第35話 聖女暗殺

「あれは、ルネアリア様ではないか?」

 ブランダリウス伯、ヨハン・フォン・クルムバッハは、思わず声に出して隣にいる従卒に問いかけた。

 彼は討伐軍に参加している領主の中で最も身分が高く、動員兵力も大きかったため、実質的に討伐軍の最高司令官であった。

 ルネアリアが討伐軍の幕営地から出発したのは2週間ほど前だ。コップル男爵からは、教会の指示でロムルスにお送りすると聞いていたが、どうしてそのルネアリアがイルミナの方から姿を現すのか。護衛として同行したコップル男爵の姿もなく、ヨハンには全く事情がわからない。


 しかも、討伐軍はたった今、あの空に浮かぶ巨大なモノの攻撃を受け、ようやく運び込んだトレビュシェとバリスタをすべて破壊されたところだ。

 特にバリスタは、高価な元素石を矢じりに使った特注の矢を使い、やっと学府への攻撃に成功したというのに、第二射を討つ間もなく本体も予備の矢も失われた。

 トレビュシェとバリスタを破壊した巨大なモノは、討伐軍の真上に浮かんでいる。今のところ何もしてこないが、もし同じように攻撃されれは討伐軍は壊滅的な損害を受ける。

 そのタイミングで、討伐の中止を口にしていたルネアリア様が現れたのは偶然だろうか。

 まさか、教会は討伐軍の頭越しにイルミナ側と接触し、交渉をはじめているのではあるまいか。

 様々な憶測が頭をよぎる。

 馬車が止まり、神官を一人従えて、白い法衣をまとった女性が降り立つ。その姿は、やはり聖女ルネアリアに間違いない。

 ヨハンは、全軍に待機を命じ、各部隊をまとめる領主たちに集まるよう伝令を走らせた。


「ブランダリウス伯、イルミナ討伐に参陣くださった皆様、本日は法王からの文書をお届けに参りました」

 跪いて首を垂れる領主たちを前に、アリアは落ち着いた口調で話しかけた。

「はい、謹んで承ります」

 アリアは、ヨハンに文書を見せ、法王の印璽が押された封蝋を確かめさせる。文書のすり替えや書き換えがされていないことを見せるためだ。

 ヨハンが頷いたのを見ると、アリアは目の前で封蝋を割る。そしてリボンを外し文書を広げた。

「イルミナ討伐の許可を撤回する。以後、イルミナを討つことは信徒の任に非ず。法王エルミネア・アスクラピウス」 

 アリアは文書を一気に読み上げると、文面を領主たちの目の前に掲げた。


 ざわりと戸惑いが広がる。

 反応は様々だった。ひそひそと領主同士で囁き合う者、呆然と天を仰ぐ者、ため息をついて俯く者、そして、悔しげにアリアを睨みつける者。

「ルネアリア様、なぜです。イルミナの魔術師たちは魔術を独占し、それを利用して民衆を苦しめているのですぞ」

 ヨハンは、思わず立ち上がり、アリアに詰め寄る。

「それは誓って事実なのですか?」

 やや冷めた目で、アリアはヨハンを見た。

「貴方が間違いないと言うのであれば、この場において、教会信徒として真実を語ると宣言しなさい。その上で、先ほどの言葉を言えるのですか?」

「・・・それは・・・」

 ヨハンは口ごもる。

 イルミナが実質的に魔術を独占しているに近い状態なのは事実だが、それはイルミナが強制的に行っているものではない。魔術師の全てがイルミナに属することを強要されているわけでは無いし、イルミナが魔術の拡散を禁止しているわけでもない。

 歴史的な経緯もあるが、イルミナが魔術師の研究にとって理想的な環境であり、魔術の殿堂として多くの知識・知見を有しているから、魔術師はイルミナに集まるのだ。


「どうなのですか?」

 淡々と、アリアは問いかけた。

 ヨハンは、アリアの変化に驚いていた。

 以前、討伐軍の陣営にいた頃とは雰囲気が違う。あのときの聖女は、ただ優しいだけで、周囲の言いなりに流される気弱な少女に見えた。このような強い意志を感じることはなかった。

 だが、ヨハンとて気圧されるばかりではない。

「承服しかねる。我々は教会のためにイルミナ討伐に参陣し、これまで、討伐に参陣して莫大な戦費を負担している。それを今さら中止とされるのは、法王と言えどあまりに身勝手なのではありますまいか」

 無理筋なのは承知だ。元々、イルミナ討伐は領主たちから願い出たもの。討伐への参加自体も各領主の自主的な判断だ。しかし、このまま何を得られずに終わるわけにはいかない。

 しかし、アリアはヨハンの主張を否定するのではなく、微笑んで頭を下げる。

「教会のための参陣には深く感謝いたします。しかし、法王は民の生活を守るため、今後はイルミナとも協調関係を結ぶ意向です。教会はイルミナを認め、魔術師たちの地位を保証するとともに、イルミナが悪意をもって魔術を利用しないよう枷となります。それは、今回の討伐の目的にも沿うのではありませんか?・・・すでに戦いが始まって1年以上、さらに皆様に負担をかけるのは忍びないという法王のご意志なのです」

「・・・」

 ヨハンは反論できない。

 他ならぬ自分たちが大義名分として持ち出したもの『イルミナが魔術を独占し民衆を苦しめている現状を改める』それが今回の討伐の目的だ。教会信徒として参陣している以上、教会の正義を実現するための参加であり、戦勝側が利益を求める戦争ではない、実際はともかく、それが建前だった。

