異世界人はこの世界を愛してるⅢ
MACK
第一章 異世界から来た弟子
第1話
「師匠~、次の課題くださーい!」
ノックに対する返事も待たず、魔導士団長セトルヴィードの私室の扉が、元気よく開かれ、今年十五歳になる弟子が飛び込んで来た。
入って来たのは少女だった。
太陽に当たると茶色に見える明るめの黒髪で、肩にかかるまでの長さ。ややくせ毛。寝ぐせが取れにくい髪質なのか、今日も適度にボサボサである。くっきりとした二重の大きな黒い瞳も、光を受けると茶色に見える。
「ミシャ、扉を開けるのは、許可があってからだと何度言えば」
「はーい、次は気を付けます!」
絶対、次も気を付けないという事がありありとわかる、軽い返事が返ってきて、魔導士の紫の瞳に諦めの色が宿る。
この銀髪の男――魔導士団長は、このエステリア王国にあっては魔導士の最高位。
彼の髪は、城壁で異世界から来た騎士と決意を新たにした日から三年、その誓いに向けて願をかけるように伸ばし始めたため、肩までだった髪は背中に流れる程度になっていた。
全魔導士から尊敬され、畏怖される実力者の部屋への扉は、普段はとても重苦しいものである。少なくとも、一切の緊張感を持たずに開ける者は少ないだろう。
彼女はその数少ない一人である。
「鍛錬用の新課題も欲しいです!」
あっという間に机に取り付いて、まるでお菓子をねだるかのように言う。
孤高の魔導士と謡われた彼も、この元気すぎる少女の前には形無しというか、苦笑を浮かべるしかない。
引き出しから、ひとまとめにした魔方陣の束を取り出すと、無言で少女に手渡した。彼女はそれを嬉しそうに受け取ると、さっそくパラパラと確認する。
「師匠、ベッドお借りしますねっ」
「えっ、待……」
自宅でやれと、言わせもしない電光石火のスピードで、彼女は簡易な下級魔導士のローブを脱ぎ捨て、ぱさぱさと服を脱ぎ散らかし、肌着一枚になったかと思うと、魔導士団長のベッドに飛び乗り、その中央で正座をし、さっそく魔方陣を使用する。
彼女はいつもこんな感じだった。
遠慮や恥じらい。そういう言葉が一切、この娘の辞書には存在していない。
セトルヴィードは、諦めの境地に差し掛かって、魔方陣に夢中の半裸の弟子の姿を見ないように机に突っ伏して、頭を抱える。銀糸のような髪が机の上に広がる。
ミシャ。本名はミサ。
彼女も、この世界に落ちて来た異世界人である。四歳の時に、この世界に迷い込んで保護された。舌ったらずの当時の彼女は、名前と年齢を言うのが精いっぱい。サが上手く発音できなくて、ミシャと名乗ったのだ。
この国には、異世界からやって来る人達のための専用部署を設けており、時折現れる異世界からの訪問者を、この世界に落ちて来た人々として登録し、新たな国民として迎え入れていた。
世界観の解説から生活のサポート、以後の相談等もすべて引き受ける、異世界人登録局というものがあるのだ。この世界において、多数の国あれど、このような形で異世界人を保護している国は少ない。
この世界に来たばかりの彼女は幼くて、大人の庇護と養育を必要としていた。
ミシャを最初に発見し、保護をした鉄鋼鉱山の管理者だった頑固な老人が、引き取りを申し出たため、彼女はそこで育つ事になる。
しかし、そこには大きな問題があった。
その鉱山は、五十人を超える屈強な男達しかいなかったのである。彼等には家族がいて、町に戻れば妻も子もいたのだが、ミシャは鉱山の中だけで育ってしまったため、他の女性や同世代の子供と触れ合う事が一切なかった。
小さな女の子に、下世話な話を聞かせるものはいかがなものかと、彼等なりの一応の配慮をして、娼館で楽しんだだの、どこぞの巨乳美女がどうの、男所帯にありがちな猥雑な話題を聞かせる事もなかったため、男だとか女だとかの区別を全く意識せずに、育つ事になってしまったのだ。
