第28話 法王府

 ルイーゼ号がイルミナに戻ると、早速クレスからの呼び出しが来た。ラケルスから先に連絡が届いていたらしい。

 メル、アルム、アリアが評議会へ向かい、エリスは居残りとする。今は、クレスにエリスの魔力のことを気付かれると、少し面倒だと思ったからだ。

 エリス自身も、その間に少しでも魔術の練習をしたいと言い、すすんで留守番を買って出た。


 評議会の議場で、クレスとヴァンデルたち評議員を前に、アリアが事情を説明し、教会との和睦を提案する。

 元より教会と敵対する意思のなかったイルミナだ。和睦自体に異存はないが、さりとて、一方的な言いがかりで1年にも渡って包囲されたにも関わらず、無条件というわけにはいかない。

 討伐軍の撤退はもちろんだが、賠償の代わりとして、教会に対してイルミナから求める条件が整理された。

 こういう時は賠償金を取るのが普通だが、討伐軍はこれまでにかなりの戦費を費やしている。このまま包囲していても金がかかり続けるだけだというのに、つまらない体面にこだわっているのか、撤退の判断もできない連中だ。その上に賠償まで求めたら、無謀な攻勢や略奪にでも走りかねない。

 イルミナとしても包囲が速やかに解かれることが優先であるため、討伐軍の頭越しに法王府と手打ちをし、討伐軍の梯子を外してしまおう、という方針だ。

 イルミナから法王府へ要求する条件はふたつ。


 ひとつ、魔術師の地位を教会が保証し、管轄区内の魔術師に保護を与えること。

 ひとつ、教会の治癒が魔術であることを認めること。ただし、魔術そのものが神の恩恵であるという教会の教義を、イルミナは否定しない。


 どちらも、魔術と教会の融和に向けたものだ。

 まず、魔術地の地位を教会が保証し保護することで、教会がイルミナの外にいる魔術師たちの後ろ盾となり、領主たちから魔術師への不当な干渉を起こりにくくする。

 また、これまで神の恩恵としてきた治癒を魔術だと認める代わり、そもそもの魔術自体が神の恩恵としてこの世にもたらされたものと解釈を拡大する。それをイルミナが否定しないことで、教会と魔術が相反するものではないことを世の中に周知し、今後の対立を予防する。

 ロセリアにおける魔術発展のきっかけは、魔法世界から転移者であるが、それはイルミナでもほとんど知られていないこと。それを神がもたらしたものだとしたところで、イルミナにさしたる不利益はない。

 教会に対して甘すぎるのではないか、との意見もあったが、少々の利益に固執して遺恨を残すより、今後の対立の芽を摘んでおくほうが有益、というクレスの判断を、最終的に評議会も支持した。


 クレスの名前で法王宛ての親書がまとめられ、補給と整備を終えたルイーゼ号はイルミナを出発した。

 正教会の総本山ヘルメス大聖堂を擁する聖都ロムルスは、イルミナの南西。山脈を越えた先にある。

 言わずもがなの、地球で言うイタリア、ローマに当たる場所だ。

 イルミナからは飛行距離約800km、10時間ほどの飛行時間になる。


 法王府の組織は、頂点に君臨する法王の下に法王を補佐する2人の大主教がおり、それぞれの大主教が教会の実務を司る各機関を統括している。

 教会の最高意思決定権は法王が有するため、イルミナ討伐の取り消しは法王が是とすれば決定される。ただ、強権的な意思決定を避けるため実質的には両大主教の賛同も得て決定するのが慣例であった。

 少し心配なのは、イルミナ討伐への許可を決定する際、教会の外務を統括する左府大主教ザーレ・ボルディアニスが、イルミナ討伐の実施を強く推したことだ。

 法王エルミネア・アスクラピウスと教会の内務を統括する右府大主教シレジア・フレクスディアは、信徒からの請願でもあり、反対する理由がないということで消極的に賛同はしたが、ザーレが強く推すことがなければ、討伐の許可が下りたかは微妙な状況であったらしい。

 討伐許可の取り消しにあたっても、ザーレが反対の立場を示す可能性は十分に考えられた。


 夜明けにイルミナを離陸したルイーゼ号は、順調に飛行し、まだ日の高いうちに聖都上空へと到達していた。眼下には、壮麗な大聖堂と、美しい街並みが広がっている。


「法王様って・・・アリアのお母様、なんだよね?」

 法王の姓を聞いて、当然浮かんだ想像をメルはアリアに確かめた。

「はい。そのとおりです」

 アリアは、素直に肯定する。法王も聖女も世襲という決まりはないが、魔力を使う治癒魔術を使えるのがアスクラピウス家の女性に限られるため、聖女は後に法王となり、その娘がまた聖女となるのが慣例となっているそうだ。

