第41話 終章 乙女たちのHeight-Climber

 数日後、ロムルスではイルミナと正教会が今後協調関係を結び、魔術師の身分を教会も認めることが、法王から正式に発表された。

 そして、同時に聖女ルネアリアが、イルミナ討伐に従軍中の事故で重傷を負い、長期の療養を余儀なくされたことも発表され、多くの信徒に衝撃を与えることになった。

 ボルディアニスは、左府大主教を辞任して、自らの故郷であるロムルス近郊の小さな町で聖堂の司祭となった。

 しかし、それで失意に陥ることなく、魔術に頼らない技術の研究に執念を燃やしていると言う。


 ロムルスからイルミナに戻ったルイーゼ号は、本格的な整備に入った。

 ここしばらく、連続した運行で十分な整備ができていなかった上、学府の暴走では高高度で激しい操船を行い、船体やエンジンにかなりの負担をかけた。この機会に1ヶ月ほど運行を停止して、魔術師たちの協力のもと、徹底的に整備する予定だ。

 責任者を任されたロザリンドが張り切っているので、メルは久々に暇になるかと期待したが、結局は、使用した燃料や消耗品の帳簿整理、修理に必要な交換部品の発注書作成、報酬の受取や支払いの管理、といった様々な書類仕事に忙殺され、煮詰まるとエリスに甘えて慰めてもらうパターンに陥った。


 しばらくそんな日が続き、ようやく書類仕事が一段落した日の夜、学府に出かけていたアルムが少し緊張した面持ちで魔女の館に戻ってきた。

 そして、食堂で休憩していたメルに、二人だけで少し話したいことがある、と告げ、外に誘った。

 不思議そうな顔をしながらも素直に従ったメルは、ルイーゼ号が繋がれている岩壁にアルムと並んで腰掛ける。

「アルム、何かあった?」

 なかなか話を切り出さないアルムに、メルは少し心配そうに尋ねる。

「・・・メル、塔の魔力を流し込んだことで、魔力石に魔力が貯まった」

 アルムの声は、無意識のうちに固いものになっていた。

「うん?」

 メルは首をかしげる。

 アルムは、迷うように口ごもり、やがて意を決して言う。

「貯まった魔力を使えば、転移魔術が発動できる。メルたちは地球に帰れる」

 メルの身体がぴくりと震える。そして、半信半疑の口調で繰り返した。

「地球に・・・帰れるの?」

「あぁ、帰れる」

 アルムは頷いた。しかし、その表情は冴えない。

 地球への転移魔術を使えば、魔力石に貯まった魔力を再び使い切る。今回、魔力が貯まったのは塔の暴走という異常事態があったからで、普通に魔力を蓄積すれは、次に必要な魔力が貯まるのは数十年から百年の後。

 メルたちを地球に帰せば、アルムがメルたちに会うことは二度とない。

 正直に言えば、帰したくない。だが、メルたちの故郷は地球だ。メルたちのおかげで故郷を救われた自分が、帰らないでくれと言うのは、虫が良すぎる。

 フィルに帰りたいと言われたら、そうすべきだとは思う。しかし、・・・じりじりとした焦りにも似た気持ちを抱え、アルムはメルの返事を待つ。


「そっか・・・」

 メルは、目を閉じてしばらく考える。

 だが、それはさほど長い時間ではなかった。そして、メルは小さく首を振った。

「いい。帰らない」


「?!」

 反射的に顔を上げたアルムの目に、真剣な表情で自分を見つめるメルが映った。

「アルム、このまま、イルミナにいちゃダメかな?」

「もちろん良いに決まってる。・・・でも、せっかく帰れる機会なのに・・・」

 メルが残ると言ってくれるのは素直に嬉しい。でも、本当に帰りたくないのだろうか、自分やアリアのために無理をしているんじゃないか、と心配にもなり、アルムは微妙な表情を浮かべる。

「わたしは、この世界で生きていきたい」

 ふっと表情を緩め、メルは微笑んで言葉を続けた。

「地球に帰っても、わたしたちの居場所はないの・・・戦争が終わっていたとしても、おそらく、わたしたちの国が負けてる。軍用船だったルイーゼ号は処分されるだろうし、軍人だったわたしたちも、どうなるかわからない・・・」

