第3話 彼女たちの決断

時間はすでに夕暮れになっていた。

 今日は、無事に運行を完了した労いとして、会社のサロンで夕食を兼ねた打ち上げをすることになっている。たぶん、みんなもうサロンに集まっているだろう。


「・・・もう、船に乗れないのかな・・・」

 薄暗くなり始めた道を歩きながら、メルはつぶやくように言った。不安を隠せない表情で見上げるメルに、ロザリンドも顔を曇らせる。

 ロザリンドは、ツェッペリン伯の母、つまりメルの曾祖母の血筋で、ツェッペリン家の親類だ。

 メルよりも5歳年上のロザリンドは、幼い頃からメルとも親しく、15歳でエンジン技師見習いとして先に会社に入った。そして、ようやく見習いが取れた頃、飛行船学校の女子生徒に応募したのだ。メルの下で飛行船に乗るために。

 クラスでは最年長で、すでに仕事の経験も積んでいたことから、メルや仲間の相談役として振る舞ってきた。メルからもロザ姉と呼ばれて慕われ、この娘を支えていければと思っていた。

「メルの気持ちはどうなの?・・・軍に入っても、飛行船に乗り続けられるならそれを選ぶ?」

「わたしは、飛行船に乗るのをあきらめたくない」

 メルの答えに迷いはなかった。メルが飛行船を自分の手で動かすことに憧れ、もう何年もかけて周囲を説得し、仲間を集め、ようやくここまできたことも、ロザリンドは知っている。メルがそう答えることはわかっていた。