 ・・・どこかで聞いた話だ。

 メルが目を向けると、アルムが微妙な表情を浮かべている。

 法王と聖女の関係は、以前にアルムから聞いたイルミナティ学府学長と魔女との関係と全く同じであり、特殊な魔術がそのカギとなっているところまで一致している。

 教会の治癒にも、何か転移魔術と同じような秘密があるのではないかと想像してしまう。


 さて、問題は法王に謁見するまでの手はずだが、まず訪問の事情を教会側に伝えなくてはならない。

 魔術で事前に連絡がとれたザルツリンドとイルミナの間・・・正確にはヴァンデルとラケルスの間だが・・・のようなわけにはいかないのが不便だ。

 飛行船が着陸せずに地上にメッセージを届ける方法としては、通信筒という方法がある。通信筒は軽量な金属製の筒で、転がっていかないよう、両端には角が付けられている。この中に手紙を入れ、飛行船から地上に落とすのだ。

 手紙には簡単な事情とともに、法王宮殿へのルイーゼ号の係留、およびメル達クルーとアルムの滞在許可を要請する旨が書かれていた。そして、許可する場合は青、許可しない場合は赤の布を聖堂の窓に掲げるように、と。


 法王宮殿は、文字通り法王と聖女の住居である。他の者、たとえ大主教と言えども干渉はできない。逆に言えば、主である法王さえ了承すれば許可される。本来であれば、法王の住まいに他国の者を入れるなど言語道断だが、他ならぬ法王の娘、聖女ルネアリアの発案だ。

 法王への謁見や交渉など、最低でも数日は時間がかかることが予想されるので、その間、ルイーゼ号とクルーを安全に滞在させるためには、大聖堂ではなく法王宮殿の方が良いというのがアリアの判断だった。

 幸い、3階建ての法王宮殿の周辺半径100m以内には宮殿よりも高い建物はなく、屋根の造りも平坦だ。ルイーゼ号を係留しても他の建物と接触する心配はない。


 大聖堂の上空50mまで降下したルイーゼ号の巨大な姿に、聖堂の人々が慌てふためいているのが見える。

「それじゃ、まずは教会の反応を見てみますか」

 メルは、ゴンドラの開口部を開いて、手にした通信筒をするりと投下した。目立つように長さ2mほどの赤いリボンが結ばれた通信筒は、一直線の広場の石畳の上に落ちると、カツーン、と大きな音を立てた。そのまま3回ほどバウンドして止まる。

 やがて、聖堂から出てきた白髪の男性がそれを拾い上げ、じっとルイーゼ号を見上げる。高位の神官なのだろう、金糸で縁取られた立派な法衣をまとい、数人の騎士が付き従っている。

「あの方がボルディアニス大主教です」

 開口部に姿を見せたアリアが、隣のメルに囁きつつ、大主教にお辞儀をする。アリアの姿に気付いたのか、彼も一礼すると、通信筒を抱えて聖堂の中へと戻っていった。


 それから1時間ほどして、聖堂の窓に掲げられたのは、青の布だった。


 上空を漂いながら合図を待っていたルイーゼ号は、聖堂からの許可を確認すると、法王宮殿の屋上に降下を開始する。

 宮殿屋上の周囲は、建物の装飾と手すりを兼ねた低い石柱が立ち並んでおり、係留索の固縛にはちょうど良い。

 クルーたちも風魔術を併用しての係留作業にも慣れてきたこともあり、今回はアルムの指導のもと、エリスが風の魔術を発動させた。最初、少し揺すられたものの、すぐにコツ掴んだのか、船体はピタリと静止している。