彼女が十二歳になったとき、世話をしていた鉱山管理者の老人が老衰で亡くなった。その頃はもう、鉱山の産出物である鉄鋼も枯渇し始めており、この機会を以て閉山する事が決まってしまったのだ。
困ってしまったのが、今後の彼女の事である。十二歳になった彼女は、精神面はともかく、身体の方には、さすがに大人の体に変化していく過程の兆候があり、何も教えないわけにはいかない。
一時的に鉱夫の一人だった男の家族が預かって、最低限の女性の体に関する知識は教えたが、今後は安定した収入が途絶える事を考えると、実の子供たちと一緒に、彼女を育てるのは難しかった。
そこで異世界人登録局に連絡があり、相談の結果、彼女は王都に来る事になったのである。
登録局の魔力検査の魔法陣で、ミシャには魔力がある事がわかっていた。
ちょうどその頃、弟子を求めていた魔導士団長の元に、これまで一度もなされた事のない、異世界人を魔導士として育ててみたらどうなるか、という実験の申し出が届けられた。
すでに異世界人への偏見を持たなくなっていたセトルヴィードは、興味を惹かれ、彼の考えるより良い未来のために、この実験に挑戦する事になったのである。
元気に駆け回り、次々と楽し気に勉強をして、鍛錬の苦しみすら喜びの一つのように、この三年で彼女はめまぐるしく成長していた。
異世界人の持ち込んだ技術により、世界から魔法が少しずつ不要になりつつある昨今、魔導士は異世界人を基本的に嫌って来た。嫌悪し、差別し、侮辱する姿勢を、この国の魔導士達もずっと持っていた。
しかし、明るく前向きに魔法を極めていく彼女の態度に、他の魔導士達も異世界人である彼女への差別的な目線は、なりを潜めつつある。異世界人だけど、彼女はもう魔導士としての仲間だから、という空気感が芽生えていた。
これだけでも、彼女を弟子にした価値があったと、セトルヴィードは思っている。
再びノックの音がした。こちらは許可が下りるのをきちんと待っている。
呼んでおいた人物がやってきたことを知り、セトルヴィードは入るように促す。
この魔導士団長の部屋の扉を気軽に開ける事が出来る、もう一人の数少ない人物が入って来た。
短い黒髪の青年騎士。未だ少年のような面差しが残り、貫禄や威厳は伴ってはいないものの、この国において実力派騎士の筆頭に並び立つ。
「またですか」
苦笑して、ベッドでひっくり返っている肌着姿の少女に目線を向ける。もはや慣れた手つきで脱ぎ捨てられたローブを拾い上げ、魔方陣をまき散らして息を切らしている少女の体にかけてやる。そして懐から1本の棒付きの飴を取り出すと、少女の口に突っ込む。
「ありがひょう、ごひゃいまふ」
もごもごと、飴を咥えてお礼を言う少女を後に、本来の目的の人物のたたずむ机に向かって歩みを進める。
「今日はどのような御用ですか?」
現在、エステリア王国に向けて直接兵を挙げる準備をしている国は見受けられず、騎士団は再びの編成を行い、現在は防衛一辺倒の構成である。
この国の専守防衛の精神は、元自衛官である彼の理念にも沿う。
黒髪の騎士も異世界人。名をコーヘイと言って、現在は魔導士団区画警備と、魔導士の警護を担当する、護衛騎士団長の地位にある。魔導士団長の身辺警護も、今は彼の仕事だ。
「そうだな」
ちらりと、弟子の方に目線をやる。
まだ彼女に聞かせるつもりはないようだ。予定外に弟子がやってきたので、相談事を騎士にしにくくなったようだ。
コーヘイはそれを察して、弟子の少女に声をかけた。
「ミシャ。アルタセルタさんが、帰宅の準備をしてるようでしたよ」
少女は跳ね上がるように飛び起き、慌てて服を着始める。ささっとローブを羽織り治すと、課題の魔法陣の束を掴むと、飛び出していく。
「師匠、また明日!」
バタバタと騒がしい少女に、魔導士と騎士は目を見合わせて苦笑した。
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