 しかし、続くメルの声はだんだん小さくなっていく。

 メルの不安は仲間たちのことだ。飛行船は一人では動かせない。みんなにもついてきてほしい。

「・・・でも、戦闘はしないと言われても、戦場に行くんだよ。わたしの気持ちだけで・・・一緒に来てほしいなんて、言えないよ・・・」

 ロザリンドは隣を歩くメルの肩を軽く抱き寄せ、できるだけいつもと変わらない口調で告げた。

「メル、とにかくみんなに話をしよう。どうしたらいいか、みんなで考えよう」

「でも、戦場に行くか、船を降りるか、どちらか選べなんて・・・どう説明すれば・・・」

「そのまま。何も隠さず、あったこと、言われたことを全て、そのまま。・・・きっと大丈夫」

 メルは小さくうなずいた。


「メル様、お帰りなさいませ」

 サロンの入り口で待っていたエリスが、嬉しそうに駆け寄ってくる・・・が、二人の様子に、すぐ心配そうな表情に変わる。

「メル様、どうなさいました?・・・一体何が・・・」

「エリス、みんなに話したいことがある。みんな揃っているね?」

 ロザリンドが静かに言った。さすがにロザリンドも厳しい表情をは隠せていなかった。

「はい、みんな揃っています。でも、メル様は少し休まれてからの方が・・・」

 エリスは、困ったようにメルとロザリンドを交互に見やった。

「お願い、エリス。みんなにきちんと伝えなくちゃいけないの。もちろんエリスにも聞いてほしい」

 泣き笑いのようなメルの表情に、エリスは心配そうな顔をしつつも頷いた。


 サロンは長方形の大部屋だ。入り口から見て奥側が湖に面しており、等間隔で並んだ窓から、夕陽に染まるボーデン湖の美しい景色が見える。

 部屋の中央に幾つかのテーブルが置かれ、大皿の料理と、飲物のボトルやグラスが並べられていた。

 ルイーゼ号のクルーは、すでに全員、部屋に集まっていた。

 みんな先ほどまで飛行後の整備や点検をしていたのだろう、それぞれの仕事に応じた作業着姿だった。


 エリスに案内されて部屋に入ってきたメルとロザリンドに気付いて、周りに集まってくる仲間たち。

 ロザリンドが、パンと手を叩いて場を仕切る。

「みんな、すまないが食事の前にメルから話がある。聞いてほしい」

 ロザリンドに促され、メルは口を開こうとするが、言葉が出てこない。

 何か言おうとすると、シュトラッサーやエッケナーに言われた言葉が頭の中に反響して、目に涙が溜まっていく。

「メル様・・・」

 隣に立つエリスがそっとメルの手を握る。

 その手の温もりに、少しだけ落ち着いた。メルは、エリスの手を握り返す。

 上着の袖で落ちかけた涙を拭うと、顔を上げた。

「聞いてほしいことがあります。みんなのこれからに関わることです。わたしだけでは、決められない、決めてはいけないと思ったから、みんなに相談します」

 メルは、先ほどあったことをひとつひとつ、丁寧に話した。


 軍人になって、軍の飛行船に乗るよう依頼されたこと。

 最初の任務は、アフリカへの補給物資の輸送になること。

 ルイーゼ号は売却され、もう自分たちの船ではなくなったこと。

 メルには、それを止められる権力も財力もないこと。


 メルの話が終わっても誰もが無言だった。あまりにも突然の話で、正直、理解が追い付かない。

「みんな、残念だが今は選択肢が2つしかない。軍に入って飛行船乗りを続けるか、飛行船を降りるかだ」

 ロザリンドがメルの横に立って全員を見回した。

「わたしから考えを言わせてもらう。・・・軍に入って戦場に行かされるくらいなら飛行船を降りることも仕方ないと思う。船には乗れなくなるが、会社を解雇されるわけじゃない。飛行船に乗れなくなっても、この15人でこれからも一緒にやっていければ、それでもいいんじゃないかと思っている」

 静かに驚きが広がった。まさか、メルのことをよく理解しているはずのロザリンドが、飛行船を降りると言い出すとは、誰も想像していなかったからだ。

 メルは、少し心配そうな表情を浮かべながら、黙ってロザリンドを見つめていた。


「みんな、賛成してくれないか」

 ロザリンドの問いに、お互いの顔を見合わせる。しばらく無言の時間が流れた後、一人が声を上げた。

「待ってください。メル様が船を降りるおつもりだとは、私には思えません」

 航法士のヘレンだった。おとなし気な雰囲気の彼女には珍しく、強い視線でロザリンドを見つめている。

「ただ、みんなで一緒にやっていければいいなら、メル様は迷わずお断りになっていたはずです。この15人で飛行船を飛ばしたいと思っていらっしゃるから、私達に相談されたんじゃないですか?」

 一息に言い切った。

「私は、飛行船に乗り続けたい。戦争は怖いですけど、そうするしかないなら、私は軍人になります。これからもメル様と一緒に飛びたいんです」

 ヘレンはこんなに熱く語る娘だっただろうか。仲間たちも普段にないヘレンの迫力に驚く。

「そうだよね。僕も空を飛んでいたいです。だって、そのために故郷を飛び出して学校に入ったんだから。・・・軍人になるって言われても、どうなるのかよくわからないけど、心配しても仕方ないし」

 操舵手のアメリアがヘレンに賛同する。アメリアらしい飄々とした言い方だが、思いは伝わってくる。

「私は、メル様と一緒に行きます。お側を離れることはありません」

 エリスに迷いはない。メルを傍らで支え、共に歩むのだと決めている。


 3人が意思を示したことで、口々に飛行船乗りをあきらめたくない、という意見が大勢となった。2年間の厳しい課程に耐えて、ようやく飛行船に乗れるようになったのに、それを簡単に捨てられるはずはなかった。

 メルが行くのなら、当然自分たちも一緒だと。みんなが心を決め、場が再び静かになった。

 とうとう、ロザリンドに賛成する意見は出てこなかった。

「ありがとう・・・みんな」

 黙って見つめていたメルが、クルーたちに頭を下げる。

「わたしの望みを叶えてくれて、本当に嬉しい。わたし、みんなと一緒に船に乗りたい。もっともっと一緒に飛んでほしい。・・・どうか、わたしのわがままに付き合ってほしい」