「エリスは、なかなかいい感覚をしている。たった10日の練習でここまでとは」

 やや緊張した面持ちで術式を展開しているエリスに、アルムは感心した様子で言う。

「風の魔術だけに絞って練習しましたから、他の魔術はまだ全然です・・・」

 集中が途切れないよう気を付けながら、エリスが応じる。ただ、まだ術を発動しながら他に気を回す余裕はないようだ。

 ゴンドラから縄梯子が下ろされ、船務班による係留索の固縛が終わった頃、法衣姿の女性が数人の女官とともに屋上に上がってきた。

 法王宮殿の上に覆いかぶさるように巨体を浮かべるルイーゼ号を見上げ、皆、一様に驚きの表情を浮かべている。

「エリス、もう術を解いても大丈夫よ・・・お疲れ様」

 メルが言うと、エリスはふっと身体の力を抜いた。

 船を覆っていた術式の円環が消え、軽く風を受けた船体に係留索がギシ、と小さくきしむ。


「アルム、わたくしを下に降ろしてもらえますか?・・・あそこおられるのが法王様です」

 アリアの視線の先には、白地に赤い縁取りの法衣をまとった女性。

 アリアの母である法王エルミネアだ。顔立ちはアリアとよく似ているが、母というより姉と言ってもいい若々しい姿だ。クレスといい、魔力が豊富な女性は若々しさも持続するのだろうか。

「わかった・・・いくぞ」

 アルムは、ひょいとアリアをお姫様抱っこすると、何の躊躇もなく開口部から飛び降りた。

「え、ちょ・・・ひゃぁ!」

 驚いたアリアが声を上げるが、次の瞬間には軽やかに着地している。

「メル様、参ります」

 メルの手を取り、エリスも開口部から飛び降りる。まるで部屋から庭へでも案内するかのような自然な様子に、メルも思わず足を踏み出す。しかし、そこは何もない空中だ。

 ふわりと浮遊感を感じたかと思うと、足下に術式の円盤が広がる。一瞬の後、足音も立てずと屋上に着地していた。階段をほんの一歩下りただけのような感覚しかない。

「メル様、大丈夫ですか?」

「エリス、すごいよ!」

メルは、エリスの上達ぶりに驚いた。先ほどの船の保持といい、まだ学び始めたばかりなのに、もうこんなに魔術が使えるなんて、本当にエリスはすごいと思う。 

「ありがとうございます」

 エリスは少し照れながらも嬉しそうに笑う。

 これだけ短期間で上達した秘密は、-もちろんエリスの素養の高さと努力があってこそだが-風の魔術の中でも、すぐに必要だと思った3つの魔術だけに絞って練習したからだ。

 1つは船の保持、もう1つは高所からの着地、最後の1つは・・・メルを守るためのもの。

「・・・あとで、もっと褒めさせてね」

 もう少しエリスの頑張りを褒めまくりたいところだが、今は法王の前だ。メルは小声でエリスに囁いて、法王の方に向き直る。エリスはその斜め後ろに従った。

 だが、メルの耳に聞こえてきたのは、場の空気にそぐわない、忍び笑いだった。 

「ぷっ・・・くすくすくす・・・」

 声の主は法王エルミネア。身体を折り曲げ、腹を抱えて、必死に笑いをこらえているが、こらえきれない、そんな感じだ。

 アルムも、お姫様抱っこしたままのアリアを降ろすのも忘れて唖然としている。


「・・・降ろしてもらえますか?」

「あ、あぁ・・・」

 アリアに言われ、アルムはアリアを地面に立たせる。

「あの・・・法王様・・・」

 アリアが呼びかけるが、笑いをこらえるのに必死の法王は、返事をするどころではない。

 アリアは、仕方なさそうに首を振ると、すっと息を吸い込んだ。

「・・・お母さま!お客様の前です。みっともない真似はお止めください!」

 普段のアリアからは想像できない大声に驚いたのか、法王の笑い声がピタリと止まった。

「・・・ル、ルネアリア・・・」

 しかし、口元はまだプルプルしている。お姫様抱っこがそんなにツボに入ったのだろうか。

 はぁ・・・とため息をついて、アリアは法王の後ろにいる年配の女官に声をかける。

「法王様を広間へ。わたくしたちもそちらに参ります」

「はい、畏まりました」

 女官は、アリアに一礼すると、まだ笑いがおさまらない法王を宮殿内へと促す。

 法王が少しフラフラしながら建物内に入ると、アリアは恥ずかしそうに振り返る。

「申し訳ありません。お見苦しいところをお見せしてしまいました・・・」

 そして、少し咎めるようにアルムに言う。

「アルムも、あんな・・・その、お姫様抱っこしなくても・・・」

「いや、飛び降りるのに、アリアが怖がるかと思って」

 ・・・エリスみたいに普通に手を繋いでくれれば大丈夫です・・・と、小声で抗議すると、アリアは、残っていた女官たちに言う。

「この船の皆さんは、わたくしのお客様です。くれぐれも失礼のないようにお願いします」

「畏まりました。ルネアリア様」

「では、法王のところにご案内します」

 さっと跪く女官たちに頷き、アリアはメルたちを法王宮殿へと招き入れた。

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