 教会がイルミナを監視し、イルミナ側もそれを受け入れるというのであれば、それに反対する理由はない。 

「し、しかし・・・教会との協調をイルミナが望むとは・・・」

「いえ、わたくしがイルミナから出てきたのはご覧になられたでしょう。わたくしは法王の特使として、イルミナティ学府学長ファルニス様と会談し、法王の意向に賛同する旨、回答を頂いています」

 最後の悪あがきも封じられ、ヨハンは沈黙する。


 そして、事件は起こった。

「うっ・・・」

 微かなうめき声にヨハンが顔を上げると、目の前に立つ聖女の胸に、1本の矢が突き刺さっていた。

 アリアは、驚いた表情で自分の胸に食い込んだ矢を見つめている。

 ぐらりとよろめき、従者の神官に抱きかかえられるアリア。純白の法衣に、じわりと赤い染みが広がっていく。

「せ、聖女様が射られた!」

 誰かが大声を上げた。衝撃が波のように陣営に広がっていく。領主たちの後ろに並ぶ騎士や兵士達も騒ぎ始めた。

 矢は討伐軍の陣営の方から飛んできた。その事実に領主達は青ざめる。


「誰だ!誰がやった?!」

 パニックになって騎士の一人が騒ぐ。身に覚えのない兵士たちは慌てて首を横に振り、少し後ずさる。

「聖女様、しっかり・・・聖女様!」

 従者の神官が治癒の恩恵を与えながら、アリアに大きな声で呼びかけている。

 しかし、治癒の効果は薄いようだ。

 苦しげに顔をしかめ、荒い息をつくアリアの姿に、さすがのヨハンも心配そうに声をかけた。

 正直、邪魔な娘だとは思っていた。しかし、目の前に矢を射られ、瀕死となっている姿には同情を禁じ得ない。

「聖女様!・・・誰か、治癒のできる者はいないか?!」

 アリアがうっすらと目を開け、苦しそうに呻く。

「ブ、ブランダリウス伯・・・どうか、法王の・・・意思を・・・」

 アリアは、震える手で法王の文書をヨハンに差し出す。

「それは・・・」

「・・・お願い、します・・・」

 力が抜け、パラリと文書がアリアの手を離れる。ヨハンは慌ててそれを受け止めたが、アリアの腕はそのままだらりと垂れ下がった。


「聖女様!」

 従者の神官が大声で叫び、ぐったりとしたアリアを抱きかかえて馬車の座席に寝かせた。

「お、おい、・・・聖女様は・・・?」

 ヨハンが慌てて神官に尋ねる。・・・まさか、お亡くなりに・・・とは声に出せなかった。

「このままでは聖女様のお命が危ない。イルミナの魔術師に治癒の助力を頼みます!・・・では!」

 神官は宣言し、急いで馬車をイルミナの中へと走らせた。

 後には、呆然とする領主たちと、騒然としたままの討伐軍の陣営が取り残される。

「皆、落ち着け、落ち着くんだ!」

 ハッと我に返って、ヨハンは叫んだ。

 手に握りしめた法王の文書を、一瞬、悔しげに睨み付けたが、ふっとため息をついた。

 このまま撤退を拒めば、討伐軍が討伐の中止に反抗して聖女を殺したと疑われる。

 不満はあるが、速やかに法王の意に従って撤退の準備を進め、恭順の意思を示さなければならないだろう。

 ヨハンは、周りにいる領主たちと、この場の収拾と撤退の手はずについて相談を始めた。


 慌ただしくイルミナの門をくぐった馬車は、ゆっくりとその速度を落とす。

 後ろで重々しい音を立てて門が閉まる。完全に門が閉まったところで、馬車は停止した。

「・・・アリア、もういいぞ」

 従者の神官・・・アルムはそう言って、目を閉じて横たわるアリアの肩を叩いた。

 ゆっくりとアリアの目が開く。

「すごく緊張しました・・・あれでうまくいったのでしょうか・・・?」

 大きく息ついたアリアは、身を起こしながら少し恥ずかしそうに顔を赤らめる。

「たぶん、信じただろう。・・・さすがは聖女様、大した演技だったよ」

「アルムこそ、なかなかのものでした」

 うまく討伐軍を騙しおおせた手応えに、二人は笑い合った。

 アリアの胸には、矢が刺さったままだ。もちろん、本当に刺さっているわけではない。

 アリアは法衣の下に厚い皮製の胸甲を着けており、矢はそれに突き立っていた。法衣の裏には、赤い色水を詰めた袋が貼り付けられており、矢が刺さると血のように染みが広がる芸の細かさだ。

 この準備をしていたせいで、少々出発が遅れたが、その間にメルたちがトレビュシェとバリスタを潰してくれたので、結果的には良いタイミングとなった。

 バリスタの矢が学府の塔に命中した時には、さすがに慌てたが・・・

 アルムは、借りていた法衣を脱いでアリアに差し出した。

「アリア、そろそろ矢を抜いて着替えた方がいい。さすがに趣味が悪すぎる」

 美しい少女が、胸に矢を刺したまま血に染まった法衣を着て笑っている。知らない者が見れば、恐怖でしかない。

「えぇ、そうですね」

 アルムが矢を握り、ぐりぐり揺すると矢が抜けた。アリアは、血塗れ風になった法衣の上着を脱いで、アルムから返してもらった自分の法衣を羽織る。アルムの法衣の下は、普段の魔女の格好なので問題ない。

「じゃ、魔女の館に戻ろうか」

 すっと辺りが影に覆われる。見上げると、真上をルイーゼ号が学府に向かってゆっくり進んでいた。

 メル達も戻ってきたようだ。

 アルムが御者に合図すると、馬車は再びゴトゴトと走り出した。

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