 おー!とクルー一同は声を上げた。


「あの、メル様・・・」

 言いにくそうにヘレンがメルに話しかける。

「私、自分の思いを言うのに精一杯で、つい・・・その、ロザリンド様は一緒に来ては頂けないのでしょうか」

 ヘレンは、自分と反対に船を降りると言ったロザリンドのことを気にしていた。自分の発言がきっかけで、結果的にロザリンドの意見は孤立することになってしまったのだ。

 でも、メルもみんなもロザリンドを慕って頼りにしている。もちろんヘレンもだ。ここでロザリンドだけ船を降りるなんて結末にはしてほしくなかった。

 心配そうにロザリンドを見つめるヘレンに笑いかけ、メルは言う。

「ヘレン、気にしないで。だって、ロザ姉は最初からわたしと来てくれるつもりだったんだから」

「え?」

 驚くヘレンに、ロザリンドは恥ずかしそうに眼をそむけた。

「ロザ姉とは付き合い長いからね」

 くすくすと笑うメルに、ヘレンは不思議そうに首をかしげる。

「わたしが飛行船乗りをあきらめたくないのは、みんな最初からわかっていたんでしょう?」

「それは、・・・はい」

「でも、やっぱり戦場は怖い、船を降りたい、と思っている娘がいたとして、わたしやみんなの前で、それを言い出せる?」

 ヘレンは、はっと気づいた。

 メルと並ぶ仲間の中心であるロザリンドが船を降りると言えば、自分も降りたいと言い出しやすくなるだろう。

 軍に入ってでも飛行船乗りを続けたいというのはメルの望みだ。しかし、全員で飛行船乗りを続けることがかなわなくても、無理強いして連れて行くことはしたくない。それもまたメルの望みだった。

 だからロザリンドはあえて最初に船を降りるという意見を出したのだ。

「勝手に悪役になるなんて心配したじゃない。もし降りるって娘がいたら、ロザ姉も責任とって付き合う気だったんでしょ」

「たぶん、降りるという意見は出ないと思っていたんだが、事情が事情だけに、賭けだったかな」

 苦笑するロザリンドに、ヘレンは安心して息をついた。


 料理はすっかり冷めてしまったが、みんなで一緒の夕食を終え、15人はこの半年の間、共に空を飛んだルイーゼ号の前に並んだ。

 船に乗り続けることは決めたが、やはりルイーゼ号と別れるのは寂しかった。

 飛行船学校を卒業したばかりの新米クルーを、この船は育ててくれた。少し扱いにくいところもあったけど、この船が好きだった。でも、今日限り、ルイーゼ号に乗ることはもうない。

 月明かりの下、静かに係留されているルイーゼ号に、感謝の思いを込めて敬礼する。

 何人かの足元に、透明な雫が落ちた。


 翌日、シュトラッサーが指定した時間より少し早く、メル以下15人はL57号の格納庫に集まっていた。

「すごい。ルイーゼ号よりかなり大きいですね」

 見上げる軍用飛行船の大きさに、驚きの声が上がる。


 L57号は、全長198m、直径24m、ガス容積56,000m3。

 ルイーゼ号は全長148m、直径14m、ガス容積18,700m3であったから、その大きさの違いは歴然だ。

 L57号の全長は、ドイツ海軍で最大を誇るバイエルン級戦艦よりも大きいのだ。


 スマートな流線形の船体からは、前部に操舵室ゴンドラ、後部にエンジンゴンドラの2つのゴンドラが円柱形の支持材で吊り下げられている。

 推進用のプロペラは操舵室ゴンドラの後部に1基、そのやや後方の船体両舷に各1基、エンジンゴンドラには2基のエンジンが搭載され、2基で1つのプロペラを回す。

 それぞれのゴンドラやエンジンは防弾板を兼ねた金属の外装で覆われ、空気対抗を減らせるように滑らかな曲面に成形されている。

 船体の中央あたりからエンジンゴンドラの少し前までの間の船体底部が貨物室となっており、スライド式のハッチが設けられていた。


 格納庫の外から車が停車する音がして、指定の時間どおりにシュトラッサーが現れた。今日はエッケナーの姿はない。

「フロイライン、結論は出ましたか?」

 勢ぞろいしている少女たちを興味深そうに見据えながら、シュトラッサーはメルに尋ねた。

「中佐、みんなで相談して決めました。私、メルフィリナ・ルイーゼ・フォン・ツェッペリン以下15名は、L57号のクルーになります」

 メルはまっすぐにシュトラッサーを見つめて言った。

「ありがとう。海軍飛行船部隊は諸君を歓迎します」

 シュトラッサーは、軽く頭を下げた。

「正式な書類などは後ほど届けさせますが、速やかにL57号の完熟訓練に入ってください。訓練の内容については、フロイラインにお任せします。訓練中の拠点はこのフリードリヒスハーフェンで構いません。船の整備や補給に関しては、ツェッペリン飛行船製造会社が面倒を見てくれます」

 L57号の運用を会社が支援してくれるというエッケナーの言葉は嘘ではなかったようだ。

 一旦言葉を切り、シュトラッサーはやや目を細めて続ける。

「アフリカへの飛行は来年2月を予定しています。訓練期間は3か月もありませんが、よろしくお願いします」

 では、失礼。と言い残して、シュトラッサーは格納庫の外に出ると、車で去っていった。

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