 そこまで言って、メルは少し沈黙した。

「・・・何より、わたしの大事な人は、みんな、こっちの世界にいるから・・・もちろん、アルムも含めてね」

 メルは、少し潤んだ瞳でアルムを見つめた。

「これからもよろしくお願いします。アルム・・・わたしは、あなたと出会えた幸運に感謝します」

「メル・・・私はメルと出会えなければとっくに死んでいる。感謝するのは私の方だよ」

 夜の湖に、二人の笑い合う声が響いていた。


「全エンジン始動、各部最終チェックに入れ」

 メルの指示で、1番から5番の各エンジンが順次起動されていく。重々しい音と振動が操舵室の床にも伝わってくる。

「気嚢内圧力正常、予備ボンベ充填確認」

「方向舵、昇降舵、動翼作動確認。異常なし」

「ジャイロコンパス、磁気コンパス、作動正常」

「こちら機関室、全エンジン始動確認。回転数安定。燃料積載量確認良し」

「背面見張り台、配置につきました。周囲に障害物ありません」

「船尾見張り台、配置につきました。周囲に障害物ありません」

 各部からの報告が次々と伝えられる。

「メル様、各部異常ありません。離陸準備完了しました」

 チェックリストで報告に漏れがないことを確認したエリスが、メルに伝える。

「ありがとう。・・・それじゃ、久々の空の旅に出発しましょう」

 メルは、表情を引き締める。

「本船は、これより離陸します。係留索離せ」

 エリスが操舵室の窓から地上に合図すると、岸壁に結ばれていた係留索が外され、船内に巻き取られていく。

「係留索収容完了しました」

「バラスト20放出」

 バラストタンクの水が静かな湖面に放出され、ザーッと音を立てる。

 気嚢を満たす水素ガスの浮力が、放出したバラストの分だけ軽くなった船体の重量を上回り、ルイーゼ号は、ゆっくりと垂直に上昇をはじめた。イルミナの町並みが少しづつ離れていく。

「高度100・・・200・・・トリム水平・・・高度計、トリム計の作動は正常です」

 安全な高度に達したところで、メルは機関室に指示を出した。

「プロペラ接続、機関前進微速」

 エンジンとプロペラを繋ぐクラッチが接続され、ヒュンヒュンと風切り音を立ててプロペラが回転を始める。

 垂直に上昇していた船体に推進力が加わり、船は前に進み始めた。

「上げ舵10、機関前進第1速へ」

「了解、上げ舵10」

 船尾がわずかに沈み込み、船体が上を向く。

 プロペラの生み出す推進力を利用し、ルイーゼ号は速度を上げて上昇を開始した。


 高度1,000mで安定飛行に移ったルイーゼ号の操舵室に、アリアが降りてきた。

 肩からかけたバッグには、水筒とカップ、そしてトレイが入っている。

 アリアは、バッグを降ろして水筒からカップにお茶を注ぎ、操舵室のクルーに配った。

「アリア、その姿も似合ってるわよ。魔術に堕ちた元聖女って感じで」

 カップを受け取りながら、メルはアリアに笑いかける。

「もう、からかわないでください」

 アリアは抗議するが、その表情は笑っていた。

 アリアは、元のデザインはそのままに黒く染められた法衣を身にまとっていた。

 さすがに、ロムルスで療養しているはずの聖女があちこちに現れたのでは具合が悪い。聖女の顔を直接知る者はあまりいないが、アリアの純白の法衣は高位の神官だけに認められるもの。それでは目立ちすぎるため、魔術師のローブと同じ黒い法衣を仕立ててもらったのだ。

 白い法衣ではあまり目立たなかったが、所々白い素肌の見える部分が黒い衣装に映えて、聖女らしからぬ色気を醸し出している。

「まだ少し恥ずかしいんですから」

 最初着た時、自分の法衣が意外に肌を露出するデザインだったのに今更ながら気が付いて、アリアは顔を真っ赤にしていた。しかしそれでも、アルムの着る魔術師のローブや、メルたちのような船員服に替えず、そのまま法衣を着続けているのは、やはり聖女としての矜持なのだろう。

 これまでのゲスト扱いから、正式にルイーゼ号のクルーに加わったアルムとアリアを、メルはシェリーの船務班に配属した。船務班から必要に応じてアメリアの補助に着いていたリディアを正式に操舵室配置してアメリアの負担を軽減、アルムがその代わりに見張りなどを受け持つ。アリアは得意の治癒魔術を生かして、船医も兼ねるシェリーの補佐を務めるとともに、こうしてクルーの世話を担当している。


「ね、エリス」

「はい、メル様」

 メルは、隣に立つエリスに話しかけた。

「わたしね、ようやく夢が叶った気がする」

「夢、ですか・・・?」

「うん。仲間と一緒に飛行船を飛ばす。誰の命令でもなく、自分たちの為に、自由に。子供の頃から目指してきた夢が・・・ようやく叶ったんだって」

 エリスは、ふわりと微笑む。

「メル様、これで終わりではないのでしょう?」

「そうね。・・・次は、世界の果てでも見に行こうか?」

 メルは、冗談めかして言う。

「エリス、ついてきてくれる?」

「もちろんです。私はずっとメル様のお側に」

   

 ルイーゼ号は、ロセリアを巡る。

 その行先は、やがて遠く山脈を越え、遥か海をも越え、さらに向こうへ。


 いつしか、乙女たちが動かす巨大な空飛ぶ船の噂は各地に広まり、その船の長は、魔女と聖女、そして風の天使を従えた、天空統べる女神の現身であると、まことしやかに伝えられることになる。


 ・・・それは、まだしばらく先の話。


<乙女たちのHeight-Climber  ~魔女と聖女と飛行船~ 完 >

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