて、騎士の傷が痛む。


「僕は嘘つきで、卑怯者なんですよ」

「本当はこういうやり方が辛いんですね」

「全然平気です」

「嘘ですね!」


 更にぎゅっと力が籠められる。


「ちょ、ちょっとミシャ」

「私の事、好きです?」

「保護の対象だから、大事にしてました」

「嘘ですね!!」

「いたたたっ」


 顔を上げてキッと強い目線で、緑の瞳を睨みつける。


「抱きしめ返してくれないんです?」


 ディルクは躊躇した。なんとも、自分は彼女に相応しくないように思えて。自分の腕に、その価値はないと感じられて。

 本当は隠したかった、自らの闇の部分を知られては、もう。


「私だって、不意をつきますし。魔法が使えない騎士のふりをして、油断させて魔法を使うんですよ、そんな私は卑怯ですか?抱きしめる価値はないですか?」

「ミシャ……」

「ディルクさんは、この場ではその方法がベストだと思うからやった。違いますか?でも気持ちには嘘をついて欲しくないです。私はちゃんと言いますよ、本当は、嫌だって」


 少女の強い言葉に緑の瞳が揺れて、隠していた感情が戻って来る。


「私の事、好きです?」


 絞り出すように、少女はさっきと同じ質問を繰り返した。

 そして再びその体に、顔を摺り寄せる。


「好きですよ、大好きです」

「本心ですね」

「心から、大切に思ってます」

「真実だって感じます」


 ディルクは、その腕を動かし、少女を抱きしめ返した。


「仕事だけど、辛いです、信じてくれた人を裏切るのは。やった事が原因で、こんな結果になってしまう事も。こんな事を、望んでるわけじゃないんです」

「ちゃんと、私わかってます」

「……泣いてしまっても、いいですか」

「はい」


 彼はどうしても辛い時、港の夕日の見える秘密の場所で、いつも一人で泣いていた。今日は夕日ではなく、守るつもりでいた少女に、その涙を受け止めてもらった。


 少女はちゃんと、彼の本質を理解していた。

 汚れ仕事をするには、優しすぎるひと


 ミシャの心はもう、しっかり大人になっている。

 好きな人の支えになれるように、あっという間に育ってみせたのだ。

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